第60話 為朝、大カブラを放つこと

 景義は弟を背後に残し、ひとり抜きんでて馬を駆けさせた。


 対する為朝も、鎌倉権五郎の有名な武勇譚は、聞き及ぶところである。

「名にしおう権五郎に敬意を払おうぞ。派手に射殺してくれよう」


 為朝は今度は『大ノミ』ではなく、特別製の鏑矢かぶらや――『大カブラ』を背から抜きとり、弓につがえた。

 やじりが二股になった、幅広の雁又かりまたで、より大きな殺傷力を持っている。


「堕ちよ」

 相手の鎧の腰の隙間を狙いすまし、為朝は『大カブラ』を放とうとした。


 すると、景義の馬が思いもよらぬ方向に変化した。

 定石の走路を大きくはずれ、意表を突き、左に急旋回したのである。

 為朝は弓束ゆづかを迷わせた。

(ッ、妙な動きを……)


 急加速した景義の馬は、為朝の射程圏内を大胆にも横切り、為朝の馬尻へ飛び込もうとしている。

 為朝の死角を取るつもりなのだ。

(させるかよッ)


 一閃、為朝の『大カブラ』が放たれた――


 鏑の長鳴りの、耳をつんざく叫び声が空を裂き、戦場の隅々にまでとどろきわたった。

 火を噴かんばかりの勢いで、数段の距離を一瞬に縮めて飛び迫ったその凶器は、景義の左膝の肉をえぐり、骨を粉々に粉砕した。


 だがその激痛をものともせず、景義は大きく――ニッカと笑った。

(ハァーッッ、ここよッ)

 かれが狙っていたのは、まさしくこの瞬間だった。

 ――死中に活あり――

 この矢あわせに飛び込んだ初めから景義の胸に燃えているのは、先祖権五郎の魂よりほかの何物でもない。


 景義のまなこは、やじりの先にハッキリと、為朝の大きな背中を捉えていた。

(オレの勝ちだァッ)

 快哉を叫んだ景義の全身に、猛烈な勝利の快感が先走った。


 次の瞬間――

 突如としてドウッと、馬が屏風倒しに右に倒れた。

 何が起こったのかもわからぬまま、景義は宙空に放りだされた。

 放ちかけた矢は狂い飛び、むなしく地面に突き立った。

 体は勢いあまって、うつぶせの格好のまま、左前方に飛ばされた。

 地面に降り立とうとしたが、左膝が利かない。

 景義は不様ぶざまに大地に叩きつけられた。


 ――実際、ありうべからざることが起こっていた。


 景義の膝を割り砕いた為朝の『大カブラ』が、そのまま一気呵成にあぶみを断ち切り、驚くべきことに、馬の腹までをも射通していたのだ。

 馬は苦痛と衝撃に耐えられず、横倒しに倒れた。

 それは予想だにせぬ、恐るべき破壊力であった。


「大庭平太の首、いただかんッ」

「我こそッ」

 敵の雑兵たちが、どっとたかり寄ってくる。


「一大事ッ」

「殿を救えィ」

 と、助秋ら、大庭の郎党たちも大慌てで寄せる。

 三郎景親が手際よく、気絶した兄を自分の馬に担ぎあげ、単騎、戦場から離脱した。





 為朝は二の矢を番え、景義にとどめを刺すべきであった。

 しかしどうしたわけか、矢を取ろうともせず、呆然として、ついには大庭兄弟を見逃してしまった。


(なぜ当らなかったのか……)

 為朝の狙いは、景義の腰骨であった。

 それが下に逸れて、左膝に当った。

 百発百中の腕前を持つ為朝であるだけに、その困惑と不快感は、いつまでも胸を去らなかった。


(大庭平太……奴は日本一の冥加者みょうがものか? ……いや、運だけではあるまい……)

 為朝の意地に火がついた。

 かれの剛弓は、なおいっそうに精度を増し、一本たりとも矢を無駄にせず敵を撃ち殺した。



 だが、為朝ひとりの奮闘には、限りがある。

 ついに合戦は、兄義朝の側に軍配があがった。

 白河北殿は焼け落ち、崇徳上皇は捕らえられた。


 義朝の父、源為義は『降人』として投降するも、斬首された。

 為朝もついには捕えられ、二度とその剛弓が使えぬよう、両肩の関節を外され、のみで両腕の腱を切断され、伊豆大島に流罪となった。


 ところが源為朝という男は、あきらめることを知らぬ、生来のつわものであった。

 臥薪嘗胆がしんしょうたん……ひたすら両腕の回復に努めた末に、ふたたび弓を握り、矢を飛ばせるまでに至った。


 ――二十年後、大島で反乱を起こした為朝は、工藤、伊東、加藤景廉、宇佐美兄弟ら、伊豆の武者たちによって討滅されることになる。

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