ふところ島のご隠居・第二部・新都鎌倉編

KAJUN

第二部  新 都 鎌 倉 編

第一章 鎌倉一族

第1話 景義、義景と対峙すること

第二部  新 都 鎌 倉 編


 第一章  鎌 倉 一 族




   一



 治承五年、七月ふみづき――


 猛暑のなか、鎌倉建都のかなめとなる、鶴岡八幡宮の造営がはじまっていた。


 作事さくじ奉行ぶぎょうたる大庭おおば景義かげよしは大忙し――大工や人足のこと、材木のこと、遷宮の神事のこと――全身汗まみれになりながら、人馬一体となってあちらこちらを飛びまわっていた。


 建築現場では屈強の人足たちに入りまじり、ひとりの少年が重たい材木を運んでいた。

 端正な顔を歪め、必死に働く少年は、波多野はだの次郎有常ありつねである。

 卑しい者たちにまじって、下働きをしている。

 白い裸の上半身は油を塗ったように、てらてらと汗まみれ。

 大人の人足たちと並んでみれば、腕も脚も比ぶるべくもなく細い。

 両手は豆だらけ、体じゅうあちこちすり傷だらけになっている。


 頭のてっぺんから襲いかかる強烈な太陽に、思わず足をよろめかせた有常は、立て掛けてあった材木をひっくり返しそうになった。

 その途端、「馬鹿野郎ッ」と、棒で殴りつけるような怒鳴り声が飛んできた。

「ふらふらするんじゃねぇ、腰を入れんか、グッと、腰を」


 声の主は、人足たちのかしらである。

 頬には、派手な十字傷。

 たくましい裸体は、これでもかというほど黒灰色に日焼けし、柿色の首巻と青いふんどしを巻いた姿は、まさに絵巻に描かれた、地獄の悪鬼そのもの。

 黒鬼くろおに縄五じょうご――景義の雑色ぞうしきから成りあがった男である。


「そら、次、担げ」

 有常は自分の体ほどもある大きな丸太に肩を入れると、前後に注意の眼をすばやく走らせ、ふんばった。

「腕だけでやるんじゃねぇ、腰を入れろ、腰を。体勢を低くして、全身を使わんか」

 黒鬼のぶっきらぼうな物言いに、少年は青ざめた。

 良家の御曹司として育ったかれは、今だかつてこんな下臈げろうのような扱いは受けたことはない。

 ……とはいえ、歯向かってみても仕方がない。

 ぐっと歯を喰いしばり、悔しい気持ちをひたすらに呑みこんで、なおも怒鳴り続けられながら黙々と作業をつづけた。


 蛮声を張りあげ、黒鬼は叫んだ。

「お前らァ、作業がノロいんじゃァッ。なんとしても今日中に予定の段まで終わらせにゃならんのじゃぞ? わかっとるのか? 気張れ気張れッ」

 鞭打つ叱咤の声に、「応ッ」と人足たちの声が地響きした。


 ――この一幕を、景義は何も言わず、遠くからッと見つめていた。

 有常を特別扱いせぬよう、縄五に命じたのは景義である。

(……いつか必ず、その苦労が実になる。耐えろよ、有常……)

 南無なむ八幡はちまん大菩薩だいぼさつ……景義は人足たちに怪我と事故が無いよう祈念した。


 鳥居の外で馬に乗ろうとすると、葛羅丸が機敏になにかを察し、景義を護るように身を寄せた。

 ふり返れば、色濃い影のなか、立ち塞がるようにして、そこには立派な体躯の御家人が、見おろすように見つめていた。


「うまくやりおったのう、景義」

 その言葉に、鋭いとげが突き出ていた。

 やんわりと頭をさげた景義は、棘をつつみこむように、穏やかに答えた。

「長江殿。よいお日柄で、ご機嫌うるわしう……」


 途端に、長江義景は苛々いらいらした口ぶりで噛みついた。

「なにがよいお日柄じゃッ。クソ暑うてしかたないわッ。茶番はやめよ、平太。鎌倉の作事を請け負う代わりに、大庭おおば御厨みくりやを手にいれたか。

 そればかりでない。まんまと松田、河村の新領まで手に入れようとは、まったく浅ましいかぎりじゃのう。挙兵前から周到に手を打ってあったのじゃろう。貴様ほど猿知恵のまわる男はおらぬわ」

「いえいえ、すべては神慮のまま……人からは日本ひのもと一の冥加者みょうがものと呼ばれておりますれば……ふぉふぉ……」


をこッ、簒奪者さんだつしゃの血の為せるわざであろう」

 義景は、忌々しげに吐き捨てた。

「貴様の左脚が動かぬようになったのも、権五郎公の神罰やもしれぬなぁ。簒奪者に対しての、な」

 義景はひとり合点して、何度も首をうなずかせた。

 目には偏執的な光が宿っている。

 熱暑のせいか、いつにも増して、その瞳がぎらぎらとたぎり輝いている。


「よいか。三郎景親を追い落としてやったように、今度は貴様を追い落としてやる。わしはいまだに若き日の恨みを忘れておらぬ。いつか必ず、大庭御厨をわが手に取り戻してみせる。それがわしの悲願じゃ。……見ておれ、これからが楽しみじゃ」


 義景の足元には、暑さにへこたれた野良犬が、だらしなく舌を垂らし、うずくまっていた。

 それを見るなり義景は、犬の腹を思い切り蹴りあげた。

 痩せ犬はあわれな悲鳴をあげ、一目散に逃げ去った。

 白々と焼けつく大路へ、ゆらめく陽炎のなかへ、笑いながら立ち去ってゆく長江太郎義景の後姿を、平太――大庭平太景義は、悲しげな目で見送るのだった。





※ 波多野 次郎 有常


 父・義常は平家方の有力武将であったが、頼朝に追い詰められ、自死を選んだ。

(第一部・第31話)


 その後の幕府の検断沙汰によって、有常は、父の罪に連座し、罪人となる。

 「囚人めしうど」とされ、伯祖父おおおじである、景義の預かりとなった。

(第一部・第36話)


 この作品では、有常の母は、『群書類従』の系図の「伊東祐継女」を採用。この説に、妙な迫力とリアリティを感じたためである。



【作中・略系図】


┌【景義】

│   伊東祐継(前夫)

│     ∥

│     ∥ ―――――――― 波多野尼 

│     ∥           ∥

└―― 景義妹(宇佐美姫)     ∥―― 【有常】

      ∥           ∥

      ∥          波多野義常

      ∥

      ∥ ―――――――┬ 正光(宇佐美)

      ∥        └ 実正(宇佐美)

      ∥

    大見(後夫)




※ 黒鬼の縄五


 景義配下の雑色ぞうしきで、山木戦、石橋山戦をともに戦った。

(第一部 第28話)


 これらの合戦で、景義の郎党ろうとう・雑色の多くが犠牲となったため、戦後、縄五は功を認められ、郎党に出世したのである。




※ 長江 太郎 義景


 もともとは鎌倉一族で、鎌倉権五郎の直孫。

 三浦大介義明の婿となり、治承の合戦では、三浦家とともに行動。房総半島に渡った三浦軍とともに、新生した頼朝軍の中核を担った。


 大庭景親の検断沙汰の際に、景親の梟首を求め、景義の弁護を論破した。

(第一部 第33話)



【作中・略系図 鎌倉一族】


┌景村 ― 景明 ┬ 景宗 ┬【景義】(大庭・ふところ島・平太)

│        │    ├ 景俊(豊田・次郎)

│        │    ├ 景親(大庭・三郎)

│        │    ├ 景久(俣野・五郎)

│        │    │

│        │    └ 宇佐美姫 ┬ 実正(宇佐美)

│        │           └ 波多野尼 ― 【有常】  

│        │    

│        └ 景弘 ┬ 為宗(長尾・新五)

│             └ 定景(長尾・新六)

└景成 ―【景正】― 景継 ―【義景】(長江・太郎)

      権五郎

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