第7章 魔法警察は大変だ

 礼結を土手へ引き上げ、目隠しと猿ぐつわを外してあげた。

 水でびしょびしょなのに、涙目になっていくのがはっきりと分かった。

「良かったよ、無事で」

 声もなく泣き出した礼結の頭を僕は抱きしめた。

 インカムにボートを追う村崎さんたちの状況が入ってきている。

 礼結を労わりながらも、頭ではライナのことを慮っている。

 ライナは僕らを救うため犠牲になった。

 僕がいたから魔法も使えなかった。

 ライナを助けるためにボートを追いかけることは、もう僕には出来ない。

 せめて状況だけでも聞いておきたくて、耳は村崎さんたちの会話に集中していた。

 どうやら二人の男性――デビルシープとカタルシスハイアーは、村崎さんと同じく魔法で移動が可能らしい。三人でボートを直接追って、残りの二人は自動車で併走しているようだ。

 ギャング団の銃撃と魔法により、思った以上に近付けずにいた。

『川は下流で分岐が多くなるわ。自動車が入られない方へ行かれたらおしまいよ』

 ベルベットエコーだ。

『その前にケリをつける』

 これは……リーダーの女性だ。さっきの声質と微妙に違う。というか、内面に秘めた恐ろしさに合ったものになっている。

 礼結も落ち着いたようで、僕は彼女の動きを封じていたロープを解きにかかった。

 水を吸った紐は指の侵入を頑なに拒む。

『キャプテン! このままでは逃げられる!』

『ヘッド、攻撃許可を!』

 呼び名がバラバラだな――っていうか、ライナが乗ってるんだぞ!

『止む得ないか』

 というクリムゾンレクイエムの声はどこか嬉しそうだ。

「いやダメでしょう! ライナがそこにいるんですよ」

 僕は思わず言った。

『案ずるな、坊主。当てはしないさ』

 渋い声は、多分、オクトパスドゥームだ。

 しかし、この二つ名は何とかならんもんか。

『大丈夫だ、ワイルドダイブ。あたしが見張ってるから』

 これは村崎さん。あなたも微妙に心配……。

 礼結が振り向いていた。

「ライナちゃん?」

「うん。今、警察が追っている」

 僕は耳のインカムを指差した。

『全員、攻撃開始。ボートに直接当てるなよ』

 了解――という返事の後、遠く離れたはずの位置から爆音が聞こえた。

「ええええ……?」

 水柱が見えた。

 大丈夫かよ。

 サイレンを鳴らさず救急車がやってきた。

『ぼくが手配した。君たちは病院に行きなよ』

 ベルベットエコーが言った。

「ありがとう」

 救急隊員が土手を駆け下りてくる。

 まだ礼結の戒めは解けていない。

 一緒に上まで行くが、僕は救急車には乗らなかった。

「ねいちゃん……」

「僕はここで顛末を見守るよ」

 やっと自由になった手に、僕は手を重ねた。

 柔らかい手の甲は、夏とはいえ川で冷え切っていた。手首の紐の跡も痛々しい。

「礼結は病院で診てもらって、休んでて。僕もすぐ行くから」

 俯いていた礼結はゆっくりと顔を上げた。子猫の目が僕を見た。

「ねいちゃん。ライナちゃんを助けてあげて」

 非力な僕に何が出来る――そう言いそうになるのを堪え、僕はただ頷いた。

 毛布だけを借り、救急車を見送ると、ボートがいるであろう方角へ目を向けた。

 さっきよりも遠くで水柱が上がる。

 まだボートを止められないようだ。

 ライナを助けて――か。

 今彼女を救助できるのは村崎さんたちだけなのだ。

 僕ではない。

 ベルベットエコーが魔法で繋げているこのインカムなら、たとえ離れて病院へ行っても実況は聞こえるし、声は届くだろう。

 それなのに、ここへ残ったのは、ただの感傷でしかない。

 やるせない想いを持て余してた僕は、その人が近くにいるのに全く気付かなかった。

 肩に手を置かれ、視線を向けて、やっとヴェイサンさんがいることを知った。

「ヴェイサンさん――」

 深く刻まれた皺の奥で慈悲深い表情が頷いた。

「やはりお嬢様は行ってしまいましたか」

 僕は後ろめたさを感じて目を逸らした。

「あまりご自分を責められますな。あなたがお嬢様を犠牲に出来なかったように、お嬢様もあなたがたを巻き込めなかったのですじゃ」

 ヴェイサンさんは僕から離れると下流の方へ近付いた。少しでも傍に寄ろうとする想いは僕にも分かる。

 松葉杖をついてゆっくりと歩んでいる。姿勢の良い背中は言葉以上に心配を隠せていない。

 僕もヴェイサンさんの隣に並んだ。

 そうそう――と、ヴェイサンさんは懐から古びた紙を取り出した。

「先代、つまりお嬢様の祖父であるキノデイル・フェリエッタ様が、日本の古い友人から送られたという魔法の書でございます」

 僕はそれを受け取った。

 水分を失った印象は手で触れてみても変わらなかったが、思った以上に頑丈そうだ。

 外的刺激に強いのは魔法の書の特長だ。

「わたくし共では解読できなかったので登録できませんでした。あなたなら有効に使えるのではないかと持って来ました」

「これは多分江戸時代に作られた魔法の書で、僕も読めはしないかと……」

 表紙の部分に『魔法指南書』と筆文字で書かれている。

「僕の祖父がこういう研究をしていました」

「ではお尋ねすれば解りますでしょうか」

「祖父はもう他界していますが、そうですね、伯母が引き継いでますから――」

 後で訊ねてみましょう――

 僕は続くその言葉を呑み込んだ。

 全てはライナがいなければ何も始まらないのだ。

 ライナがいてこその魔法の書だ。

 その時、村崎さんたちの方で何かが起きていた。

「どうしたんですか?」

『いや――……何があった?』

 村崎さんだ。

「僕が訊いてるんですけど……」

『』

あいつら手榴弾を使って、派手に目晦ましをした瞬間に、鉄道陸橋の下へ潜り込んだんだ』

 ベルベットエコーだ。

『あたしらが追いついたら――』

『ボートが三つになってた』

 村崎さんの言葉を、リーダーが繋げた。

「はい?」

『今あたしたちは三つのボートを追いかけてる』

「つまり、あいつらは初めからそこにボートを隠していて、ライナを乗せ替えたってこと?」

 僕の言葉は誰も受け取らなかった。

『川の分岐を利用するつもりだ』

 ゾワリとした感触が背筋を走る。

 このままでは逃げられる――。

 僕は座り込んでしまった。

『ベルベットエコー。あいつらの予測コースと我らの追跡コースを割り出して指示をくれ』

『了解』

 追跡する警察たちの会話がやけに遠く感じた。

 意識が遠のきそうになる。

 駆け寄ったヴェイサンさんの声も遠い……。

 このまま気を失うのか? それでいいのか? 僕でも何かできないか? ないと諦めてないか?

 考えろ――考えるんだ――

 あいつらの自信。警察を呼んでも構わない――つまり、逃げ切れるという自信。

 それがこの三つのボートによる撹乱?

 これで充分か――?

 いや。川を進む以上、無理はある。たとえ分岐へ入られたとしても川は道以上に逃げ場が少ない。

 言っているそばから、どうやら村崎さんが分岐へ入ったボートの制圧に成功したようだ。

 残念ながらそこにライナはいなかった。

 自動車と自走できる残りの二人で、二手に別れているがこちらも多分追いつくだろう。

 パズルを完成させるのに抜けているピースがある――そんな感覚……。

 そもそも僕が『ギャング団』と呼称している奴ら――あいつらは何者だ?

 神田でライナは犯罪現場に偶然遭遇して戦闘になった。そう思っていた。図書館はその報復だ。

 ならば何故、ボートでライナの身柄を預かりに来た――?

 そうか……

 僕は立ち上がった。

 ヴェルベットエコーを呼び出す。

『何だ? 今、忙しいんだが?』

「さっきボートが増えた地点の近くに車――そうだな、トレーラーがいなかったか?」

『過去の検索か。防犯カメラを遡るのは面倒なんだぞ』

 といいつつ、

『いたぞ。少し離れているが、かなり大きめのトレーラーだ』

 意外と早かった。

『これがどうした?』

「それって、銀色の車種不明なトレーラー?」

『どうして分かる?』

「こっちへ向かってる――」

 川沿いの道ならここを通る可能性はあった。

「一つ忘れていたのが魔動兵器の存在だ。あいつらの魔力は不安定で、とても魔動兵器を操れるほどではなかった。逃亡している今も、それが出てくる気配さえない」

 僕は自分に言い聞かせるように言った。

『つまり、こいつらはオトリってことかい?』

 リーダーが訊いてきた。

「ボートが三艘になった時、ライナはそのトレーラーに乗せ替えられたんだ」

『なるほど、そのトレーラーに魔動兵器が積まれてるのか』

 村崎さんが同意した。

『ヴェルベットエコー。同一車種か確認を』

『もう済んでますよ。近くに停まっていたトレーラーと一致』

 リーダーにベルベットエコーが即座に答えた。

『しかし、それだけで犯人とは……』

 誰かが言った。

「分かりますよ」

 僕はゆっくりと道の真ん中へ歩んでいく。

「だって運転席にいる男に見覚えがある」

 正確には、運転席の男の魔力に――だ。

 二段の魔力バーと、二割弱の魔力。魔動兵器に乗っていたパイロットの魔力だ。

 僕は道の真ん中で両手を広げた。

 三百メートル先で運転手が僕に気付いた。

 が、停まる気はなさそうだ。

 道幅はトレーラーが僕を避けては通れない位――つまり向こうがここを通るためには、僕を撥ね飛ばしていかなければならない。

 我慢比べだ――と言いつつ、僕に分が悪い。

 僕が避けるか、避けないか、の差でしかない。

 トレーラーはスピードを上げて迫る――

「あれにお嬢様がいらっしゃるのだな?」

 横でヴェイサンさんの声がした。右横に並んでいる。

「絶対にいます!」

 うむ――とヴェイサンさんは頷くと、松葉杖を放り投げ、足を引きずりながらトレーラーへ向かっていった。

「ヴェイサンさん?!」

 姿勢の良い背中がぐん――と膨れた。魔力を体力へ変換したのだ。更にもう一回り膨れ、タキシードが裂けた。

 トレーラーが迫る。

 うぉおおお――と、ヴェイサンさんが右腕を突き出した。

 鉄がひしゃげる音が響く。

 トレーラーの巨体が車両後部を一瞬浮かび上がらせた。

 ぼん――と運転席でエアバッグが開いた。

 ヴェイサンさんが右腕を押さえて膝をついた。

 トレーラーは停まっていた。

 その前面部が突きの形にへこんでいる。

 僕がヴェイサンさんに駆け寄ろうとすると、

「わたくしのことより、お嬢様を!」

 苦痛に滲む声がそう言った。

 僕はまっすぐトレーラーの後部へ走った。

 ロックがかけられているかと思ったが、意外と簡単に後部ハッチは開いた。

 光を吸って内部は薄暗く晒された。

 箱が荷崩れしているだけで、ライナも、魔動兵器もない。

 だが……絶対いる――僕は確信していた。

 中へ入ろうとすると、背後でガチャリと音がした。

 初めて聞くのに、撃鉄の音だと分かった。

 両手を挙げて振り向く。

 血走った目の運転手が銃口を向けていた。

「何のつもりか知らんが、命はいらんようだな」

 マッチョな体格の外人の口から日本語が聞こえた。

「そのアクセント、覚えがある」

「何のことだ?」

「通信機で僕と話しただろ」

「さあ、知らんよ」

 窪んだ眼窩の奥で細い目が睨む。

 本気で撃つ気だ。

 僕が身体を縮めかけた時、気付いた。

「あ?」

「何?」

 盛り上がった肩の筋肉の向こうに迫ってくる人影が見えた。

 滑るように、真っ直ぐ――――飛んできた!

 僕は頭を抱えながら伏せたのと、飛んできた黒衣の長身がマッチョマンにぶつかったのが、ほぼ同時であった。

 唸るような悲鳴を上げながら、外人マッチョは荷台へ吹っ飛んでいった。

 後頭部へ両膝でぶつけた当人は、僕の目の前へ着地した。

「破滅から浄化された存在! 紺碧のニナ! ただいま参上!」

 しゃがんだ僕は、村崎さんが変なポーズを取っているのを見上げることとなった。

 立ち上がって荷台を見ると、床で男は伸びていた。

 僕が村崎さんへ礼を言っていると、パトカーのサイレンが聞こえた。一台や二台ではない。

 橋の手前で停車させたらしく、警官たちが大勢駆け寄ってきた。

 伸びていた男を拘束した。

『ぼくの手配だよ』

 耳元でベルベットエコーが言った。

 お見事――と僕が返すと、満足そうな笑い声が聞こえた。

 マッチョな運転手が気が付いたようだ。

「不当逮捕だ! 領事館へ訴えるからな!」

 手錠をかけられ、膝をつかされながらがなりたてた。

「ゴールデンハンマーはどこだ。ワイルドダイブ?」

 荷台を覗きながら、村崎さんが訊いてきた。

「お嬢様は?」

 ヴェイサンさんが腕を抑え、片足を引きずりながら、歩み寄ってきた。

 僕は中をじっと見る。

 何かがおかしい――。

 違和感を推理する。

 焦るヴェイサンさんと村崎さん。喚き散らすマッチョマン。困り始める警官たち。

 外野のノイズを余所に、僕の集中力は増していく。

 僕の魔力可視は、姿が見えないと表示されない。

 だが、研ぎ澄まされた感覚が、魔力バーを天井に捉えた。

 潜在値のグレーが三割の魔力バー――ライナしかいない。

「ライナ!」

 僕はトレーラーの天井へ叫んだ。

 微かな物音が隠し天井があることを教えた。

 警官たちが押し込められていたライナを助け出した。

 そして斜めの壁の奥に、魔動兵器が手足を折りたたんで搭載されているのも発見した。

 違和感とは、トレーラーの全長よりも中身の狭さにあったのだ。

 かくしてマッチョマンは晴れて容疑者から犯人に格上げされた。

 ボートで逃げていたギャング団も魔法対策課が逮捕した。

 もっともボートは大破。川岸や周辺にも被害が出たらしい――とも聞いた。

 そして、ライナは無事、僕らの元へ戻ってきた。

 ものすごく疲労しているが、ライナは笑顔を見せた。

「ほら――」

「ん?」

「魔法が使えずとも、ネイは何とかしてくれるだろ」

 僕は答えられなかった。

 ヴェイサンさんと村崎さんの手助けがなかったら――、そしてベルベットエコーの機転がなければ、ライナを助けられなかった。

 しかしライナの笑顔を見ると、そんなネガティブな真実を挙げる時じゃないとも思った。

「無事で良かったよ」

 礼結に言ったのと同じことを、ライナにも言った。

 治りかかっていた足を悪化させ、更に右腕も複雑骨折となり、ヴェイサンさんの入院は延長された。

 こうして、ライナのホームステイも自動的に延長されることとなった。

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