第2話 鎌倉権五郎、赤子を抱きあげること
今は昔――
五十余年前……大治年間のこと……
日だまりに床几をすえ、
老人はただただ、静かに座して、呼吸を繰り返しているだけであった。
……にもかかわらず、人々は目に見えぬ威厳に圧倒され、頭をさげずに通る者はひとりもない。
深い皺を幾重にも刻んだ皮膚は、老樹の表面を思わせた。
たわんだ皮膚の奥に、狼のような眼光が鋭く輝いている。
狼のような……というのは、どこか人がましくない、人外の……という意味である。
まるで山野の走獣のごとく、その瞳は異界じみた光を
だがそれは左目だけのこと。
もう片方の目は、眼帯によって隠されている。
それで人々は、老人の刺し貫くような恐ろしい眼光から、半分だけは隠れることができた。
――鎌倉一族の大長老、
婦人がひとり、権五郎におもねるように近づいて、請われるままに、自分の赤子をさしだした。
権五郎は熊のごとき強靭な両腕で、赤子を掴み取った。
赤子と目があった途端、まさかと思うほどに、狼の
「太郎丸や……、爺やであるぞ……」
老いたかすれ声を媚びさせ、権五郎が赤子に語りかけると、たちまち赤子は火のついたように泣きじゃくりはじめた。
「おう、よしよし」
泣くのは赤子の仕事……と、老翁は嬉しそうに、ちいさな体を天高くもちあげてあやした。
一族のものたちは自然と寄り集まり、輪になって、孫を手玉にとってかわいがる長老の様子を、なごやかに見つめていた。
権五郎長老はなにを思いついたか、庭の片隅にかしこまっていた、ひとりの若者に呼びかけた。
「
豊田太郎景宗――髭づらで、体が大きく、武者ぶりがよい――
「どれ」
権五郎は自分の孫を片腕におさめると、景宗の子の平太丸をもう一方の
「ほう、丸々として、かわゆいのう……」
眼帯の外に、深い笑みじわが刻まれた。
平太丸はどういうわけか、楽しげに、にこにこと笑っている。
太郎丸と平太丸、このふたりの赤子を愛おしく見比べているうちに、権五郎の隻眼に静かな異変が忍びよった。
平太丸の全身が、白い光を発しはじめたのである。
その光は次第に大きくなり、ついには隣にいる太郎丸の姿をかすませた。
権五郎は、驚いて目をしばたかせた。
――十六の時、戦場で右目を失って以来、左の目玉ひとつにすべての負担をかけてきた。
ところがその左目も、近頃めっきり力が衰えてきている。
「むう……」
権五郎は平太丸を景宗に返し、まぶたをしきりにこすった。
「総領、いかがなされました?」
心配げな声に返事もかえさず、権五郎はもう一度、ふたりの赤子を見くらべた。
――どうということもなかった。
先ほど平太丸を包みこんだ白い光は、もはや見えなかった。
(目の異常であろう……わしも年老いたものじゃ……)
権五郎は壊れ物に接するように、孫の太郎丸を胸にそっと抱き寄せた。
かわいいかわいい太郎丸はもう泣きやんで、手足をあわあわと泳がせている。
「ギャッ」
見れば庭の隅に、縄をよじ捩りあわせたように、丸々と太った二匹の大蛇が絡みあってもだえていた。
奇怪な
「ややっ」と、走り寄った郎党が棒をふるって追い払うと、二匹の蛇はまるで白昼夢の幻のように、縁の下へと消えていった。
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