第9章 快適、田舎ライフ
いやあ、良い天気だ――。
僕は広縁に腰を掛けて空を見た。
距離感を喪失しそうなほどの抜ける青空だ。
午前の陽は高台から続く山に遮られ、今は暑さを忘れさせてくれた。
ただ――
右にライナ、左に礼結が、密着するほどに隣り合っていた。
彼女らが意味するのは、ライナは親密度であり、礼結は危機感であるようだ。
これは昨晩の、ある真実開示による所が大きい。
礼結と村崎さんの紹介も済んで、伯母さんが母屋へ戻ってきた頃には昼になっていた。
「たいしたものが用意できなくてね。台所にあるもので適当によろしく頼むよ」
と言われ、台所に行くと、分かりやすい所にそうめんが置いてあった。
五人分が、汁のボトルと一緒に。
「これは作ってくれ――ということなんだろな」
僕がそうめんを茹でることにした。
土間にある台所なのにコンロはIH式だという。こんな昔ながらの屋敷の様相をして内部は近代的だったりする。このちぐはぐさが実に伯母さんらしい。
出来たそうめんを茶の間に運ぶと、かなり盛り上がっていた。
丸い卓袱台には、僕の子供の頃の写真が広げられていた。
やられた――。
そうめんを落としそうになった。
僕自身はここで暮らしていないから、写真はそんなにはないだろうと油断していた。
じいちゃんが密かに収集していたようだ。
なぜ小さい時って裸で撮ってしまうんだろう……。
しかも、確実にそれはなくならず、残っているのだ。
ライナがそれを見て、ものすごく喜んでいるのが印象的だった。
ま、愉しんでもらえて、何よりだよ――くそう……。
伯母さんの目が厚底メガネの奥で笑っている。
そんな満足げな様子を見ると、まさか伯母さんは時間をかけて、それを探してたのではあるまいな。
女子の中に男子一人――逃げ場のない食事を済ませると、伯母さんが真ん中の蔵を開けてくれた。
「指南書はこっちの蔵に保管してあるんだ」
真っ暗であった。
扉の形に切り取られたように光が当たる所以外、全く見えなかった。
スイッチを入れると、線香花火のように六つの裸電球が、オレンジ色に中を照らした。
蔵の構造はさっきと変わらないが、窓が全くないのは陽に当てないようにするためなのだろう。
指南書探しは、何故か僕と村崎さんの担当となった。
ライナと礼結といえば、もっと写真を探すのだと伯母さんと一緒に隣の蔵へ向かったからだ。
目的を忘れてないか――と声を大にして言いたかった。
だが村崎さんが作業に入ったので、僕が文句を垂れててもしょうがない。
村崎さんが一階を見ているので、僕は中二階へ上がる。
木の箱がびっしりと綺麗に積み並べられている。
じいちゃんは几帳面だったのだろう。それとも伯母さんの仕業か?
とりあえず手近な所を下ろして開けてみた。
箱は手作りのようだ。金具は付け直された形跡がある。
蓋を開けると、布が敷き詰められていた。
そっと布をめくると、ハートの形をしたペンダントが見えた。
魔法アイテムだ。
直感的に僕はそう思った。
なるほど指南書だけではなさそうだ。
僕は頭をめぐらせ、箱の多さに辟易した。
全部開けて確かめなければならないかと、うんざりしながら蓋を閉めた。
箱を戻して、気付いた。
箱の横にシールが貼ってある。
シールには『G―50』とあった。
「そうか。ここまで几帳面なら分類表があるはずだ」
僕はまずそれを探すことにした。
階段を下りかけて、一階の村崎さんが目に入る。
一メートルくらいの長細い箱を開けて視線を落としている。
中を見ているのではなく、実は別のことを考えているようで、小さくため息が漏れた。
知っている村崎さんじゃない。
いつもの痛い発言もないし、かなり大人しすぎる。
当然――というようにここへ連れて来たが、それが迷惑だったのだろうか。
「どうしました?」
僕は声を掛けた。
いや――と村崎さんは言葉を濁し、顔を逸らした。
長い睫毛の下で泳ぐ目は、伝えられる言葉を探しているようだ。
「村崎さんは――」
「やっぱりおかしいかな、これ」
厭そうに自分のこめかみの辺りを指差している。
「頭?」
「そう、ここ!」
「だけど自分で思ってるほどじゃないっていうか――」
僕は必死に村崎さんを慰めた。
「電車を降りた辺りからずっと気になってたんだ」
「人と違うからって気にしちゃダメですよ」
「窓にね、映ってたんだ。直しても直らなくて……」
おや……微妙な食い違い――……何だ?
僕はもう一度、村崎さんが示していたポイントを凝視する。
少し――本当に少しだけ、髪の毛が外へハネていた。
確かに他はストンと黒髪のストレートなのだから、狙ってつけたアクセントではないのだ。
「あ――と、うん――変じゃないよ」
村崎さんがジト目だ。
目力があるからかなり強烈だ。
「あたしのこと、変な奴と思ってたのか?」
やばい――こんな時は……
「そういえば村崎さんって、魔法の書を探してるんですよね」
必殺話題換え。
「ん?」
「僕をアカツキと思ってたのも、魔法の書を手に入れるためだったんでしょ」
「それは言うな。悪かったと思ってる」
顔を伏せて、片手を突き出した。
「魔法の書を集めるのが趣味なんですか?」
村崎さんは開けた箱の蓋をさすりながら、首を横に振った。
「小さい頃、友達と遊んでて、お絵かきをしてたのだが、紙が足りなくなってな」
照れ笑いを浮かべた。
「その家にあった本にまで書いてしまったのだ。偶々名前を書いたのが、代々伝わる魔法の書だったのだよ」
「あちゃあ――」
「で、あたしが魔法を覚えてしまったのだ」
「重力魔法ですか?」
村崎さんは頷いた。
「その子が二十歳になったら、覚えさせようとしていたらしくてね」
「なるほど、代わりになる魔法の書を探してるんですね」
「そういうことだ」
村崎さんらしいといえば、村崎さんらしい。
「何冊か手に入れたんだが、お気に召さないらしく、突っ返されたんだ」
「もったいないですね」
「ああ。それは有益に他の人が覚えて使用してる」
「へえ――」
「魔法対策課の人たちの魔法がそうだ」
なんと――
「だから一緒に行動してるんですね」
納得だ。二つ名を許してるのもそのせいか?
「もし君も魔法の書の情報があったら教えてくれ」
「え?」
「え?!」
「村崎さんがここへ来た理由は――」
「快適田舎ライフ?」
そういえば、ここへ来る理由は言ったが、詳しい内容は言ってなかったかも。
「じゃあ、何を探してたんですか?」
「いやあ。髪のハネが気になって、それどころじゃなかったんだ」
ということで、改めて指南書のことを説明した。
「それは日本の『魔法の書』ということか」
「多分そうです」
「そうか、なるほど。あたしという存在が指南書を指し示してるんだ」
調子が出てきたようだ。意味が全く分からん。
「もし気に入ったのがあったら、伯母さんに交渉しますんで」
「その時は頼むよ、ワイルドダイブ」
返事をしていいものか。
「そうだ。これを」
村崎さんはポケットからインカムを取り出した。
「これって――」
「ワイルドダイブ専用のサイキックコンタクターだ」
「通信機ですね」
「君専用だ」
「それは聞きました」
「ベルベットエコーと通じるのだ」
僕はインカムを受け取った。
「そのライトが光ったら、向こうから連絡が入った印だ。君から通信する時は、耳に装着するだけでいい」
「そんな……急に連絡を入れても迷惑でしょうに」
「いや。大丈夫だぞ」
村崎さんは自信満々に言った。
「それに何で僕に――?」
「年齢が近いからだろ」
「警察官が?」
「彼女はあたしより一つ下だから、十六歳かな?」
「僕と同じか――っていうか、村崎さんって十七歳なんですか?」
「心外な反応だな」
どうやらベルベットエコーも、魔法の能力を買われて手伝いをしているだけで、警察ではないらしい。
「では本気で指南書探しを始めるか」
「それなんですが、箱に分類が記されてるんで目録を探そうかと――」
「一個一個見ていけばいいじゃない」
村崎さんが開けてた箱の布をずらした。
刀身が一口、横たわっていた。
曰く有りそげで、しかも何か嫌な感じがする。
さっと布を被せ、一気に蓋を閉めた。
「やはり目録を探そう」
村崎さんに僕は同意し、二人で足早に蔵を後にした。
出ると内縁に腰掛け、写真で盛り上がるライナと礼結を見つけた。
何をしてるんだか。
晩御飯は伯母さんのリクエストにより、僕が作ることとなった。
とわ直伝のハンバーグが食べたい――だそうだ。
とわ――とは僕の母さんだ。
母さんはばあちゃんから教わり、そして僕に引き継いだ雪ノ宮家特製ハンバーグ。
なぜ姉である伯母さんが教えてもらってないのかは置いておいて、僕は要望に応えることにした。
ただ単に楽をしたいだけだろうが、世話になってるのだから良いでしょう。
夕食時には僕の逸話で盛り上がった。
迷子になった話とか、おもらしの話しとか、本人でさえ知らない話題が出るわ、出るわ。
ギブアップ寸前の状態で片づけを済ませると、やっと本来の目的に入ることが出来た。
ヴェイサンさんが持っていた指南書とメモの件だ。
伯母さんはメモを見ると、
「お父さんの字ね」
と、じいちゃんが絡んでいることを認めた。
「じいちゃんとライナのお爺さまの関係は? それに、何で伯母さんじゃなくて、僕を訪ねろ――なの?」
伯母さんは、今度は指南書をぱらぱらとめくった。
ふむ――と小さく頷くと、伯母さんは、僕ではなく、ライナを見た。
「嬢ちゃんは、自分の病気の名前って知ってるかい?」
「確か――Kogure Disease」
英語を聞き取れなかったが、確かに今『コグレ』と言った。
「そう。日本語名は『来暮病』。発見者の名前から取られている」
「じいちゃんのこと?」
「そして、治療方法をみつけたのも、お父さんなの」
え――とライナは驚いていた。
それはそうだ。
治療できるならライナは日本に来る必要がないのだ。
なるほど。先日、図書館で調べ物をしていて、引っ掛かっていたのはこれだったのだ。
病気の治療のためなのだから、まず病気について知るべきだったのだ。
そうすれば、もっと早くここへたどり着いたかも知れない。
いや、ないな。
『来暮病』では、普通に考えると苗字だから、じいちゃんを連想できるとは思えない。
「来暮病は魔力が増え続ける病気。魔力が増えすぎれば、制御しきれず、死に至る危険性を伴う。つまり、嬢ちゃんの症状はその亜種と見ていいだろう」
「だから治療法が使えなかった?」
「いや。恐らくだが、フェリエッタ家の性質によるものかもしれない」
「家の性質?」
「治療すれば魔力が制限される。下手をすると魔力が無くなる可能性があるんだ」
「お爺さまがそんなことを許すはずがない」
伯母さんは頷いた。
なるほど。正義の魔法一族が、魔力の無くなることは認めないか。
「だから別の方法はないかと、お父さんに相談したんじゃないかな」
「でも見つからなかったんだな」
僕が言うと、伯母さんは返事をせず、指南書を見ている。
「魔法を使うと魔力が上がる『来暮病の亜種』。魔力を下げずに治療するのは困難。――で、これか……」
今度はメモを見た。
そうか、解決方法はあったわけか――小さいが、伯母さんはそう言った。
解決方法――?
それを訊き返す前に、
「嬢ちゃんは小さい頃、音色と会っていたのかもね」
と、場をかき乱すことを言った。
伯母さんはその気はなかったのかもしれないが、結果的にかき乱された。
「えええ――」
同音異義の声を上げたのはライナと礼結だ。
僕がフォローを入れた。
「見てもいないことをよく言いますね」
「ほら。病気の状況を診せるために、フェリエッタ卿がこの子を日本へ連れて来た可能性がある。なら、同じくらいの子を遊び相手として、お父さんが用意するとしたら――」
「そこまで仮定したら僕しかいないだろうけどさ……」
「ネイがワタシと会っていた――?」
夢見るような言い方。
「私より先に、ライナちゃんがねいちゃんと会っていた――?」
呆然とした言い方。
で、更に追い討ちをかけた人――
「小指と小指を繋ぐ血染めの妖精が、二人の間にいたってことかね」
ずっと本を読んで静かにしていた村崎さんが、唐突に言った。
よく分からない表現だったのに、ライナは表情を明るくし、礼結は暗くなった。
この真実開示が、次の日まで引きずられているのだ。
ずっと続きそうで怖い。
その時に僕は伯母さんに確認した。
「あくまで仮定ですよね」
「だけどな、音色――」
珍しく真面目な声が言った。
「お父さん――つまり君のじいちゃんは、憶測や想像では物を言わない人なんだよ」
伯母さんは指南書とメモを僕に渡した。
「君が持ってなさい」
どういう意味だろう?
僕が考えあぐねていると、伯母さんが女の子たちにお風呂を勧めていた。
「ネイ、一緒に入ろう」
勢いよく言われ、うん、と返事しそうになる。
駄目だろ…………いや、駄目だ。
「口に水が入ってたら、思い切り噴き出してたとこだぞ、ライナ」
「でもさ、小さい時に会ってたなら、風呂の一つや二つ――」
「それなら私だってあるんじゃない?」
「礼結とは五年生からだから有り得ないだろ。っていうか記憶が薄れるほど昔じゃないし」
どんなエロゲーだよ――と自嘲気味に思っていると、
「うちの風呂はでかいから、五人で入れるぞ」
伯母さんが言った。
「いやいや、ないって。それに何で伯母さんまで数に入ってるの?」
「ちっ、残念」
発言は村崎さんだ。
「写真を撮って、ベルベットエコーに送ってやろうと思ってたのに」
「勘弁してください――」
結局、女子が先に入った。
どうやら三人で入ったらしく、かしましい声が僕の部屋まで聞こえてきた。
妄想しないように、目録探しに集中。
蔵同様、部屋も整頓されていて、目的のものはすぐに見つかった。
研究ノートも一緒に見つかった。
指南書の現代語訳が書かれている。
「江戸時代。いや、もしかしたら、それ以前の書物だからな。現代語に訳す必要があるんだ」
部屋の入口に伯母さんが立っていた。
「そうか。解釈が今と違うから、その文章から魔法を考えなくちゃ駄目なんだ」
魔法の書にはその説明が書かれている。
しかし古い文字と文体で、登録するまで中身が分からない場合も多々あるのだ。
試しに登録しても、登録限界人数に達してしまえば、その人が亡くなるまで他の人は使えない。
この縛りに困っているのが村崎さんだ。
彼女が名前を書いたことで、登録限界人数に達し、彼女の友達は登録できなくなったのだ。
だから魔法の書がどんな魔法なのかを理解するためにも、文章の解釈が必要となる。
「そういうことだな」
伯母さんは部屋に入ってくると、ゆっくりと周りを見回した。
「音色が来るって言うんで、掃除するために久しぶりにここへ入ったよ」
「伯母さんは指南書の研究をしてないの?」
「うちの分野は別だよ。魔法本来の使い方の延長だ」
「魔法本来の使い方――って、武器という意味ですね」
「そうだな。新しい武器の開発――と言える」
伯母さんは寂しそうに、本棚に並ぶノート類に手を添えた。
「お父さん――音色のじいちゃんは、誇れることをしていた。指南書は戦うための魔法ばかりではない。役に立つ魔法を探そうとしてたんだ」
研究ノートには、子守唄が上手くなる魔法や、井戸に向いた場所を探す魔法など、戦いとは別の種類の魔法が書かれている。
音色――伯母さんが僕の名前を呼んだ。
「お前、じいちゃんの研究を引き継がないか?」
「え――?」
「無理に――とは言わん。ただ、お前ならこの研究を生かせそうな気がするんだ」
冗談とは思えない口調だ。
僕が指南書の研究をする――か。
思いも寄らない提案だった。
じいちゃんのやってきたことが消えてしまうのは残念だが、僕には荷が勝っている気がした。
「考えておきます」
それが精一杯の返事だった。
昨日はそれで終わった。
今日、目録を元に、保管物の番号とを照らし合わせ、指南書の入った箱を運び出す作業をずっとしていた。
一休みをしていると、両側にライナと礼結が座ってきた――これが今。
妙な張り合いは午後も続いた。
ほぼ蔵の整理もついたので、暑くなってきた午後は近くの川へ水浴びに行った。
ライナの水着は、礼結のお古のスクール水着だ。
胸が苦しいというライナに、礼結はビキニで色気を前面に出そうとしているが、まだ充分に子供だ。
五十歩百歩の水着対決は、現れた村崎さんのスレンダー体型を目にし、勝手な敗北で終わった。
それにしても村崎さんは随分と用意がいいな。本当に初めから遊ぶ気だったようだ。
長い黒髪を後ろでまとめ、ポニーテールにしている。それがよく似合っていた。
美人なので、あの言動さえなければ結構モテるだろうに、色々な意味で残念だ。
川の水は冷たく、深さもないので、泳ぐというほどではない。
入って、身体が冷えたら、上がって日向ぼっこ――というのが心地いい。
ライナと礼結は水のかけっこ。競っているようで、楽しそうだから放っておこう。
村崎さんは――と探すと、少し下流で座っている。冷やしているスイカ状態だ。
「水の精霊が、私の身体へ染みてくる」
とか、訳の分からないことを言っているので、こっちも放置。
じいちゃんの家に遊びに来た時にはここで遊んでいた。
その時と変わらない風景がある。
静かな自然の音――……にそぐわない電子音?
何だ――?
僕の荷物から聞こえる。
開けてみると、村崎さんから貰ったインカムが鳴っていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます