第49話 三人、星を酌み交わすこと




  四



 ふたりの若者は、そのまま稲瀬川の屋敷で、夕餉ゆうげをご馳走になった。


 夕餉が終わると、老御前は意気揚々、ふたりを引き連れ、御霊の前浜へと逍遥しょうようした。

 波の花咲くそのむこうには満天の星が、南の空をうずめ尽くしていた。


「久々に楽しい気分よ」

 御前は声を弾ませた。

「今宵の星は、格別ですな」

 と、西行も感じ入って声をふるわせた。「月がないからでしょうか。普段は見えないような細かな星まで、今日はよく見えるようだ……」


 織女しょくじょ星、牽牛けんぎゅう星はいわずもがな、星屑の一粒一粒が、拳を握りしめたように大きく、力強く輝いていた。


「西行殿は、鎌倉の、星月夜の和歌うたをご存知ですか」

 御前の問いかけに、西行はふり返ってうなずいた。

「ええ、存じております。有名な歌で……西住殿もよく、その歌を口にされておりました」

「そうですか、ふふ、あの子も鎌倉が恋しくなる時があるのですね……」

 御前は、わが子の様子を想像し、笑みを含んだ。


「このあたりは地名を『星月夜』というのです。海にひらけていて、ほかの場所よりも星が美しくは映えるからでしょうか」

「……なるほど、確かに。この土地特有の、燃えたぎるような精気を感じるようです」

 波から生まれて天へと放たれ、あるいは水底みなそこへと沈んでゆく、美しい星たちを眼前に見つめ、三人は微笑みあった。


 雑色が、やわらかな真砂まさごの上にむしろをしいて、主人たちの座を用意してくれた。

「さあ、平太殿の持ってきてくれた、おささをいただきましょう」

 御前は率先して、酒のさかな破籠わりごを並べた。


 彩りゆたかな野菜の漬物しおおし、海藻のあえもの、味噌をつけて焼いた焼き米……。

 僧職の西行に遠慮して、なまぐさものは控えてある。

 わずかにあわびの煮つけや雲丹うにえものが見える程度だ。


「わたしはこの年になっても、まだこれがやめられません」

 と、御前はいかにも嬉しそうに、口元に杯をかたむける真似をした。

「特上の清酒です。お持ちした甲斐がありました」

 と、景義は嬉しそうに、御前の杯に酒をそそいだ。

「さ、西行殿も」

「おっと、私は、戒律がありますので……」

 西行は飲酒おんじゅを断り、みずからの竹筒からすばやく、水を土器に注いだ。

「まあ……」

 と言ったきり、御前は無念そうに押し黙ってしまったが、やがてすぐにおおらかな微笑みを浮かべた。


「それではこうしましょう。みなでともに、星をいただきましょう」

「星を?」

「ほら」

 満たされた液面に星の光を映し、くゆらせると、もう片方の手のひらで蓋をした。

「このようにして、杯に星を閉じこめるのです」


 ははは、と西行は快活に笑い、うなずいた。

「では、星をいただきましょう」

 景義も、酒をさらさらと自分の杯のなかへそそぎこみ、星の光を閉じ込めた。


「御前のご健康を願って」

「西行殿の旅のご無事を祈って」

「平太殿のご出世を祈念して」

 三人は星の杯を天高くかかげた。


 杯を唇に傾ければ、目の前にあふれる星の海が、たちまち胸のなかにまで押し寄せてくるようだった。

 蒼く燃えあがる液体が、五臓六腑に甘くしみわたる。

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