第59話 景義、無双のつわものと闘うこと




   四



 保元元年――


 突如として、都に戦乱が巻き起こった。

 保元の乱である。

 天皇の取り巻きと、上皇の取り巻きとのあいだの激しい権力闘争が、合戦を巻き起こしたのだ。


 義朝は坂東諸氏連合を率い、後白河天皇のもとに参戦した。


 対する崇徳上皇のもとに参戦したのは、義朝の父の源為義ためよし、そして義朝の弟たちであった。

 八男、源為朝ためともの姿もそこにあった。

 ……はからずも源家は、父子兄弟が敵味方に分かれ、骨肉こつにく相食あいはむ情況に陥った。



 七月ふみづきの、蒸し暑い夜であった。

 風は一筋ひとすじだに、そよともせず、都の大路には塵ひとつ動かない。

 湿気を含んだ不快な温気うんきが肌に重たくへばりつく。

 集まった武者たちは数百騎、鎧の下で汗だくになり、汗と革との強烈な臭気のなかに閉じ込められたまま、文句ひとついわず、じっと息を潜めていた。


 やがて、出陣の号令がくだされた。


 義朝軍は東三条の御所から発し、鴨川を東へ渡り、敵方の白河北殿を目指した。

 この時、義朝軍がむかう西の門を守っていたのが、源八郎為朝の軍勢であった。


 景義は弟の三郎景親以下、大庭の家子郎党を従えながら、義朝軍の先頭にいて、武者ぶるいを止められずにいた。

 いよいよ花の都で、天皇の御軍として戦うのだ。

 つわものとして、これほどの栄誉はない。


 耐え切れぬほど高まる緊張感に、そっと右腰のえびらに指先を触れた。

 そこには星月夜の御方からいただいた、金鷲羽の御守が納められている。

 息を少しずつゆっくりと吐き出し、天の加護を祈った。


「おい、助秋」

「は」

 ッと差し出された瓢箪ひょうたんから、牛の乳を、ぐびりと呑む。


 やや落ち着きを取り戻した景義は、篝火に照らし出された敵陣を見はるかした。

 すると驚くべきことに、一瞥しただけで敵将為朝の姿を見つけることができた。

 それは為朝という男が、身のたけ七尺の巨人だった為である。

 まわりの武者に比べ、頭がひとつもふたつも上に飛び出ている。


 巨人は八尺五寸の特製の大弓を握り、獅子の金細工を打った大鎧を軽々と着こなし、篝火かがりびを背後に従えて、天降あまくだった軍神のごとくに身を輝かせている。

 景義は、激しい畏怖を覚えた。

 その恐るべき姿は一生涯、かれの脳裏に焼きついて離れなかった。


 ――八郎為朝というのは、弓矢取りである源氏の累代の血脈が産み出した、奇跡的な傑物といってよい。

 生まれつき、左腕が右腕より四寸長い。

 左腕が長ければ、それだけ深く、弓を引き絞ることができる。

 弓手としては、天与の体型であった。

 齢わずか十八。

 しかしながら十三の頃より鎮西ちんぜいにおいて合戦の日々を積み重ねてきた手練れの武者でもある。


 その為朝が、五人張りの剛弓を引き絞って矢を放てば、狙いを違うことはひとつもなく、人は鎧ごと貫かれ、血反吐を吐いて落馬した。

 かれの使う征矢そやは、数多あまたの戦のなかで、みずから熟考を重ねて造りあげた特別製の矢で、大きなのみの刃にも似た、独特のやじりがすえつけられている。


 為朝はまず、敵陣正面中央の義朝にむけ、この『大ノミ』を放った。

 征矢はぎゅるんぎゅるんと旋回し、凶暴なあぶのように唸りながら、義朝の兜の端を削り取り、またたくまに背後の闇へと消えていった。


 激しい衝撃を受け、義朝は赫怒かくどした。

「八郎ッ。貴様、兄にむかって弓を引くかッ。神仏の加護を失おうぞ」

 突き刺すような兄の声に、為朝は地響きするような笑い声でいらえた。


「父親にむかって弓を引く方の御言葉とも思えませぬなァ」

 どわっと、為朝の陣営が笑いにつつまれた。


 ――実のところ、為朝に兄を殺そうという気はない。

 殺すつもりならば、百発百中の腕前、すでに射抜いている。

 単なる威嚇であった。


「生意気なッ」

 怒りをたぎらせた義朝が、攻撃の号令をくだすと、景義の馬が、いの一番に躍りあがった。

 景義の出番は、まさにここだった――

 幼い頃からの尋常ならざる努力の積み重ねは、まさにこのひと時のためのもの――  

 ありったけの力をこめた見事な大音声だいおんじょうが、暁の闇を切り裂いた。


「奥州の合戦にィッ、出羽でわ国金沢の城を攻めたまいし時、十六歳にして戦の真先に駆け、鳥の海の三郎に右の眼を射つけられながら、答の矢を射返してその敵を討ち取りし、鎌倉権五郎景正が末葉ばちよう、大庭平太景義」


「同じく、三郎景親」

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