ダーディア
しょうりん
短編
そこは、商店街の一番奥にある小さな画廊だった。
その前を、紺の制服に身を包んだ、見るからにおとなしそうな少女が通りかかる。
色の白い、小柄な少女である。長いストレートの黒髪が印象的な、中々の美人であった。
その少女、北川春菜は、分厚くて重い学生カバンを手から滑り落としそうになって、慌てて立ち止まった。
ちょうど、画廊の真ん前である。
別に、意識した訳ではない。たまたま、画廊の前だったと言うだけだ。
けれど、そこには、彼女には気づかない、何か不思議な力が働いていたのかもしれなかった。
カバンを今度はしっかりと持ち直し、春菜は、再び歩き出そうとして思わず足を止めた。それから、うつむき加減にしていた顔をふっと上げる。
何となく、誰かが自分を呼んだような気がしたのだ。
キョロキョロと辺りを見回し、首を傾げる。
彼女の目に映ったのは、ガラス越しに画廊をのぞいている青年、前方からこちらに歩いて来る茶髪の怖そうな女の子。反対側にある本屋の店先で、マンガを立ち読みしている高校生くらいの男女。
周囲には何人かの人が居たが、誰もこちらに顔を向けている者はいない。
春菜は、もう一度周囲を確認して、ほっと溜め息をついた。
学校でもおとなしくて引っ込み地案な彼女に、親しく呼び掛けてくれるような友達は少ない。そんな自分が、何故誰かに呼ばれたと思ったのだろう?
おそらく幻聴か何かだ。そんなものに反応してしまった自分が情け無く、また寂しくも感じられた
・・・・・そんなの、ある訳ないのに。
小さく苦笑して、また歩き出そうとした。
と、正面から歩いて来た怖そうな少女が、春菜からそう離れてない場所まで来て、同じようにふと立ち止まった。
柄が悪いと有名な学校の制服だ。春菜は、一瞬顔を強張らせて、それでも目を合わせないよう気を使いながら、ちらりとその人物に視線を送った。
茶髪の少女は、規定より大分短めのスカートのポケットに両手を突っ込んだまま、心を奪われたように何かを見つめていた。
春菜の視線など、全く気付いていない。
・・・・・何だろう?
彼女は、不思議に思って相手の視線の先をたどってみた。
それは、ショーウィンドウの掲げられている一枚の絵だった。
鮮やかな青空と、紺碧の海。豊かな緑に包まれた、彩色豊かな異国の建物。まるで世界史の教科書に登場するような、石造りの神殿が描かれていた。
春菜も思わずはっとして、それに目を奪われた。
不思議な事に、その絵を見つめていると心がじんと熱くなり、涙がこぼれ落ちそうになってくるのだ。
しかしすぐに我に返り、その下にある作者の方へ興味を移動した。
高田薫。銀色の板に、そう名前だけ刻まれていた。経歴やその他は、一切記されていない。
もう一度絵に視線を戻して見ると、不思議な事だが、さっきのような衝撃は微塵もよみがえってはこなかった。
まるで催眠術から解放されたような気分だ。
確かに綺麗ではあるのだが、実にあり触れたタッチで描かれている絵に見えた。
春奈は、首を傾げつつ絵から視線を外す。何故それに一瞬でも衝撃を感じたのか、全くもって分からなかった。
しかし、目の前の少女はまだ食い入るようにその絵を見つめていた。
そういえば、このガラスの前の青年も、さっきからずっとそこにそうして居たようだったが?
春菜が観察しているのも気付かぬ様子で、青年は不意に夢から覚めたように顔を上げた。
それから、何事も無かったように画廊の扉を開いた。そのまま、中に吸い込まれて行く。
すると、茶髪の少女も、それに続いて画廊の中に消えてしまった。
春菜は、二人を吸い込んだ扉をしばらく見つめていたが、気が付くと自分もその扉を開いていた。
外見と同じく地味な画廊の室内は、ライトも少ないせいがやや薄暗い印象を感じる。
キョロキョロキョロ、学校帰りの春菜は、両手で学生カバンを握りしめながら、落ち着きなく周囲を見回した。
すると、
「すみません、こちらに記帳をお願いします」
受付に座っていた紺のスーツを着た女性が、筆ペンを片手ににこやかな笑みを春菜に向けた。
「あっ・・・はい」
春菜は小さく答え、片隅の小さな机へと向かう。そして、多少慌て気味に自分の名前と住所を記した。
それから、改めて部屋を観察する。
絵は、思ったほど展示されていない。余り名も無い画家の作品なのだろう、見に来ている人も疎らだ。
その大半は、暇を持て余し気味の学生達のようであった。
・・・・・よかった、みんな若い人ばっかりで・・・・。
なんとなく画廊と言う響きに気後れしていた春菜は、入ってみたのはいいがその雰囲気に恐れ入って、早くも軽はずみな事を仕出かしてしまったと後悔していたのである。
大体にして彼女は、初めてというのがとても苦手であった。
・・・・・なんであたし、こんな所に入っちゃったのかな?
そわそわと不安顔で周囲を気にしながら、飾ってある数点の油絵を取りあえず見て回る。
どれもこれも、時代のよく分からない建物、または景色の絵ばかりだった。
遺跡っぽい感じもするが、それにしてはみな綺麗に描かれ過ぎている。
そして、その絵の中には、これまた見た事もない時代錯誤な服装をした人々が、そうした風景と一緒に描かれているのであった。
空想画、と考えた方が無難である。
「もうっ、白井君ったら!」
「何だよ、俺、何もしてねぇぞ!」
「ちょっと、静かにしてよ。大体圭子は、普通にしてても声が大きいんだから・・・・」
春菜の左横で、三人連れの学生が静かな沈黙を破った。
細身でハンサム、やや繊細そうな感じのする男子高校生と、ちっちゃくて可愛いい、明るく陽気な女子高生だ。
二人はカップルだろうか?注意した女の子の方は、二人の友達のようだった。
春菜がそちらを見ると同時に、周囲の人達も迷惑そうな顔で彼らを見る。
冷たい視線を感じてか、三人は小さくなりながらこそこそと隅の方へ移動してしまった。
春菜はしばらくそちらを気にしていたが、気を取り直して再び絵の方へ顔を戻した。
「なんかよ、こういうのってあれだよな。綺麗過ぎて、空々しい絵だ」
次に、右隣の話し声が彼女の耳に入って来る。
なんとなく、春奈はちらりと横目でそちらに視線を飛ばした。
大柄な男の背中と、それに向かって笑いかけている小柄な男。彼等はどちらも学生服を着て、学生カバンと一緒に剣道の竹刀が入ってるらしき袋を肩にかけていた。
・・・・・・なんか、変な組み合わせ。
茶髪のピアス男と、短髪のいかにも硬派そうな日本男児風の二人だ。
小柄なピアス男の方が、やや長めの髪を右手ぐしゃぐしゃとかきあげながら、不機嫌そうな大男を仕切りになだめていた。
・・・・・なんか、怖そうな人。嫌なら、なんでここに来たのかしら?
そう考え、慌てて彼らから視線を外す。心の中で考えた事にまで、春菜はびくびくしてしまうのである。
・・・・・もう出よう。
春菜は、最後の絵を前にして思った。
ざっと一通り眺めただけで、じっくり見て回った訳じゃない。
でも、充分だと彼女は思ったのだ。そして、その最後の絵に視線を落とし、
・・・・・・・・。
それっきり、目が離せなくなる。
彼女は、まるで全ての時間から解き放たれ、それでいて束縛されてしまったように、その場から動けなくなってしまった。
美しい少女の肖像画。
白い肌と銀色の髪、宝石のようなブルーの瞳を持った、どことなく儚気な少女である。
彼女はやや斜め上に顔を向け、空の彼方にでも思いを馳せているような様子で、柔らかく口許に微笑みを浮かべていた。
しかし、何故かとても悲しそうだった。とても悲しい事があったのに、笑わなければいけない。そんな感じ。
春菜は、胸が締めつけられるような痛みを感じた。
同時に、胸の奥から吹き上がってきた感情の塊が頭の中心を貫く。
・・・・・・ 駄目だ、駄目だ、これじゃ駄目だ。
頭の中で、訳の分からない呟きを漏らす。
この少女は、こんな笑い方をしてはいけない。意味もなく、そんな事を考えた。
・・・・・それに、居ないわ。いなければいけない人が、隣に居ない。
その人は、全ての命を投げ打ってでも、この人を守り通さなければならない役目があるのに。
また、自分の中で不思議な考えが浮かぶ。
春菜は、何故自分がこんな訳の分からない事を考えるのか、まったくもって理解不可能であった。
耳がわんわん鳴りひびき、頭がじんじんと痛んだ。余りの痛みに、一瞬気が遠くなる。
凝視している絵も、それに合わせて二重三重に重なって見えた。
突然、その少女の横に見知らぬ男が現れた。まるで、春奈の心に答えるように。
浅黒い肌をした、たくましい男だ。彼は少女と同じように悲しい笑みを造り、その絵の中の花を抱き締めた。
強い意志を秘めた瞳が、美少女から春菜の方へ向けられる。そして彼は、何かを訴えるかのように叫んだ。
春菜は、一瞬全てを忘れた。
それこそおかしな話しだが、彼女は絵の中の少女ではなく、若者の方に激しい共感を覚えたのだ。
その悲しい笑顔の意味を、自分は知っている。
沸き上がる激しさと共に、痛烈な胸の痛みを伴って理解した。
そのまま、春菜は暗闇の中へ引きずり込まれていった。
意識が薄れ、同時にその男の瞳の中へと吸い込まれていく感覚だけ感じた
「マヤ!」
浅黒い肌をした若者が、眼下に迫ってくる恋人の名を叫んだ。彼の名はティア、この大陸唯一の鳥人。
「ティア!」
彼の美しい恋人も、それに答えて走り出す。
大地に見える物は、円を描いて並ぶ大きな石の集まりと、それを取り巻くように、彼を一目見ようと集まって来た人々の姿だった。
その中で一際彼の目に飛び込んで来たのが、恋人の姿である。遠目にでも、彼女の美しい銀色の髪がよく映える。
この日を、三年の間どれほど待ち続けた事か・・・・。
・・・・・コレハ、ユメダロウカ?
ふと、ティアの意識の中に、誰かが呼び掛けた。
・・・・・ミオボエノアルエイゾウ。ナツカシイ、デモナゼナツカシイ?
ティアは、激しく頭を振った。誰かが、彼の心の中にいるようだった。そして、彼と同じ目で景色を見て、彼の頭の中で考えている。
それは、彼に一番近い誰かのような気がした。
「鳥人だ!」
「鳥人が来た!」
「ティキの使いが、やっと我が街に戻って来たぞ!」
歓喜とざわめきに、全てか飲み込まれていく。
王宮の街ヒラニプラは、今正に喜びの絶頂を迎えていた。
人々に生命の力を与えるクロムレク。石達は、それぞれ不思議な音をたて、互いに共鳴しあっていた。
歓声と共鳴音に迎えられ、ティアはその中心へと静かに足を下ろした。
人には見えない生命の翼を畳んで、今まさに彼の胸へ飛び込んで来た恋人をしっかり抱き止める。
「マヤ!」
マヤは、空と同じ色の瞳を伏せ、透き通る程白い肌に昇らせた朱色の頬を、愛しい恋人の胸の中に埋めた。
彼女の輝く銀髪が、彼の胸の中で零れる。それを大切そうに撫ぜながら、ティアは自分を待ち望んでいた人々、ヒラニプラの民達へ生き生きとした黒い瞳を向けた。
「ヒラニプラの民よ、三年間よくぞ耐えてくれた。私はようやく、鳥人となって戻って来る事が出来た。私が来たからには、もう大丈夫だ。必ずや、この大陸を救おう」
・・・・・ソウダ、アタシハシンジテイタ。カナラズ、ジブンガ、コノタイリクヲスクエルモノダト。
春菜が激しい目眩と共にそう思った瞬間、場面が突如そこから飛んだ。
広い草原、夜空、零れんばかりの星達。
枯れ木を集めて燃やした焚き火を囲んで、彼らは決意と恐れと興奮に包まれて色々な事を語っていた。
「いよいよだな、ティア」
ヒラニプラの戦士、トパが重々しく告げる。ティアは、自信に満ちた顔を輝かせ、力強く頷いた。
「ああ、俺はこの身を失っても、大陸の為にダーディアを止めてみせる」
「この身を失う、ですか・・・・。ティキの子供達よ、この大陸の生き物は全て生まれ変わります。ではもし次に生まれかわるなら、どんな生活を送ってみたいですか?」
ナーカルの兄弟と呼ばれる、ティキの神官でありティアの弟ランチャは、穏やかに微笑みながらみなの顔を見回した。
「これからダーディアと立ち向かうってのに、生まれ変わりの話しなんて縁起でもねぇなぁ」
クロムレクの番人、マイタが渋い顔になる。
「縁起でもないのは、あんたのその顔だわ。いつもおちゃらけてるくせに、やけに今日は真面目なのね」
同じくクロムレクの番人でマイタの妻、ミカイがからかうように言った。
そんなおしどり夫婦を横目に、
「そうだな、女になるってのはどうだ?俺とは全然違う、おとなしい女だ。危険な時には、強い男が守ってくれる。そうだな、マヤみたいな、可愛い女になるのも悪くない」
気分が高揚しているティアは、わざと皆が驚くような事を冗談っぽく答えて笑った。
「お前が女ぁ?大陸一の暴れん坊がか?なんか、ぞっとするなぁ」
ミカイにからかわれた腹いせに、マイタはティアの言葉を鼻で笑う。
「あら、面白いと思うわ。なら、今度は私が屈強な男になって、ティアを命がけで守ってあげるの。今のティアより、もっともっと強い男になってね」
ティアの恋人マヤは、月明かりを映した神秘的な瞳を、きらきらと輝かせた。
その顔は素晴らしい思いつきい、すっかり心を引きつけられているようだった。
「私は、規則に縛られない自由な女性になってみたいです。もちろん、ティキの事は心から愛しているけど、型破りな生き方に憧れる時があります」
と言ったのは、ティキの巫女であるルーナ。
いかにも巫女らしく、清楚で知的な雰囲気を身にまとっていた。
「それこそ、ティアの生き方だぜ」
ルーナに密かに憧れているトパは、その人の目が常にティアばかり追っているのを感じて、小さく口の中で呟いた。
「あたしは、やっぱり男がいいわ。無口でクール、うちの連れ合いより断然いい男に生まれ変わってやるの」
ちらり、マイタを見てミカイは意地の悪い笑みを浮かべた。
「そいつはまた面白い。なら、俺は女だな。俺の魅力でお前を虜にし、ひっかきまわしてやる。男がどれほど大変かってのを、身を持って知ってもらわないとな」
マイタが、済まし顔で言った。
「トパは、どうなのです?」
静かなランチャの声に問われ、彼は少し考え込んだ。それから、小さな声で答える。
「俺は、不器用な男じゃない男がいい。不器用なのは、疲れるからな」
彼の言葉で、皆が一斉に笑った。トパは、何処から何処までも不器用な、堅物男だったからである。
「ランチャ、そういうお前はどうなんだ?」
兄に問われ、ランチャは悪戯っぽく笑った。
「僕は、僕のままで結構。僕がいなきゃ、兄さんは何処までも突っ走って行っちゃうからね。僕は兄さんの為に存在し、兄さんの為にこの命を捧げる。でも、兄さんが兄さんでなく、綺麗な女性になって現れたら、ちょっと困っちゃうな。マヤ様の、恋敵になるって事もあり得るでしょ?」
「おい、気持ち悪い事言うな」
ティアは、露骨に顔をしかめた。それで、また皆が大笑いをする。
「ランチャのブラコンは、ヒラニプラでも有名だからな。おいティア、いくらランチャが女みたいな面してるからって、まさか・・・・」
「兄弟で・・・・。そりゃ、大陸も乱れる訳だわ」
マタイとミカイが、夫婦そろってティアをからかう。
「てめぇら、気色悪い事言いやがって!いいかげんにしやがれ!黙らねぇと、その舌引っこ抜くぞ!」
ティアは、思わず立ち上がって、目を吊り上げ拳を握り締めた。
「冗談も通じないってのは、ティアの事を言うのね」
恋人のマヤまでも、笑いながらそう言った。
静かな草原に、若者達の楽しい笑い声が響きわたる。それは、本当に束の休息。
その後に待っているものを知らないからこそ、心から笑う事が出来たのである。
・・・・・ソウ、アタシハシッテイル。コノアト、アレガオコルノダ。アタシタチハ、ナンノヤクニモタタナカッタ。
春菜は、ふっと我に返った。
肖像画の前に立って、なんとなく懐かしい気がして、何故か眩暈を感じた。彼女にとっては、それだけの事だった。
夢を見ていたような気もするが、くらっとしたのはほんの数秒程度。
多分、気のせいだろう。
「また、白井君ったらあたしのお尻触ったでしょ!むっつりすけべなんだからなぁ」
「お前なぁ、鞄が当たっただけだろ!いい加減にしろ!」
「あーっ、触っておいてその態度。ほんと、むっつり」
「もう、いい加減にしてよ、圭子。恥ずかしい思いするのは、こっちなんだからね」
向こうの方で、またあの三人組が騒ぎだした。
春菜は、屈託なく騒いでいる三人を、なんとなく羨ましく思いながら、絵の側を離れた。
と、いきなり大きな背中にぶちあたる。俯いて歩く癖のある彼女は、すぐ隣に誰かが居た事に気付いていなかったのだ。
「すっ、すみません」
春菜は、赤面した顔をうつむけたまま、小さな声で謝った。
「歩く時は、前を見て歩け。それに、謝る時はちゃんと目を見ろ」
大男は、春菜を見下ろして太い眉をしかめた。
春菜の方は、びくんと肩を震わし、恐る恐る顔を上げたが、覆い被さる程の大男に恐れをなし、カバンを取り落として数歩後ずさりした
先ほど、絵の批判をしていた人だ。
そう気づくと、春菜は益々怖くなってきた。
「ったく、俺は化け物か」
脅える春菜の方へ、男がまた一歩踏み出そうとした時、彼の友人が慌てて止めにやって来た。
「おい修一、何やってんだ。彼女、脅えてるじゃないか」
「別に、そいつがぶつかって来て、勝手に脅えてやがるんだ」
修一と呼ばれた大男は、憮然となって言った。
「お前なぁ、女の子にはもうちょっと優しく接しろよ。御免よ、こいつ成りがでかくて怖い顔してるけど、悪い奴じゃないんだよ。親友の俺が言うんだから、間違いない」
春菜と修一の間に入って来た学生は、やはり先ほどのピアス男。
小柄だがしっかりした体付きの、甘いマスクした二枚目だった。
彼は大袈裟な身振りで春菜に訴え、プレーボーイ風に笑う。
そして、
「君、美人だね。よかったら、これから一緒にお茶しない?」
やはり見た目通り、すかさずナンパを始めたのだ。
「あの、本当にあたしが悪かったんです。御免なさい」
春菜は、怖い大男より更に苦手なタイプの彼を見て、じりじりと後ろへ下がる。
落としたカバンを拾いたくても、そこに行く事さえ出来ないでいるのだ。
「おや、どうしたんですか?」
そこに、今度はまた違う人物が入って来た。ジーンズに白いシャツ、そして紺のブレザーを着た、大学生風の若者だ。
彼は歌舞伎役者のように整った顔に、柔らかい笑みを浮かべていた。
「何か、トラブルでも?」
ずいっと、男は春菜の前に立って、ナンパ男にまた微笑みかけた。
しかし、笑っていながら、なんとなく人を威圧するようなオーラを発散させている。
「いっ、いや、別に。修一、行こうぜ」
ピアス男は、突然現れた男を春菜の恋人とでも思ったのか、すごすごと引き下がった。
「あの、本当にすみませんでした」
扉から出ていこうとする二人の後ろ姿に、春菜は一応頭を下げた。
ピアス男は手を振って、修一の方は肩越しに振り返っただけだった。
「あの、トラブルなんかじゃなくて、あたしが悪かったんです」
小さな声で、春菜が言う。
更に赤面した顔を、彼女はやはりうつむけたまま。
視線が、自分のつま先にあった。
「ナンパ、されてたでしょ?そういうの、苦手そうだったから。あっ、大丈夫だからね。僕は、そんな事はしないよ」
若者はそう言って、優しく彼女の頭をぽんと叩いた。
「それにしてもあいつ、自分が声かけた相手を知ったら、飛び上がって驚くぞ」
若者が、小さく口の中で呟いたが、春菜には聞こえていなかった。
「あの・・・・・」
春菜は、どうしていいか分からず、戸惑いがちに顔を上げる。
そして、目を見開いた。そこに立っている人物に、見覚えがあったからだ。
確か、画廊の前に立っていた人。その時は学生服だったので、すぐには気づかなかった。
「僕の名前は、高田薫。フケて見られるけど、高校二年生だ」
「高田薫?」
歳を聞いて驚いたが、名前を聞いて、二度びっくりした。
高田薫と言えば、この絵の作者の名前ではないか。
春菜は、その大きな目を一層大きくした。
「驚く事ないよ。僕の絵なんて、この程度のものさ。君、名前は?」
「北川春菜です」
「春菜、か。いい名前だね」
薫は、全てを包み込むような、優しい笑顔を彼女に向けた。
不思議な事だが、春菜は彼のその笑顔を見た途端、何故かすっと気分が楽になってきた。緊張も溶け、自然に笑顔を返す事が出来たのだ。
とても身近な人に感じる、安心感があった。
「良かったら、少し話しでもしない?勿論、嫌ならいいけど」
春奈の学生カバンを拾って、渡してくれながら薫が言う。
「……あの、あたし、あまり話すのって得意じゃないですけど」
薫の申し出に戸惑いながらも、彼女は静かに頷いた。
男の人と二人だけで喋るなんて、全く初めての経験だったが、薫とならそれほど気を張らずに出来るような気がしたのだ。
「じゃ、向こうで」
春菜の肩に手をかけ、薫が促す。
彼の手は、まるでそこから優しさが溢れているようにあたたかかった。
二人は、絵を見ている人達の間をすりぬけ、事務所へと向かう。
その時、あのいかにも柄の悪そうな茶髪の少女とも擦れ違ったのだが、うつむいている春菜は気付かない。
しかし、薫は振り返った。何か、懐かしいものでも見るように。そして、その少女も振り返った。
偶然だろうか?
そうかもしれない。何故なら、彼女が最初に目を止めたのは、彼ではなく、春菜の方だったからだ。
しばらく、春奈の後ろ姿を見つめていた茶髪の少女は、不意に振り返った薫と目が合った。
その途端、彼女は踵を返して走り去ってしまった。
「兄さん、僕等が生まれ変わって出会う世界は、平和である事が前提だった筈だ。僕等は大陸を救い、人々の喜ぶ顔が見たかった。なのに、ダーディアは僕等を絶望へと落とした。だから生まれ変わっても、僕等は運命から逃げられない。かつてあなたは鳥人で、あなたの力になる為に僕等は集まった。この世界でもやはりあなたは鳥人で、僕等はあなたを助ける為に集まらねばならない。あなたが、あの時とは全く違ったあなたになっていてもね」
少女を目で追っていた薫は、何かを振り切るように前を見て、小さく呟いた。
その呟きは、春菜には全く理解出来ない事柄であった。
END
ダーディア しょうりん @shyorin
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