第二章 白鳥と若駒 (くぐいとわかごま)
第15話 景義、有常を慰めること
第二部 新 都 鎌 倉 編
第二章
一
鶴岡八幡宮の造営は予定どおり、順調に進んでいた。
視察に訪れた頼朝は、境内の作業工程を熱心に見てまわった。
本殿では作事奉行の景義が、両手に杖を握りこんで待っていた。
「
――武衛とは、頼朝のことである。
御家人たちは近頃、かれをそう呼んでいる。
自分たちの頭領に、いっそう箔をつけようという工夫であった。
無骨な人足たちに入りまじり、有常がいつものようにまじめに、汗まみれになって働いていた。
このように献身的に働いている少年の姿が、頼朝の目にとまれば、ひょっとしたら恩赦をいただけるかもしれない……景義は心中、淡い期待を抱いていた。
その思惑どおり、頼朝はふと足を止め、有常のほうに
――好機到来、すかさず景義は指さした。
「あれは先日、武衛様が
「そうか……それは結構だ」
頼朝は忙しかった。
――景義の思惑は、当てがはずれた。
◆
……日も暮れて、仕事から戻った景義は、屋敷の離れをのぞきに行った。
戸口には夕食のお膳が、手つかずに置かれたままになっている。
「有常や」
景義は屋内に杖を突き入れ、暗がりに少年の姿を捜した。
葛羅丸が差し入れた灯りが、暗闇を追い払う。
部屋の片隅で膝を抱えていた有常が、鬱々と顔をあげた。
(なんじゃ、泣いておるのか……)
頬に垂れた涙のしずくに、景義は気づかないふりをした。
「どれ、一緒に一杯やろうぞ」
にやり笑って、どっかと座りこむと、
「私は酒は、ほとんど飲んだことが……」
「なに、牛の乳じゃよ。そなたは波多野の子ゆえ、飲めるじゃろ。……波多野は古来より、乳の産地じゃからのう」
「はい、嫌いではありません」
景義は木椀に乳をそそぎこんだ。
人足たちの輪のなかになかなかとけこめず、ひとり孤独に働いている有常の姿を、景義は知っている。
「仕事はつらいか」
「まだ、慣れませぬ」
「そうか。慣れぬが当たり前。そなたにとっては、今まで想像すらしたこともないことをやってのけておるのじゃからな。黙って耐えておるだけ偉いものじゃ。わしがおなじ年頃だったら、尻尾を巻いて逃げ出したかもしれぬわい。そなたは強いよ。そりゃ、飲みなされ」
有常は乳を、なんの抵抗もなく喉に流し込んだ。
ところがたちまち、ぶほっと、むせかえってしまった。
「大おじ上っ、酒ではありませんか」
「ぶはははは、たまには酒もよいぞ。飲んでみよ。急がず、あせらず、ゆっくり、ゆっくり、舐めるようにな」
たどたどしく、にごり酒に唇をつける有常を、景義は包みこむような
「今は苦しかろう。だがもうすこしの辛抱じゃ。この苦しみは必ず、そなたの血となり、肉となって、そなたを支えてくれる。もうすぐ八幡宮の作事も完成する。そうしたら、『鎌倉に名だたる鶴岡八幡宮は、俺の手で造ったのだ』と、おおいに自慢してよいのじゃぞ」
「どれ」と、景義は片膝でいざりながら有常の背後に回りこみ、肩を揉みしだき、上腕をほぐしてやった。
「大おじ上……大丈夫ですから……」
遠慮がちに、照れながら、有常は身を縮こまらせた。
まだ大人になりきっておらぬ細腕を、景義は大きな手のひらに包み込んだ。
「見てみよ。そなたの
「そうでしょうか?」
「見違えるほどじゃ」
……
しばらくのあいだ揉みほぐしてもらっていると、冷たく凝り固まって石のようになっていた体がほどよい熱を帯び、軽くなってゆくようだった。
「大おじ上、また、昔の話を聞かせてください」
「うむ、そうしようか。話を聞きながら、飯を食え。わしもしゃべりながら、一杯やる」
「はい」
有常は身も心も軽くなったように立ちあがると、戸口に置かれたままのお膳を取りに行った。
「この前は、どこまで話したかのう……」
「大おじ上が元服してから、毘沙璃さまに、つれなく、ふられた所までです」
「ふぉふぉふぉ、そうじゃった。『
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