第14話 平太丸、元服のこと

 やがて平太も十三歳、元服の時を迎えた。

 この式によって、晴れて「成人」と認められるのである。


 鎌倉の由比郷には、権五郎以来の総領屋敷がある。

 その夜、国中から血族縁者が集まり、式に立ち会った。

 元服式は本家の太郎丸、豊田の平太丸、合同で行なわれた。

 太郎丸は上座に、平太は大人たちに指示されたとおり、末座に座っていた。

 主役はあくまで太郎丸であり、平太はいわば、太郎丸を引き立てるための添え物であった。


 太郎丸は弓馬の名手であり、頭は利発、権五郎の嫡孫にふさわしく、体つきも態度も堂々として、まさに若武者の鏡であった。

 太郎丸の素晴らしい若武者ぶりを、平太は惚れ惚れと見つめるだけだった。

(太郎丸には、とてもかなわない……)

 平太は会うたびに、いつもそう思った。

 一生をこの人の下で生きていくのだろう……そう考えた時、自分が一族の主になるのだという、毘沙璃のとんでもない予言が、遠く透きとおる夕星ゆうづつの光のように、切なく胸を焦がした。

(ありえない)

 平太はひとり、心のなかで苦笑にがわらいした。


 その時、ふいに上座のほうから声がかかった。

「平太、そのような隅におらず、私の隣に来なさい」

 その声は、太郎丸のものだった。

 堂々と胸を張り、思いやりにみちた笑顔で微笑んでいる。

「いえ、オレは……」

 恥ずかしがる平太を、太郎丸は無理やり衆目のなかへ引っ張り出した。

「今日は、ふたりともが主役なのだから」

 この太郎丸の広い度量に、大人たちは感心し、平太はますます恐れいるばかりであった。


 ふたりは左右に並んで、式を受けることになった。

 まずは三献、そして理髪……。

 すべては太郎丸のほうから先に行なわれてゆく。

 太郎丸の頭に初冠ういこうぶりがかぶせられた時、古老たちのあいだからは、陶然とした、深いため息がもれ出た。

「おお……御霊様のお若い頃にそっくりじゃ」

 それはりんとした、輝くようなつわものぶりであった。


 脂燭しそく灯火ともしびのもとで、太郎丸に宛てられた権五郎景正の遺書が開かれた。

 そこには『義景』の二文字が、勢いよく大書されていた。

 一方、平太のほうの遺書を開くと、『景義』の二字が飛び出した。

 大人たちはなかば茫然としながら、口数すくなに議論を交わした。


「どういうことじゃろう? 同じような名を……」

「『景』を先に置くは、鎌倉一族の通例じゃが……」

「ならば、権五郎景正が直孫じきそん、太郎丸こそが『景義』と名乗るべきであろう」

「渡す相手を誤ったのでは」

 ひそひそ、ひそひそ……囁き声はふたりの若者の耳にまで届いた。

 だが当の権五郎景正はすでにこの世になく、真偽のほどは確かめようもない。


 義景と景義――ふたりの若武者は鎌倉一族の《景》の一字を受け継ぎ、真新しい烏帽子を頭に乗せ、元服式を無事に終えた。





「景義、景義……」

 平太は自分の新しい名前を、呪文のように繰り返し唱えた。

 式から数日たっても興奮は収まらなかった。

 気が大きくなり、いよいよ新しい未来がひらけてきたような気がした。


 それでかれは早速、毘沙璃を景色のよい海岸に連れだした。

 生憎あいにくと風が強く、慣れない烏帽子を幾度も飛ばされそうになった。


 ようやく風が収まった時、

「俺のとなってくれ」

 意を決して、申しこんだ。

 巫女との結婚は、けして珍しいことではない。


 ……毘沙璃は、からりと笑った。

「無理よ」

「なぜ?」

「もう、他の者の妻ですもの」

 たちまち、景義の心は奈落の闇に突き落とされた。

 かれはうろたえ、言葉を失った。


 毘沙璃はふざけた態度をやめ、眉を正した。

「わたしは神仏の妻なの。わたしは婆さまの前で、神仏にを誓いました。だから誰の妻にもなりませぬ」

「ならば、俺も一生、誰もめとらぬ」

「いいえ、あなたは別の娘を見つけて、娶りなさいな」


 黙ったままの景義を、毘沙璃は元気づけるように言った。

「『かげよし』……その意味は、『吉祥の光』……よい名前です。あなたのゆく先には、必ず素晴らしい光がもたらされます」

 毘沙璃は巫女らしい、すました顔をして、手にもった鈴を大様にふり、元服を言祝ことほいだ。


 夜になって、景義は毘沙璃を神明宮まで送っていった。

 馬上にゆれる無言のふたりを、片がわのつるがわずかにほどけた十六夜いざよいの月が、ほのかに照らしていた。

 背中に伝わる毘沙璃のやわらかな体温ぬくもりが、景義には切なかった。

 互いに黙ったまま、別れた。


 景義が帰ってゆくと、毘沙璃はひとり自分の曹司ぞうしにひきこもり、声を立てずに泣いた。

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