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2023年7月6日 08:04
名前がない!?この間読ませていただいた『平安鎌倉よもやま話』にはたくさん名前の話がありましたが、庶民のそれも女子の名前というと、特に言及がなかったですよね。でも昔の子供はたくさんいるから、何か相性のようなものはあったのでしょうね。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます!ふところ島という場所が、大庭御厨内でも、開発が一番遅れていたような辺境の場所なので、そこで畑を作っていたこのおとっつぁんも、かなり原初的な人々であることは、間違いありません。「娘」とか、「やや子」とか、呼びかけていたものと思われます。幼児の性格が定まってきたら、それに見合った名前をつけようという気持ちは、あったと思います。……そういう人たちが住む辺境の地に来てしまった……というシーンでした^^余談ですが、、、「アイヌの人びとは、子どもが生まれるとすぐには名前を付けず、少し成長して子どもがどんな性格なのかはっきりしてきたら、その子にふさわしい名前を付けました」http://www.museum-obihiro.jp/riwka/culture/08……このシーンを書いていた頃には、このあたりの話に、日本人の原初の習俗を考えていたように思います。
名前がない!?
この間読ませていただいた『平安鎌倉よもやま話』にはたくさん名前の話がありましたが、
庶民のそれも女子の名前というと、特に言及がなかったですよね。
でも昔の子供はたくさんいるから、何か相性のようなものはあったのでしょうね。
作者からの返信
コメント、ありがとうございます!
ふところ島という場所が、大庭御厨内でも、開発が一番遅れていたような辺境の場所なので、そこで畑を作っていたこのおとっつぁんも、かなり原初的な人々であることは、間違いありません。
「娘」とか、「やや子」とか、呼びかけていたものと思われます。
幼児の性格が定まってきたら、それに見合った名前をつけようという気持ちは、あったと思います。
……そういう人たちが住む辺境の地に来てしまった……というシーンでした^^
余談ですが、、、
「アイヌの人びとは、子どもが生まれるとすぐには名前を付けず、少し成長して子どもがどんな性格なのかはっきりしてきたら、その子にふさわしい名前を付けました」
http://www.museum-obihiro.jp/riwka/culture/08
……このシーンを書いていた頃には、このあたりの話に、日本人の原初の習俗を考えていたように思います。