第21話 義朝、海の光を浴びること




   三



「あそこまで景宗めを追いつめておきながら、御曹司おんぞうしはなぜ、あの男を認めたのです?」

 長江の屋敷では義景が、三浦義明に噛みついていた。


 その言葉に間をおいて、義明は静かに答えた。

「あのお方は、わしやそなたが考えるよりも、もっと大きなことを考えておられる。あのお方が相手にしておられるのは、都よ。都に大きな地歩を占めるため、今は東国の安定こそが重要……そう考えておられる」

「私では安定せぬと?」

 生硬なを、義明は鼻で笑った。

「太郎殿……和殿はまだ若い。これからたくさん、学ばねばならぬことがある」

「しかし」


 まだ抗弁する義景を、大介義明は声をやわらげてさとした。

「この度、そなたら兄妹きょうだいが得た土地の大きさを考えてみよ。御曹司が奪い返してくれねば、そなたらは泣き寝入りせねばならぬところじゃった。御曹司にはよくよくお礼申しあげるのじゃぞ」

「……」

 額を押さえこみ、義景は力なく首をふった。


 これまで一族総領の嫡男として、なにひとつ自由にならないものはなかった。

 そのかれが、この世には自分の力ではどうにもならぬことがあるのだと、このとき初めて、身をもって悟ったのである。


「さて、わしは婚儀の準備で忙しい。失礼する」

 義明は、そそくさと席を立った。

「婚儀ですと?」

 義明はうなずいた。

「悪四郎が、中村に婿入りすることになったのだ。御曹司が両家の仲をとりもってくださってな。この度の戦働きの活躍を認められ、これからは岡崎を領することになる。あの破天荒な男にも、そろそろ落ち着いてもらわねばならぬ」

「左様でしたか……」


 義景が亀谷を訪れると、義朝は南の居間で釣竿の手入れをしているところだった。

 義景は、この度のお礼にと、いくらかの鎌倉の土地を寄進することを約束した。


「これからは、鎌倉太郎と名乗るか?」

 と、義朝が尋ねると、義景は憮然とした表情で首をふった。

「いいえ、……今までどおり、長江太郎で結構です」

「どうして?」

「私は鎌倉一族を憎みます。私を捨てた、鎌倉一族を。鎌倉の名は私にとって、今や永久に敵となりました。これよりは、三浦一族として生きてまいります」

「つまんねぇところにこだわるんだな。鎌倉でいいじゃねぇか。大きく行こうぜ」

「いえ、私には許せません」

「……」

 義朝は、義景という人間に、今初めて会ったような顔つきになって、そのかたくなな表情をつくづくとうち眺め、内に秘められた頑固な性格を推し量った。


「そうか、まあいいさ。好きにしろ」

 義朝は微笑し、膝を叩いた。 

「よし、なんにせよ、ひと段落だ。沼浜ぬままへ、みなで釣に行くぞ。葉柴はしば

と、かれは奥方の名を呼んだ。

「源太丸を連れてこい。義景、お前の奥方も、妹の杉本姫も、みんな連れて行こう。義宗、義澄……三浦の兄弟は舟を用意しろ。大きいのじゃなきゃダメだぜ。一番、大きいのでなけりゃぁな。政清まさきよ俊綱としつな、みなみな、とくとく準備せよ」


 義朝は若者たちを連れて沼浜の海に繰り出し、日がな一日わいわい楽しく、釣りや舟遊びを楽しんだ。

「源太丸、おっこちるなよ」

 義朝は、源太丸の首根っこをひっ掴まえ、舷側の板にまたがって叫んだ。


「おい、今日の夕餉は、でッかいサバを丸あぶりにして食いてぇぞ」

「殿、ちとお待ちを……」

 と、一の郎党の政清が、波のかなたを睨みすえながら答えた。

「お、釣れましたぞ」

 鋭く波を切った政清の糸の先に、青い魚がぴちゃりと跳ねた。

 まったくの小魚であった。

「アジじゃねぇか、サバだっつってんだろっ」

 思わず義朝は、政清の後ろ頭をはたいた。

「よし、代われ。俺に任せろ」

「いやいや、まだ政清はあきらめませぬぞ」

「任せろっての」


 男ふたりの釣竿の奪い合いに、舟はぐらんぐらん揺れて、波しぶきがふりかかり、女たちの派手な悲鳴があがった。

 日焼けした肌に、海原の光を浴びながら、義朝は腹の底から笑うのだった。

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