第9話 平太丸、武者鍛錬のこと




   四



 またすぐに、講義の日がやってきた。


 例によって例のごとく、またしても悪童たちがからんできた。

「におうなぁ……なんのにおいじゃ?」

「におうにおう」

「ケヒヒッ、乳くせぇ」

 平太は横目でちらりと悪童たちを見ると、心からの呆れ声で呟いた。

「ちっせぇなぁ、おまえら」

 そのまま相手にもせず、胸を張って通りすぎた。

 悪童たちはといえば、戸惑い顔を見合わせるばかりだった。


 講師がやってきて、堂内を見回した。

「今日はそろっとるな。よし、それではお宮のほうを向いて、学問の神さま、うぢのわきいらつこ様に、拝礼――」





 講義のない日には、平太は十郎に言われたとおり、毎日、乗馬に精を出した。

 愛馬の世話を欠かさず、水を飲ませ、飼葉を与え、足を洗い、体を拭いてやった。

 平太はちいさいころから、馬が大好きだった。

 このやさしい目をした生きものは兄弟同然だった。

 馬糞を掃除し、餌をやり、体調を見た。

 平太は領主の息子であったが、まるで馬飼の息子のように、馬の臭気にまみれ、顔を土草に汚して暮らしていた。


「こいつ、爪が伸びてらぁ」

「切ってやりましょう」

 助夏は手慣れたもの、馬と尻をつき合わせて後脚を曲げさせると、自分の両膝のあいだに挟んでもちあげる。

 爪切り包丁に木槌を打ち、馬の爪を器用に削ぎ落としてゆく。


 平太は、助夏の肩背に鼻を近づけて、こっそりと匂いを嗅いでみた。

 たちまち、すっぱいような独特の異臭がして、顔をしかめた。

(ほんとだっ、臭ェや)

 気配に気づいて、助夏がふりかえった。

「ハ、なにか仰いましたかな?」

「……いや、なんでもない」

 平太は、ぴゅうと口笛を吹いてごまかした。

(臭い。……けど……でも、好きな匂いじゃ)

 心のなかで、そうつぶやいた。


 うまやの飼い猿が喜々と這い寄ってきて、黒土の塊のような馬の爪のかけらを、拾っては口へ、拾っては口へ、美味しそうに頬張っていく。

「お前は本当に馬の爪が好きだよな」

 平太は呆れ返って、愛らしい猿の頭をくしゃくしゃとかきまわし、ついでに猿の頭の匂いも嗅いでみた。

 けだものらしい、汗臭い匂いがした。


 そうしているところへ、「殿ッ」と、すけ丸が飛びこんできた。

「大殿がお呼びです。これから武芸の稽古をはじめるそうです」


 聞くや、平太も助夏も血相を変え、とるものもとりあえず戸外に馬を引き出した。

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