第29話 有常、ハダレに教わること
それからハダレは、するめの小片を口のなかに放り込んで、くちゃくちゃかみながら言った。
「こいつ、お前を恐れてるのさ。お前が罪人だって知ってるからな、そうだろう?」
オドロは答えずに、ただ、にへらにへらと笑っている。
「……で、お前、なにやったんだ?」
「え?」
聞き取れなかったような様子の有常を見て、ハダレは、やたらに顔を寄せ、声をひそめた。
「何人、殺したんだ」
「いえ、私は人殺しなど……」
「じゃ、盗みか?」
「いえ……」
「女を犯ったか」
「いえいえ、そんな……」
「じゃ、なんなんだ」
目を白黒させて答えあぐねている有常を見て、ハダレはため息をついた。
「まあ、無理に答える必要はねぇ。ここにはいろんなやつが集まって来てる。みんな食いつめものさ。
日でりがある。大雨がある。西のほうの飢饉はひでぇらしい。その上、戦がおっぱじまるときちゃあよ。自分トコの田畑をつぶされちゃ、おしまいよ。みんな荒れた里を逃げ出して、こうやって景気のいいトコに流れてくるんだ。
まっとうなことだけやってちゃ、食っていけねぇ。盗みもやる。人だって殺す。そういう連中よ。
ハダレは異物を、口のなかからペッと吐き出した。
「さっきのあんなケンカなんぞ。日常茶飯事さ。どうせたいした理由じゃねぇ。
いつもガンつけられてるような気がする……だとか、いつも悪口を言われているような気がする……だとか、昨日の昼飯が自分だけ少なかったような気がする……だとか、そんなくそつまらねぇ理由でケンカになっちまう。
日頃の鬱憤が、つもりにつもりにつもってるんだ。しようがねぇ……こう暑くっちゃなぁ」
ハダレはしかし、別の事情も口にした。
「……お隣の鎌倉衆と違って、俺らふところ島衆は、こんなにたくさんの人足を扱った試しがねぇ。それで色々不都合をやらかす。そのしわ寄せを受けるのは、いつも一番下の連中よ。だから、人足どもも鬱憤がたまる。……だけどここをやめたって、どうせろくな仕事なんぞありゃしねぇ。流れ者の乞食になるか、我慢して働くか、だ。わかったか、オドロ」
オドロは聞いているのかいないのか、いつもの薄笑いを浮かべている。
有常はこんな時、いつも一生懸命、ハダレの言葉に耳を傾けた。
有常は自分を取り巻くこの世界を知りたかった。学びたかった。
なぜ父が滅びたのか? なぜ自分は罪人に堕ちたのか? なぜ人足のなかに放り込まれたのか? なぜ? なぜ?
不条理に満ち、頭では理解しがたい、この世界。
世界は、ハダレという教師を通して、少年の心に流れこんできた。
その教師は、ぶっきらぼうで、乱暴であった。
しかし気持ちよいほどに単純で、どこか憎めない感じが、有常にはするのだった。
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