第35話 景宗、景義を罵倒すること

 ――同じ頃、豊田郷から早馬が来た。


 病床の父、景宗が、いよいよ危篤だと言う。


 景義は杖を握りしめて立ちあがろうとしたが、ややあって、そのまま力なく座りこんでしまった。

 どうにも、杖が重かった。


 頼朝の鎌倉入りの後、景義が新たな総領の座に納まると、この老父もまた、さんざんに悪態をついた。


「おまえは、わしや三郎への怨みから、大庭の家を乗っ取った極悪人じゃ。わしの可愛い三郎と陽春丸とを死に追いやった下手人げしゅにんじゃ。貴様の顔なぞ、二度と見とうもないわ」


 もともと仲のよくない父子である。

 父は呪詛とも取れる捨言葉に、しわがれた喉をふるわせた。


「義朝の子なんぞを担ぎ出しおって、馬鹿なことをしでかしおったもんじゃ。せっかく三郎が築きあげた大庭の繁栄を、貴様はすべて台無しにしおったわ。わしがなにも知らぬと思うたか、お人よしめ。俣野と長尾をむざむざ奪われおって」


 その通りであった。

 御厨内の東域である俣野、さらにその東に位置する長尾――かつて鎌倉一族の領域であったこれらの領土は、罪人の領地として、幕府に差し押さえられていた。


「その代わり、新領を得ました。松田、河村……」

「波多野の血のおかげか?」

「左様です」


 父は、ぶべッと、景義の足元に痰を吐きつけた。

「いずれ都から平家の大軍が攻めくだって来れば、大庭も頼朝も共倒れよ」

 最後まで父は、呪いのごとき言葉を繰りつづけるのだった。


 今、父の危篤の報を聞いた景義は胸中に、しだいに冷たく凝り固まってゆくものを感じた。


(……わしが行って、の人の臨終りんじゅうの時を、わずらわせることもあるまい)


 景義は、父への思い煩いを、きっぱりとち切った。

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