第26話 景義、狂憤すること
「平太――あなたはなんという愚かなことを。怒りを鎮めなさい。あなたは怒りに目が眩んでいる。目をお覚ましなさい」
毘沙璃は三郎の脇に座りこみ、かばうようにその背を抱いた。
それを見るなり、景義は背筋が氷のように冷たくなるのを感じた。
毘沙璃は、言った。
「三郎殿はまだこんな年若でありながら、一族の期待と重荷を一身に受けて、悩みが多いのです。私は、私ができることならば、この人を助けてあげようと思っています。あなたも兄ならば、弟を助けておあげなさい」
景義は顔面を蒼白にして、責め立てるような調子で言った。
「……そうか、毘沙璃、あなたまでもが、オレより三郎のほうを選んだというわけだ」
「そういうことではありませんッ」
「そういうことじゃッッ」
景義は叩きつけるように叫んで、もはやそれ以上は怒りのために言葉にならなかった。
冷然と背をむけ、足元の草花を荒々しく踏みつけながら、景義は立ち去っていった。
「誤解されてしまいましたね……」
かたむいた烏帽子もそのままに、三郎が心配げに呟くと、毘沙璃はもの憂げに、長い睫毛を伏せた。
他人から男女の仲と疑われぬよう、人目につかぬところで舞の稽古をしていたのが、裏目に出て、逆に、あらぬ疑いをかけられてしまった。
景親は、言った。
「私は、あなたとの仲を、誤解されてもいい。でも、あなたは、不犯の誓いがありますから、疑われれば、困るでしょう?」
「いいえ……」
と、毘沙璃は、首を横にふった。「不犯の誓いは、神との誓いです。他人が疑っても、自分が守っていれば、なんの差し障りもありません。けれど……やはり、ふたりきりで会うのは、もうやめましょう」
毘沙璃としては、童のような気持ちで、舞を楽しんでいただけだった。
そのような無邪気さが、傍目には許されぬ年頃になっていることを、この時、身をもって理解したのである。
景親は、「残念です」と、呟きつつ、駄々っ子の若君の戯れのように、毘沙璃の手をとろうとした。
「三郎殿」と、毘沙璃は、ぴしゃりとたしなめて、若者の手を遠くに押しやった。
◆
景義はふところ島にむかって、狂ったように馬を奔走させた。
馬は、主人の豹変に驚いたことであろう。
行きは仏を背に乗せ、帰りは鬼を乗せたのである。
屋敷に飛び帰るや、もどかしく烏帽子を投げ捨て、戸をきつく閉ざし、頭を抱えこんで横になった。
(オレの知らぬ間に、ふたりはあのように親密に楽しんでいたのか)
嫉妬の火炎が、黒々とはらわたを焼いた。
(……毘沙璃は……三郎の馬に
不快な想像であった。
こみあげてきた怒りに
(毘沙璃は、オレの持っていった花籠を見たろうか)
かれが持っていったちいさな花籠は、あの藤の花室の風雅な光景とは比ぶべくもなく田舎じみていて、今となってはそれが、とてもちっぽけな物に思われてきた。
ふところ島の女たちが気をきかせてくれた真心の品だけに、いっそうにやるせなかった。
悲しみの涙がぼろぼろと流れ落ち、
やがて心に静けさが戻ってくると、一時の激情に任せて愚かなふるまいをした自分に、猛烈な自己嫌悪が頭をもたげ、純朴なかれを苦しめた。
(自分が情けない。もはや二度と、毘沙璃には会うまい。いや、会えまい)
青年は闇のなかでひとりきり、いつまでも悶え苦しんでいた。
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