第35話 電話となりすまし~唯人~
「今更ですけど、仕事に戻らなくていいんですか?」
腹が満たされて人心地ついたからが、谷岡は本当に今更な質問をしてくる。
「検査して異常がなかったとは言え、退院したばかりの人間を一人にしとく訳ないだろ。何かあったらどうするんだ」
もし、倒れたりした場合対応する人間が必要だ。なのに谷岡は「それもそうですね」と他人事みたいに言いやがる。
当事者なのに、危機感が薄過ぎやしないか。そんなだからなりすまし被害とかにあうんだ。
「あ、そうだ。お前、明日出社出来るか?」
「多分…大丈夫かと…何かありました?」
休めと言っておいて、出社出来るか聞くなんておかしいと思ったんだろうな。
「ああ。お前になりすましてた奴がわかった」
「本当ですか?」
「明日、会社で話しをつけようと思う。当事者のお前を蚊帳の外って訳にもな…」
さっきの佐原の電話はこの件についてだった。話しをつける為の手筈も頼んでおいた。
「わかりました。行きます」
強い意志をした目で谷岡は返事をした。
なりすましてた相手が誰で、どんな目的があってそんな事をしたのかきっちりと説明して貰おうじゃないか的な目だ。
佐原に犯人は教えて貰ったが、まだ犯人に確認していないから何が目的でなりすましなんて事をしたのかはわからなかった。
明日、しっかり聞こうと決めて今日はもうゆっくりする事にした。
※ ※
翌日はいつもよりやや早めに出社した。
誰もいないフロアを突っ切り、専務室に入る。
「コーヒーでも淹れてきましょうか?」
何かしていないと落ち着かないらしい谷岡が「コーヒーいります?」と聞いてきた。
「いや、いい。それより大人しく座ってろ」
室内をうろうろとしていた谷岡は仕方ない感じでソファーの端にちょこんと座った。
「いや、そこじゃなくてこっちに座れ」
こっちと俺が指示したのは普段俺が座っている革張りの椅子。
「え、嫌ですよ」
予想通り断ってきた谷岡と押し問答するのも面倒だから、俺は有無を言わさず谷岡を抱き上げるとソファーから移動させた。
「ちょっ…」
「もうそろそろ来るから黙ってろ」
谷岡の反論を封じると、俺は椅子をくるりと回して座っている谷岡が見えないようにする。椅子の背もたれがデカいから椅子を回転させると人が座っているとはわかりづらい。
その直後、ドアがノックされる音と「佐原です」と名乗る声。
俺は、谷岡に喋らないように身振りで示すと渋々と言ったように頷く。
「入れ」
「失礼します」
佐原は後ろに一人の女を連れて入って来た。
染めた事なんてなさそうな黒髪はクセがなくて、まっすぐ伸びて腰に届いている。一見すると清楚で大和撫子と言った風情の美女。
「専務、お呼びと伺い参りました」
ウチの受付嬢の制服を着ているその女は楚々とした様子で頭を下げた。
「受付の
頭を下げていたその女…森美咲は訳がわからないと言った顔をしていた。
「ど、どうしてですか?異動の話だったんじゃ?理由は何ですか?」
俺に呼ばれた事で何か勘違いしていたらしい森美咲は一、二歩前に出る。
「理由はあなた自身がよく知っている筈です」
俺が目配せすると佐原が報告書を読み上げていく。
まず会社の備品の横領。これはどうやらブランド品を買う為に給料を使っているから、必要な生活消耗品(トイレットペーパーや洗剤など)を持ち帰っていた。でも、ブランド品を買うのはやめないし、買うとネットに写真を上げていた。どういう神経してんだ?
次に同僚との金銭トラブル。ブランド品大好きな森は何人もの同僚からお金を借りていた。それで更にブランド品を買ってた訳だから、最早病気だな。少額ずつ返してはいたみたいだが、返す額以上に借りている。
最後に谷岡のなりすまし。そんな事をした理由は俺の推論でしかないが大体想像がつく。わざわざ谷岡の髪色に似たカツラを被って、写真を撮っていた訳だからタチが悪い事この上ない。先に挙げた二つは調べるうちにわかったおまけみたいなもんだ。しかし、森が色々やらかしてるようでよかった。遠慮なく切れるからな。
「これらの事柄を吟味した結果、森さん。我が社はあなたを解雇とします」
解雇通告を受けた森は青ざめて、唇を震わせていた。
かわいそうなどとは一欠片も思わない。すべて自分の行いが原因。言わば、自業自得だ。
「それと退職金ですが、懲戒解雇となりますので、当然こちらは支払いません。むしろ、谷岡さんへの慰謝料を請求します」
弁護士を立てて、正式に請求すると佐原が一切の情け容赦なく、追い打ちをかける。
『懲戒解雇』『慰謝料』と聞いた森はようやく事の重大さを理解したみたいだ。
「…ん、でよ…」
森が何か言ったようだが、声が小さくて聞き取れない。
「なんで、私を選ばないのよっ!アンタ、頭おかしいわよっ!あんなニコリともしない『氷姫』なんかより、よっぽど私のほうが美人だし、人気があるし…大体、なんで私が受付であんなのが秘書なのよっ!」
顔を歪めて「どうして私を選ばないのよっ!」と理不尽に俺を口汚く罵る様は、せっかくの美人も台無しになるくらいひどいものだった。その人気とやらも、今のこの姿を見られたら一気に地に落ちるだろうな。
「アンタを見てると谷岡を選んでよかったと、つくづくそう思うよ」
谷岡は俺の妻になった事を喜ぶどころか、かなり嫌がっている希少なヤツだからな。
「少なくとも、俺にとってはアンタより谷岡のほうが断然いい女だ」
俺が谷岡を森よりもいい女だと断言した事が信じられない様子の森は「嘘よ、あり得ない…」と現実を直視しようとしなかった。
なりすましをした理由は本人を見たら、なんとなくだが見当がついた。大方、下に見ていた谷岡が俺と結婚したのが気に食わないとか…そんなくだらない理由だろう。
俺が軽く手を振ると、佐原が森を連れて専務室から出て行く。
森は今から自分がしてきた事を直視させられているだろう。
とりあえず、なりすましの件はこれで解決したな。
森と話しをしている間、すっかり忘れていた谷岡に目を向けると、谷岡は椅子の上に体育座りをして、膝に額を乗せるような格好をしていた。
「お前、何やってんだ?」
「…気にしないで下さい」
…?変な奴だな。変なのはもとからか。
彼と彼女は偽装結婚~水島唯人と谷岡美桜の場合~ 五月堂メイ @gogathydo
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