第42話 景義、娘に語ること

 一行は馬に乗り、そのまま甘縄の道を北上し、景義の娘――甘縄あまなわ姫の屋敷を訪れた。


 この屋敷地もまた、古い由緒ある土地で、長年、鎌倉一族が貴人を迎えての宿館として保持していた場所である。


 頼朝入府の頃には、使用に耐えぬほど古びて荒れ果ててしまっていた。

 しかしその後、景義が娘に譲るにあたっては、屋敷を新造し、前栽せんざいの庭も美しく造りこみ、都人がいつ訪れても恥ずかしくない有様を取り戻していた。


 出居いでいから眺める壺庭は、よく手入れされた様子で、ここにも色とりどりの額紫陽花がくあじさいが咲き初めている。

 中央に寄り集まる細かな砂のごとき小花は、あまがわをうずめる星屑のよう。

 その星屑のまわりを、ひときわ目を奪う明星のように、四弁よひらの花々が誇らしやかに取り巻いている。


 しばらくすると甘縄姫が、織女おりひめのごとき上臈の気品をもって現れた。

 齢は二十ほど。

 豪奢なうす紅の花摺はなずごろもをまとい、胸には赤子を抱いている。


「おうおう、弥九郎丸よ」

 景義はもの慣れた様子で、いとおしげに、孫を胸に受け取った。

 赤子の抱き方を心得ている。

 たくさんの花々を刺繍した上質の産着に包まれて、赤ん坊は嬉しそうに、あわあわと手のひらを泳がせた。


「綺麗なおべべじゃのぅ」

「おなかにいる間に、たくさん産着を縫ったのです」

 甘縄姫は、得意げに笑みながら言った。

「そうかそうか、それは弥九郎丸も嬉しかろうのぉ。……どうじゃ、出産後の体調は?」

「すっかり元に戻りました。毎日、家の者たちを連れて、甘縄宮と御霊社の清掃は欠かしません」


「なるほど、どおりで。先ほどお参りしてきたのじゃが、よく清掃されておったよ。そなたは偉いのう。……だが、くれぐれも無理はしてくれるなよ。そなたの体が大事じゃ」

「はい。お父上も、お加減が悪いとお聞きいたしましたが……」

「なに、心配無用、すっかりよくなったよ。わしのことよりも、そなたのことよ。婿殿とはどうじゃ? うまくいっておるか?」

「ええ、きみは、やさしうござります」

「そうか。正妻の内侍ないし殿とは?」

「はい……」

「難しいか」

「いえ……」

 甘縄姫は、やや言葉をためらわせた。


「内侍殿は、からっとした、垢抜けされたお方でござります。わたくしにも、よくしていただいております。けれど……」

「む?」

「私は弥九郎丸を自分の手元で育てたいのですけれど、背の君と内侍殿は、自分たちの養子として引き取ると……」

「そうか、それで悩んでおったか……」

 景義は、うむうむとうなずいた。


「なに、安心せよ。形だけのことじゃ。正妻の内侍殿が、弥九郎丸を養子にされるということは、どういうことか、わかるかな?」

「どういうことでしょう?」

「弥九郎丸が、この家の嫡男になるということじゃ。つまり婿殿は、鎌倉一族の顔を立ててくれておるのじゃ。婿殿、内侍殿、そしてわれら鎌倉一族。三つの家の和合が、つまり、弥九郎の養子入りということじゃ」

「はぁ……」

 若い娘は一生懸命、眉間に皺を寄せて考えこんだ。


「なに、そう難しい顔をせんでも、大丈夫じゃよ。婿殿も内侍殿も、世慣れたお方たちじゃ。わしからも出来るかぎり、弥九郎丸をそなたの手で育てられるよう、頼んでみようぞ」

「父上」

 娘の顔に、ようやく血の気がさした。


 甘縄姫は、思い出したように「そうそう……」と呟くと、お付きの女房に頼んで、ひとつの小箱をもってこさせた。


 ――綺麗な漆塗りの箱である。


 ふたを開けば、真綿がしきつめられたその上に、景義が戦場で携えていた、黄金の羽根の御守が入っていた。

 父が持っていた頃よりも、いっそう綺麗に磨かれている。


「婚儀の夜に『御守おまもりに』といって、わたくしにくださったでしょう? この御守の話を、してくださる約束でした」

 ハッハッハと笑って、景義は扇で膝を叩いた。

「そうかそうか、忙しさのあまり、すっかり忘れておったわい」

 父親らしい温厚な瞳で、景義は娘の顔をじっと見守りながら言った。


「……昔のことじゃよ。われらが一族に、美しくも気高い御前様がいらっしゃった。お前はそのお方に、顔立ちがよく似ている」

「どのようなお方だったのですか。聞かせてください」


 物語にせよ、故事にせよ、子供たちはちいさい頃から、父の膝でいろいろな話を聞かされて育った。

 甘縄姫もひさしぶりに、父独特の語り声が恋しくなっていた。

 にわかに童心に戻り、父親のほうに膝を寄せた。


(あ……)

 ふと、心づいた。

(父上の匂いがする……)

 特別、香を焚きしめるわけでもなく、汗くさい……といってはそれまでだが、男らしい自然な体臭。

 この姫にとっては、心を落ち着かせてくれる、なつかしい匂いであった。


「そう、あれはわしがそなたと同じくらいの年の頃……ふところ島の領主となって間もなくのことであった。あのお方は、『星月夜ほしづくよ御方おかた』と呼ばれていた……」


 遠い日の面影を探すように、庭の紫陽花に目をむけ、景義は語りはじめた。

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