第30話 鶴岡八幡宮、完成のこと

 八月はづき十五日――


 すがしい早朝の光の下で、土鳩たちが喉をふるわせ、砂地をついばみ、にぎやかな営みをはじめている。

 そのはるか頭上には、塗り立ての鳥居が、生き生きとしたの色を脈打たせている。

 どこの国の神域にも劣らぬ、立派な大鳥居である。


 景義は杖をよりどころに、石畳の参道を、一歩一歩踏みしめた。

 参道は、鶴岡八幡宮の正殿へとつづいている。

 正殿の背後には、北山の、銀杏いちょう樹があおあおとして、みどりが濃い。


 まだ夜は明けそめたばかりだというのに、大工や人足が、はやばやと作業を始めていた。

 有常の姿も見える。

 最後の仕上げ作業のもと、正殿は、ほぼ完成に近い。

 景義は、深い感慨をもって、見あげた。


 瓦葺かわらぶきの、重厚な建築。

 色、青色、黄、白……塗りたての華やかな彩色が、強く匂っている。

 扁額へんがくには、金色に輝く「八幡宮」の文字――

 ……よくよく見れば、その「八」の字が、二匹の鳩が向かいあう図案になっている。

 かるい可咲おかしみを覚えて、景義の口元がほころんだ。



 景義の姿に気づいて、腰に墨壺をぶらさげた、白い水干すいかんの男が近づいてきた。

 大工たちの棟梁とうりょうである。

 ふたりは気さくに挨拶を交わした。


 この棟梁は江戸浅草の生まれで、浅草寺の宮大工である。

 当代一ときこえの高いその腕を買って、幕府が招いたのだ。

 自分でも仕事の出来栄えに満足しているのだろう、普段は口数のすくない職人気質かたぎの男が、彫りの深い笑顔を浮かべて言った。


「とうとうここまで出来あがりましたな」

「本当に、少ない日にちでよくこれだけの仕事をしてくださった」

 景義は礼を言い、丁寧に頭をさげた。


 偉ぶることのない景義の人柄に、棟梁はあわてて頭をさげ返した。

「いえいえ、わしは自分に出来ることをしたまでです。大工たち、人足たちがよくがんばってくれました。ぜひとも褒美をとらせてやってください」

「もちろん、もちろん。たっぷりと」

「一時はどうなることかと思いましたが、なんとか、鎌倉殿に御披露できるまでには漕ぎつけましたな。細かいところは、これからおいおい手を入れていきましょう」


「あの鳩の意匠」

 と景義は、扁額を仰ぎ見た。「可咲をかしうございますな」

「へぇ、京の石清水八幡宮にならったものだそうで……。なにせ、八幡様の御使いは鳩でございますからな」

「ふむ、なるほど。洒落されたるものかな」

 ふたりのおきなも、目尻を八の字にさげ、満足げに笑み合った。





※ 鶴岡八幡宮 …… 鎌倉に現存。現在は「上下二宮」となっているが、本作のこの時点ではまだ「一宮」であり、現在の山上の本殿も、大階段も、存在しない。

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