第三章 鳴弦 (めいげん)

第33話 頼朝、神宝奉行を命ずること

第二部  新 都 鎌 倉 編


 第三章  鳴 弦




  一



 年が明け、生まれたての香気に満ちあふれる鶴岡八幡宮に、頼朝はじめ御家人たちが初詣に訪れた。


 鎌倉の作事奉行に加え、鶴岡八幡宮の寺社奉行を任された景義としては、警備に清掃にと、正月どころではない慌しさである。


 新年の挨拶のため、御所の石壺いしつぼに参上した景義に、頼朝は常と変らぬ、落ち着いた口ぶりで語りかけた。

「近々、伊勢いせ太神宮だいじんぐうに、大々的な祈願奉納を行なおうと考えている。鎌倉繁栄と、朝敵滅亡を願ってのことだ。それで旧年の暮れより神馬しんめや砂金など、伊勢への奉納品の準備を進めている」


 景義もその辺の話は、すでに聞き及んでいた。

「たいへん素晴らしいことかと存じあげます」

 うむ、と頼朝はうなずいた。

「それらの神宝を携え、伊勢へ奉納におもむく、その神宝奉行ぶぎょうの役目を……」


 自分が任命されるものかと早合点した景義の心に、頼朝の声は食い違った。

「長江太郎義景に頼もうと思っている」

「ハ……」

 返事を詰まらせた景義に、頼朝は説明した。


「鎌倉権五郎は、自分で開拓した大庭御厨を、伊勢神宮に寄進した。かれが伊勢とのつながり深く、伊勢への信仰が厚かったのは周知のこと。長江義景は権五郎の直孫。この任にうってつけである。

 本人の強い要望と、三浦からの推薦があってな。義景を神宝奉行に、とな。

 だが今は、そなたこそが鎌倉一族の総領である。私も義景とそなたとの経緯は存じている。私の望むところは両者の共者共栄であるが、もし、そなたが反対するならば……」


「いえいえ」

 と、景義は慌てて引きさがった。

「よきお考えにござります。長江殿は鎌倉一族の誇る、容儀立派なつわものでござります。誰が見ても惚れ惚れとするような、素晴らしい武者ぶり。責任感も人一倍強うござりますれば、まさにこの役は、うってつけかと」

「そうか。賛同してくれるか。私は前もって、そなたに話を通しておきたかった」

「武衛様のお心づかい、かたじけのうござりまする」


 義景を褒めたのは、景義の本心であった。

 そしてまた、そこには自分自身に対する引け目もあった。

 神への使いとなれば、五体満足の者が望まれる。

 自分が鶴岡八幡宮の寺社奉行を拝命したことでさえ、裏で陰口を囁く輩がいるのを、景義は知っている。


 ……とはいえ、この鎌倉には権五郎という偉大な先人がいた。

 この隻眼の英雄神がいてこそ、景義は五体満足でなくとも、神域の職にたずさわることができた。

 そればかりか権五郎の隻眼が、景義の隻脚に、ある種の神秘性をすら与えていた。


 しかしそれはあくまで鎌倉でのこと。

 伊勢の人々や、道中の人々がどう見るか……ということになると、話は別だった。

 隻脚の自分よりも、義景の方がふさわしいのは理の当然……と、景義は考えた。


『簒奪者ッ』

 義景の怨みに満ちた罵り声が、ふいに耳の底に甦った。

 景義からすれば、すべては運命の綾という以外に、言いようがない。

 だから景義には、義景の不遇の恨みをすこしでも晴らしてやりたい気持ちがある。

 日の当る場所に出れば、義景の胸に凝り固まった氷の塊も、すこしは溶け去ってくれるのではないか。


 二月きさらぎ八日、桃李の花、咲き初める頃――


 鎌倉人の群集するなか、長江義景は立烏帽子にきらびやかな水干を身にまとい、華やかな行列を率いて鎌倉を出発した。

 義景がどのような気持ちをいだいて大庭御厨を横切ったのか、知る者はない。

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