終章 死して残すものは ~第二節~
「それじゃあ知県大人も
「ほかにもやらなければならない仕事は山積みですからね。どうやら郭家では、当面、助け出した娘たちの面倒を見るそうですよ」
「けっこういなかったっけ?」
「一六人です。そのうち、故郷に親が健在だと判ったのが三人、人をやって確認しているのが七人、残りの娘たちは、さらわれる際に親が殺されてしまったそうで……」
「親がいる子はいいのかもしれないけど、帰る家がない子はどうするんだい?」
「親類も頼れない子については、郭家で引き取ることになりそうですよ」
親を失った娘を放り出してしまっては、また同じような人買いに狙われかねない。それに、郭家ほどの地主であれば、食い扶持が五、六人ぶん増えたところで痛くもかゆくもないだろう。落としどころとしてはそれが正解かもしれない。
「――でもよかったのかよ、先生? 確かあんた、何か手伝ってくれって頼まれてなかったか?」
「ああ……志邦どのからは
「幕友って何ですかぁ?」
「簡単にいうと、知県や知州といった役人が、個人的に手当を払ってそばに置く秘書官のことですよ」
「え? どうして引き受けなかったんですかぁ? 文先生にはそういう仕事が向いてると思うんですけどぉ」
「そうだよ。郭家はかなりの土地持ち、大金持ちだろう? 幕友といったって、下手な小役人なんかよりはるかにお手当もいいんじゃないかい?」
「実際にそのようなこともいわれましたが、あいにくと今はひとつところに腰を落ち着けたくないといいますか……」
文先生は書物を閉じ、獅伯が背負った剣を指差した。
「――それに、私は今度のことで、ますます獅伯さんの持つ剣に興味が湧いてきたんですよ」
「はあ?」
「だって、その鞘にはこの国の文字はもちろん、
「そりゃまあ、何かしらの手がかりになるのならな」
いっかな釣れない自分の腕前に絶望し、獅伯は釣竿を放り出した。考えてみれば、魚を釣って路銀を節約しなければならないほど、今の獅伯たちの懐は寒くない。出立に際しては、舟や蜂蜜菓子だけではなく、もちろんたっぷりと路銀ももらっている。
「――ただ、おれが知りたいのはあくまでおれの過去だけだからさ。もし今この瞬間におれの記憶が戻ったら、鞘の文字がどうのなんてもうどうでもいいから、さっさと師匠のところに戻るよ」
「獅伯さんの師匠って、どこかの山奥で隠遁生活を送ってる人でしょう? まさか獅伯さんもそんな暮らしに戻るっていうんですか? その年で?」
「俗世は何かと物騒だからな。山奥でほそぼそと狩りをしたり魚を釣ったりして、酒を飲んで暮らしていけるならそれでいいよ」
「そんなこといってますけどぉ、将来どうなるか判りませんよう?」
もにゅもにゅと蜂蜜菓子を食べながら、白蓉が獅伯のもとへ這うようにやってきた。
「――いざ記憶が戻ってみたら、とても田舎に引っ込んでいられないような事態になるかもしれないじゃないですかぁ」
「何だよ、それ? 何がどうなるとそんな事態になるんだ?」
「たとえばぁ――実は獅伯さんは、高貴な家柄の出身だった、とか?」
「はぁ?」
「家がお金持ちだったばかりに子供の頃に人さらいにさらわれて、その時にあれこれあって谷川に落ちて……とか、絶対にありえないとはいえなくないですかぁ?」
自分の思いつきがよほど面白かったのか、少女は頬を赤らめ瞳を輝かせている。どうやらシャジャルとの離別は、もう吹っ切れつつあるようだった。
「それは面白い考えですね」
瓢箪の酒を軽くあおり、文先生も大きくうなずいた。
「それを思い出した獅伯さんは、まぶたの母に会うためにあらたな旅に出る――ほら、なくはないですよねえ?」
「ありえないな。……先生も調子に乗るなよ」
荒唐無稽な白蓉の言葉に、獅伯は鼻を鳴らして横になった。
「まあ、人さらいに目をつけられるような良家の子息は、ふつうは剣の稽古に血道を上げたりしないものです。獅伯さんの場合は、どうやら記憶を失う前からかなりみっちりと剣の修業を積んでいたようですから、良家の生まれということはちょっと考えにくいですね」
「え~? あると思ったのに……」
「……何で残念そうなんだよ、おまえは」
「しかし別の見方をすれば、由緒ある武門の出身という可能性はなくもないでしょう。そういう家になら、いわくつきの珍しい剣があってもおかしくはないでしょうし」
「はあ? あんたまで何いい出してんだ?」
「ですから可能性の話ですよ」
「ったく……」
「そうそう、話は変わりますが」
文先生は昼寝に入ろうとしていた獅伯をそっと手招いた。
「は? 今度は何だよ? 女どもには聞かせられない話か?」
「私は別に白蓉さんに聞こえたってかまわないんですが……獅伯さんは例の船頭を覚えていますか? 青風楼に踏み込んだ夜、桟橋のところで捕縛した男たちの中に、あの船頭も交じっていたんですが」
「ああ、あの調子のいいおっさんか」
「獅伯さんと月瑛さんの大活躍で、用心棒たちの大半は口が聞けない状態になってしまいましたからね。それで、あの船頭たちからも情報を得るためにいろいろと聞いたわけですが」
「どうせたいした話は聞けなかったんだろ?」
「ええ、まあ。……ただ、あの船頭は一党の中でもかなりの古株だそうで、あくまで彼の証言が正しければの話なんですが――
「弟じゃない? じゃあ何だよ、盃を交わした義兄弟ってことか?」
「いえ、それがですね……」
白蓉のほうをちらちら見ながら、文先生は獅白に耳打ちした。
「……あのふたりは青霞の息子だそうです」
「は!? いや、だって……あいつらたぶん、おれや先生よりも年上だぞ!?」
仮に徳雄が三〇前だったとして、ならば青霞はいくつの時に徳雄を生んだのか。たとえ一六、七で徳雄を生んだとしても、確実に四〇はすぎているだろうし、下手をすれば五〇歳近いということもありえる。
「そんなはずは――」
「獅伯さんは、その……見たわけですよね? 顔だけならどうにか化粧でごまかせるかもしれませんけど、身体のほうはさすがに……ねえ? どうだったんです?」
「……馬鹿馬鹿しい。あれが五〇のわけないだろ?」
大仰に溜息をつき、獅伯は船縁に寄りかかった。
「どうせあの船頭が適当なこといったに決まってる」
「もちろん、志邦どのもでたらめだと一笑に付しましたけど……ただ、彼女にはどうにも得体の知れないところがあるというか、ひょっとしたらと思わせる何かがあったように思えたものですから……」
「…………」
ぼんやりと川の流れを見つめる獅伯の脳裏に、あの夜、徳雄が口にした叫びがよみがえってきた。確かあの時、徳雄は青霞のことを母と呼び直してはいなかったか。
「まさか……本当に妖怪だったとかないよな? あの女の骸は結局まだ見つかってないってことだったけど――」
誰にも聞こえないほどの声でひとりごちた時、獅伯の鼻先で不意に銀色の鱗が陽光を跳ね返して飛んだ。
「っと!」
思わずもれかけた悲鳴を噛み殺し、獅伯はその魚を素手で掴んだ。
「あんた、釣竿を使わないほうがいいんじゃないかい?」
なかなか大きな魚を掴み取った獅伯に月瑛が皮肉を投げかける。
「……機会があれば、今度は釣りのこつってのを師匠から教わるよ。あの人は文先生以上の飲んだくれだけど、釣りはほんとに得意だったからな」
動揺で波立った心を鎮め、獅伯は魚籠の中に魚を放り込んだ。
――完――
龍に拝せよ 第二部 血風楼奇縁 嬉野秋彦 @A-Ureshino
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
近況ノート
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます