第23話 景義、春の野を巡ること




  四



 数年後――


 花菜はなな藤菜たんぽぽすみれ躑躅つつじ石楠花しゃくなげ紫蘭しらんほとけ……花咲き乱れる晩春の野辺に、景義は馬を巡らせていた。


 菜摘みの女たちの姿が見える。

 小袖こそでの腰に布を巻き、背に赤子を負った女たちは、めざとくかれの姿をみつけると、笑顔いっぱいに呼びかけた。

「若様、若様っ」


 景義が馬を制すると、女たちは元気に走り寄ってきて、若い領主を取り囲んだ。

「ま、今日もいい男じゃね」「お召しも素敵じゃよ」「馬も立派じゃあ」「どこへ行きなさるの?」「ああ、わかった」「なあに?」「また鵠沼くげぬまでしょう」「あ、当った、図星じゃ図星じゃ」

 黄色い笑い声が弾けて、女たちの息つく間もない軽快なおしゃべりに、景義はたじたじになった。

 いったいどこから聞きつけてきたのやら……かれが鵠沼の巫女に夢中なことを、女たちは耳ざとく知っている。


「うるさいうるさい、さ、道を開けておくれ」

 それでも女たちは、いっそうのこと、まとわりつき、遠慮なく景義の直垂ひたたれに触れてくる。

「危ういぞ、危ういぞ、馬に蹴られ申すな」

 景義は腕を差し伸べて、女たちを押し返す。


 するとふいに、女のひとりが籠を差し出した。

「若様、持っていきなされ」

 籠には野の花がいっぱいに薫っている。

「すまぬ」

 受け取ると、また別の女が「これもっ」と、餅の入った包みを差しだした。

 景義は礼を言いながら受け取った。

「お気をつけて」

「がんばるんじゃよ」

 声をあわせて笑いはじける女たちを背に、景義は苦笑しながら馬を駆けさせるのだった。





 神明宮の鳥居は、胡粉ごふんを塗り重ねて化粧した、純白の鳥居である。


 抜けるような白色が、樹々の新緑とまじわって、爽やかな輝きを放っている。

 風に翼をひろげる白鳥くぐいのような姿をしたこの鳥居を見るたび、景義の胸は高鳴った。


 赤い新葉に萌える百日紅さるすべりの、つややかな幹に縄をつなげば、馬が鼻面をじゃれさせてくる。

「よしよし、ここで待ってろ」

 景義は花籠を抱え、上機嫌で鳥居をくぐった。


 童巫女わらわみこに尋ねると、残念、毘沙璃は出かけてしまったという。

 どこへ行ったかも、いつ帰ってくるかもわからないという。

 景義はため息をつきながら、花籠を手渡した。

「枯らさぬようにな。オレからだと、毘沙璃に伝えてくれ」

 花々のあかるい色、土の匂いの入り混じった新鮮な薫り、……景義の若い胸はときめいた。


 鳥居のたもとに戻ると、馬は、呑気に草をはんでいた。

 首筋の毛並みを軽くたたき、景義はつぶやいた。

「毘沙璃はとよ。やれやれ。オレも餅でも食うか」


 天の目――日輪てんのめが、はるかな空の高みから、白々とした光を投げかけている。

 包みをあけて餅にかぶりつきながら、ぼんやりと東のかたを見つめていると、なにやら丘の上の空が、やさしげな色あいに泡だっていた。

尾上おのえの桜、咲きにけり……とな」


 おそらく丘の上では、八重桜や霞桜かすみざくらなど、遅咲きの桜が咲き乱れ、藤花が紫の雲のように、たなびいているのであろう。

(行ってみよう)

 心そぞろに、景義は手綱をとった。

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