第28話 有常、労働のこと

 有常とて、さすがに重代のさむらいの子である。

 単に甘やかされて育った『お坊ちゃん』ではない。


 頭が回る。目端が利く。体力がある。自然な度胸がある。

 さむらいとは、貴人に、上のお気に召すよう下働きをする人々だから、その基本となる心得が、幼少のあいだに仕込まれていた。


 オドロの隣で働いていたのも、ひとつの幸運であった。

 一緒にいれば、どうしても有常のほうが良く見られてしまう。

 逆にオドロとしてみれば、これはたいへん不運なことである。


(……自分が仕事をがんばることで、余計にオドロが悪く見られているのかもしれない)

 そんな考えがふと頭に思い浮かんだのは、有常としても、ずいぶんと時が経ってからのことである。


 しかし手を抜いて仕事をするというのは、有常には難しかった。

 だから、いっそう気を配ってオドロを助るしかないと、かれは考えた。

 かれには自分より弱いものを助けようという、自然な良心が備わっていた。





 強烈な日差しが、人々を打ちのめしていた。

 現場ではまたしても、労働者たちの怒鳴りあう声が響いていた。


「もう、やってらんねぇッ、こんなトコにいられるか」

「ア? 俺が悪いってのか?」

 ふたりの痩せ男たちが言い争っている。

 いつしかそれは、つかみ合いのけんかに変わっていた。


 まわりの連中は止めるどころか、面白い見世物がはじまったとばかりに、観戦に駆けつける。

 やんややんやと口々にはやし、もっとやれとけしかける。

 こんな時には必ず激昂して飛んでくる黒鬼の親方の姿も、今は見えない。

 炊事係が見かねて、昼食のかねをうち鳴らした。

 いつもより早めであったが、騒ぎを収めようとしたのである。


 人々はわいわい言いながら、やりあうふたりをほったらかしに、争うように炊事場へと駆けて行った。

 自分の腹具合のほうが、他人のケンカよりも重要である。


「おい、次郎、メシ」

 鉦の音を聞いても、まだ働いている有常のまじめな尻を、ハダレは膝で軽く蹴った。

「はい」

 昼食の包みをもらってくると、近くの木陰に座り込んで、もち米の焼き握りにむしゃぶりついた。

 薄く塗られた味噌が、香ばしい。

 昼食は一日で一番の楽しみだった。

 地獄の責め苦を逃れることのできる、極楽のひとときである。

 育ち盛りの有常は、食べられるものならどれだけでも腹につめこめる気がした。


 ハダレはあっというまに飯をたいらげてしまうと、烏帽子を脱ぎ、しみついた汗を端切れで丁寧にぬぐった。

 かれの顔には所々、生まれつきのがあって、まだら模様になっている。

 それで、『はだれ』と呼ばれている。


「おい、オドロ、お前、次郎にお礼言ったのか?」

 ハダレが尋ねると、オドロは、ア、ア、と言葉にならぬ妙な声をもらしながら、うつむいた。


 ハダレはあきれて、大きくため息をついた。

「おい、次郎。こいつはこういう奴さ。礼のひとつも、ろくすっぽ言えやしねぇ。知らんふりして、何事もなかったように働いてやがるんだろ? このぐず野郎は」

「お礼なんて、いいんです。気にしませんから……」


「バカヤロウ、だからお前はお坊ちゃんだって言うんだ。そういうケジメはしっかりつけさせるんだ」

 ハダレは、オドロの野放図の油髪を鷲づかみに、無理やり頭をさげさせた。

「『すいません、ありがとうございました』……言ってみろッ」

「……しーません……ありが……とう、ござい……した」

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