第83話 景親、虜囚となること
三
ふところ島の、ひっそりとした雑木林の一角に、子供の背丈ほどの五輪塔が四基、建てられている。
これらが罪人たちの供養塔であるということは、領民にさえ知らされていない。
三郎景親、陽春丸、波多野義常……そして新たにふたつ、景義は
大きなものは、俣野五郎景久。
その脇のちいさなものは、左七のものである。
床几に腰を沈めた景義は、香を焚き、手向けの花を供え、三郎景親と五郎景久、ふたりの弟たちの人生に思いを傾けた。
静かに
今は昔――
平治元年のこと、
保元合戦から三年余の後、都では平治合戦が勃発した。
権力の
義朝と坂東諸氏連合は、平清盛率いる皇軍に対して起死回生の戦に討って出たが、むなしく敗残、東国へと壊走した。
十四歳になった頼朝が捕らえられ、伊豆国に流罪とされたのは、この時のことである。
鎌倉一族を率いて義朝に従軍した景親は、粉雪舞い散る乱戦のなか、敵軍に取り囲まれ、生け捕りにされた。
その身は、都の東獄舎に
便壷だけが寂しく置かれた独房――
それから幾日もたたぬうちに、景親は看守の立ち話によって、義朝の首が獄舎の門に
さらに一月もたたぬうち、今度は義朝の長男、二十歳の義平の首が晒された。
景親は過ぎ去った遠い日々を偲び、涙した。
義平というのは、昔、景親が義朝からかどわかした、源太丸のことであった。
「あずま野に……ともに遊びし
思いあふれて詠んだ歌に、義平の幼き日の面影や、坂東に残してきた妻子の面影が次々と重なり、景親の胸を切なく締めつけた。
(わが首が晒されるのは今日であろうか、明日であろうか)
恐ろしい死の不安にさいなまれながら、景親は苦しい虜囚の日々を過ごすこととなった。
◆
敗戦、そして盟主義朝の死――。
この驚天動地の急報に、坂東諸氏は鎌倉に駆けつどい、緊急の評定を開いていた。
そこには景義の姿もあった。
その頃のかれは、ふところ島で黙々と養生の日々を送っていたから、平治合戦の勃発も終結も、寝耳に水であった。
「貴様らッ、なぜ
義朝に心酔して忠誠を誓っていた悪四郎は、苦りきった表情で満座の人々を
かれは坂東にいて、またもや合戦に参加することができなかったのである。
悪四郎の腹は、口惜しさで煮えくり返っていた。
都から落ち延びてきた武者たちは言い返す言葉もなく、ただただ沈黙するほかなかった。
「かくなるうえは坂東諸氏の大軍をふたたび集め、都へ討ち入ろうぞ」
悪四郎は拳をふりあげ、人々の決起をうながした。
ところが、である。
「黙れィッ、悪四郎。貴様、いつからそのように偉くなったかッ」
斬り裂くように一喝したのは、兄の三浦
義明は思慮深く、鋭い目で、人々を見回した。
「
老獪な氏族の長たちは、静観をつづけることで意見をひとつにした。
(甘い、甘すぎる――)
評定が終わった後も、悪四郎は
――集まったのは、悪四郎と景義のふたりきりだった。
「おまえだけか……」
悪四郎は、閉口した。
「とりあえず、俺の屋敷に来い」
かれは景義を促し、大股で歩き出した。
ふと見ると、景義は大きな杖に寄りかかり、よろよろとよろめきながら、いかにも難儀そうについてくる。
ふたりは無言で、それぞれの馬のところまで来た。
悪四郎はしばらくのあいだ、思いつめた目つきをしていたが、突如、拳をふりあげると、歯軋りとともに、
「仕方ない、二騎だけでも都へのぼり、清盛を討つッ」
そう言い放った途端、懸命に馬によじ登ろうとしていた景義が、ごろごろと音を立てて地面に転がり落ちた。
……これを見て、悪四郎の気勢は、急激に萎えてしまった。
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