第31話 景義、歌を交わすこと

 初々しく香る白木のほそどのを、清らな鈴の音を響かせ、神職の一団が渡ってゆく。


 景義はかたわらに寄り、うやうやしくこうべを垂れた。


 神職の先頭にいたのは、つややかな銀髪の老巫女であった。

 紅の小袖にはかまを履き、純白のうちきを肩にゆるりと羽織っている。

 目が合うと、ふたりは生真面目な顔で、会釈を交わした。


 人々を先にゆかせてから、老巫女は穏やかな笑みを浮かべて言った。

「とうとう、この時が来ましたね」


 遷宮の、一切の神事をとりしきる神職を選ばねばならなくなったとき、景義は、この巫女を強く推薦した。

 大庭御厨の巫女たちの一番のまとめ役でもあったし、人々の評判きこえも高かったからである。

 頼朝は、伊勢太神宮を特に崇拝していたこともあり、異論なく、これを許した。

 ――その巫女は、毘沙璃であった。


 いまや、燃えいずる清冽な朝の光が、ふたりのかんばせをつつんでいた。

(この人は老いてなお、清らかになられた)

 景義は、思った。

 いまだ背筋も真っ直ぐに伸びた、毘沙璃の神々しい姿に、心が震えた。

 深い信仰と、強い意志の力で、生涯不犯を貫いた人であった。

 ……途中で幾度も、幾度も、迷いながら……


 ここに至るまでに、お互いがどれほど多くの学びを得なければならなかったことか。

 どれひとつとして、不要な学びは、なかったはずである。


「このように特別な神宮の造営を、わしとあなたが中心となって進めることができようとは、昔には想像だにできませんじゃった」

 景義が言うと、毘沙璃は少女の頃とあいも変らぬ仕草で、からりと笑い、思いつきの和歌うたを口にした。



「若駒や、夜の明くるを知らざれば、朝日を告ぐる、鳥にこそ聞け――」


 ……かつて若駒であった人よ。

 夜が明けるかどうか、わからなかったのなら、朝日を告げる鳥に聞けばよかったのよ。

 ……わたしは、いつか、予言したでしょう? あなたとわたしは、ふたりで大きな仕事をするんだって……



 毘沙璃は挑みかかるように、悪戯いたずらな笑みを浮かべた。

 返歌を求めているのだ。

 景義の心が、すぅと、かろやかな遊び心に変じた。


(朝日を告ぐる鳥……鳥……『白鳥くぐい』と、『句』をかけてみたら、どうじゃろうか……)

 即興の戯れを心から楽しみつつ、景義は「聞きにけり……」と、ひとこと口にし、それから想像の翼を広げるようにして、ふわりと歌を投げ返した。



「聞きにけり、神が句々くぐいのめでたさを……知りつも余る、今朝のまばゆさ……」


 ……確かにわしは聞いた。白鳥のような巫女が口にした、素晴らしいお言葉を。

 ……しかしそうとは分かっていても、それが実際に訪れてみれば、今朝の光の、思いもよらぬほど、なんとまばゆいことか……



 歌のひびきを噛みしめるうち、思わず互いの瞳がうるんで、水鏡となった。

 それは初めて出逢った日の、秋の日の水面みなものよう――

 澄みわたった空に寄りそう男童おのわらわ女童めのわらわの姿が、ふたりの瞳のなかだけに、いつまでも清らかに息づいているのだった。


 社殿の瓦から飛びたった白鳩の群れが、一線の光の波となり、青い天空を駆けめぐった――

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