第32話 有常、八幡宮を見あげること

 夕方、報酬の包みを、いくつもいくつも腕に抱え、ハダレは見るからに上機嫌だった。

 報酬は、衣、米、酒、乾物や果実など、もりだくさんである。


、おまえ、よくがんばったよ」

 包みを横におろしたハダレは、有常の肩に回した手に力をこめた。

「ぱぁーっと一緒に飲みに行きてぇが、お前は罪人だしな。次はどっかの御家人屋敷の手伝いに回されると思うけどな。またよろしく頼むわ」

「はいっ」

 有常は心底うれしくなって、顔を輝かせた。


 ――有常が現場に最初に連れて来られた時、ハダレは、

「えー? オレが面倒みんの?」

 と、明らかに嫌そうに、臭い匂いでもいだように、その異様に長い唇と鉤鼻をひん曲げて、不平を言ったのだ。

 ……それを縄五親方ににらまれて、渋々、引き受けたのである。


「野郎、俺にばっか、めんどくさいやつを押しつけやがって……」

 恐しい親方の姿が見えなくなるや、「黒鬼め、地獄に帰りやがれッ」と毒づくのを忘れなかった。


 ハダレは、気分屋だった。

 ささいなことで怒るし、遊女屋で大いに遊んできたらしい翌日などは、疲労と睡眠不足で、苛ついていることが多かった。

 そんな日は必ず、酒の匂いと汗の匂いと、白粉おしろいの香りが混ざりこんだ堕落の匂いをぷんぷんさせていたから、すぐにわかった。


 有常はハダレの機嫌が悪い時、「なんでこの人はこんなに怒ってるんだろう」とよく考えたが、ある時ふと、「ああ、腹が減っているんだ」と気がついた。

 腹が減ってくると、怒るのだ。

 それに、体が疲れてくると、怒る。

 それに気づいてからは、そのような頃合になれば、有常はできるだけ目立たぬよう静かにして、ハダレの怒りをかわないようにした。


 ……そんなハダレも、有常のもの覚えがよく、仕事の飲み込みがはやく、手を抜かないまじめぶりを見るうちに、次第に心を開き、態度をやわらげていった。

 仕事場で、人は、見知らぬ者には手厳しくする。

 だが、その最初の手厳しさを我慢して、黙々とがんばっていると、大抵の場合は、時間が経つとともに次第に心を許し、ついにはやさしい言葉までかけてくれるのだということを、有常は知った。


 一方、オドロとはいつまでたっても、私語を交わすほどに打ち解けることはなかった。

 しかし時折、滅多に笑わぬオドロが仕事中に、ふと有常に笑顔を見せる時があった。

 そんな時、有常は仲間と働くということの、心のやすらぎを覚えるのであった。



 ――今、ひとつの大仕事が終わった。


 有常は、完成したばかりの八幡宮を見あげた。

 新しい丹塗りの色が、てらてらと夕陽に照らされている。

 晴れ晴れとした気分になり、力が漲ってくるようだった。

 誇らしさで、胸がいっぱいになった。

 これまで味わったことのなかった充足感が、刻々と、潮の満ちるように、胸に押し寄せてくる。

 そこに八幡の神様がいて、今しもかれに微笑んでくれている……そんな気がした。

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