第47話 景義、雨漏りを直すこと

 景義が屋根に登ると、すぐ後ろから、西行も梯子をつたって登ってきた。


「西行殿、危ないですぞ」

「なに、なんでもないよ」


 ふたりは萱葺かやぶき屋根の上、潮風に吹かれながら、かもめの飛びかう南の海を眺めた。

「潮騒が聞こえてくる」

 西行は耳を澄ました。「静かで、よいところだな……」

「はい」

 と、景義は嬉しげにうなずいた。


「思い切って西行殿のご助言どおりにして、本当によかったです」

「私も、事がうまく運んで嬉しく思うよ。まさにこれぞ仏縁というものだろう。ありがたいことだ」

「……御前の話を聞いて、いろいろと考えさせられました。御霊様は十代で奥州遠征に加わり、功名を轟かせました。季正すえまさ殿……西住殿は都へ出て、文武の道で名をあげられ活躍されておられる。西行殿は今、奥州をめざされている。私も早く何かをなさねばと、気ばかり焦ります」


 西行は、微笑んだ。

「焦らなくともよいのだよ。大きな目標を立て、ひとつひとつ丁寧に、自分のやれることを積み重ねなさい。じっくりと」

「はい、大きな目標ですね」

 自分の目標とは、なんだろう……人生の目標とは……遠く目をそむけた景義に、西行は心得顔で言った。


「すでにひとつ、平太殿は人生の大きな目的を果たしたぞ」

「なんですって? いったい何を?」

 景義は目を見開いて、問いかけた。

 ……いったい自分が何を成し得たというのだろう?

 思いは、過去に飛んだ。

 しかしこれといって、誇れるようなことはない。

 初陣のことだろうか……?

 首をかしげた景義に、西行は笑って答えた。


「ハハハ。昨日さ。平太殿は、子供の命を救われたではないか。たったひとりの命……されど、そのたったひとつの命のいかに重く、いかに尊いことか。その命を、平太殿は救ったのだ」

 景義は、戸惑った。

「そ、それは……西行殿の助けもありましたし……」

「あの恐ろしい濁流。私ひとりでは、とてもかなわなかったよ。われわれは協力して、御仏みほとけの力をお借りして、ひとつの大きな仕事を成したのだ。

 あのようにして人様の役に立つところにこそ、われわれがこの世に生かされている大きな意味がある。それは戦で手柄を立てることよりも、富や名声よりも、もっともっと優れたことだ。私はそう思う」


 景義には西行の言葉が、とても新鮮に響いた。

 こんな種類の言葉は、今まで聞いたことがなかった。

 まわりにそのようなことを言ってくれる大人もいなかった。

 ……忘れかけていた、なにか大切なものに、ほのかに触れたような思いがした。


 ア、と、景義は気がついた。

(この人は、『笑まい顔』の人だ――)


 西行の顔に、大きな光が輝いていた。

 厳しい精神修行のなかで磨き抜かれた、力強い笑顔が。

(……最近、あんまりにも忙しすぎて、『笑まい顔』のことなど忘れていた。俺も、こんな笑まい顔の人になりたかったはずなのに……)


 景義の熱い視線を受け止めながら、西行は、言葉をつづけた。

「昨日、泣きながら母親の胸にすがっている、あの子供の無事な姿を見た時、平太殿の心には、いいしれぬ喜びがあったはずだ。その感動を、しかと覚えておくのだよ」

「はい」

 景義は素直にうなずいて、西行の優しい言葉を、心のなかでひとつひとつ反芻はんすうするのだった。

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