第6章 犯罪と究極三択
橋の欄干にライナと二人でもたれかかる。
三時少し前。
約束の時間はもうすぐだ。
僕はライナの横顔を盗み見る。
状況を知らなければ、ただ空を見上げる十五歳の金髪娘だ。
朝に図書館に行った時と同じチェリーレッドのパーカーとデニムのショートパンツだ。着替える暇はなかった。魔法アイテムの手袋だけは左手にしている。
何も話しかけられないまま、僕も空へ視線を動かす。
夏の空は澄んだ青をしている。
夕方でありながら、絡みつく雲を通り越して、高い位置に空がある。
図書館で攫われた礼結を、県道まで追ったが結局逃げられてしまった。
その時に受け取った通信機が、連絡を告げるベルを鳴らしたのは昼頃であった。
「もしもし――」
「お前が久里岡音色か」
さっきと同じ声――魔動兵器のパイロットだ。
「そうだ。礼結は無事なのか」
「ああ。今のところはな」
嫌みな言い方だ。要求を呑まないと安全は保証しないということだろう。
「何が望みだ」
「話しが早くて良い」
「やいやいやいやい――婦女子を人質に取るなんて、恥ずかしくないのか!」
僕の後ろで、ついに堪忍袋の緒が切れたのか、ライナが怒鳴った。
「そうだ! お前はそれでも、漢字の漢と書いて『おとこ』と呼ばんのか!」
ややこしい。
なんで村崎さんに、ここにいて良いと言ってしまったのだろう……。
「武士の風上にも置けんやつだ」
ヴェイサンさんには止める立場に回ってほしかった。
ベンチに腰掛ける入院着の執事を僕は見返した。
睨んだつもりだったが、ヴェイサンさんは親指を立ててサムズアップ。意味が分からない。
ここはヴェイサンさんが入院している病院の中庭だ。ここで午前にあったことを報告していた所だった。
「外野は気にしないで続けてくれ」
息も絶え絶えに僕はそう言った。
うむ――という相手の声に同情が混じっていて、死にたくなった。
「我々の要求は人質交換だ」
「人質――そちらの仲間が捕えられているってこと?」
「こちらが望むのは、ライナ・フェリエッタの身柄だ」
「な――」
みんなの視線がライナに集まった。
本人はきょとんとしている。突然名前を言われ、事態を把握できていないようだ。
「何でライナを?」
「理由なんて取引には無意味だ」
こっちにはあるんだよ。
「返答はいかに?」
僕にその権限はない。
何とか情報を引き出そうと、次なる言葉を思案していると、
「いいだろう。その要求に従おう」
ライナが一歩前に出て言った。
「お嬢様!」
「ゴールデンハンマー」
「ラ――?」
村崎さんが変なことを言ったため、僕はライナの名前を呼び損ねた。
「もう決めたのだ」
ライナは一言でみんなに応えると、
「おい、レムはどこで返すのだ?」
僕の手の通信機に問いかけた。
「いい心がけだ。こっちの娘はすぐに返してやろう」
「そんなことはいい。どこで、何時だ」
凛とライナは言い切った。
星王町駅近くの名もなき橋に三時――これがあいつらの提示した場所と時間だ。
つまりここだ。
自分を邪魔者扱いにした礼結のために自分を犠牲にする。捕まったらどうなるか分からないというのに、さっき覗き見た横顔は平然としていた。
何も不安はないのだろうか――僕は思う。
病院でライナが人質交換を了承した後、
「ライナお嬢様――」
とヴェイサンさんが立ち上がった。
ギブスを巻いた足が痛々しい。
ライナはもう意見を曲げないだろう。そう思っているからヴェイサンさんも何も言わない。
僕も彼女に頼るしかない。
その非力が悔しくて通信相手に噛み付いた。
「どうせ警察に電話したら礼結の命はない――なんて言うんだろ」
「いや。止めないさ。好きにするが良い」
「え――?」
「受け渡しにはお前も来い。娘はお前に渡す」
時間に遅れるなよ――と、通信は切れた。
意表を衝かれて返事も出来なかった。
「警察に連絡されても問題ないというのか?」
「自信があるんでしょうな」
ヴェイサンさんが言った。
「あと二時間じゃ、警察を配備できないと思ってるのさ」
村崎さんの説だ。更に続けて言った。
「ところがギッチョン。充分すぎる時間だよ」
「そうなの?」
「さっきの騒ぎで魔法対策課が動ける状態のはず」
「なるほど」
「後はあたしが降臨させてあげるよ」
それはよく分からない。
村崎さんは正門へと走り出した。しっとりと重い黒髪が流れていく。
「じゃあ後で連絡するからね。ゴールデンハンマー、ワイルドダイブ!」
変な言葉を置き捨てていった。
ゴールデンハンマーってライナのことか。じゃあワイルドダイブは僕?
何となくさっきの挙動をさしているようだ。言い得て妙だが、僕の達観的な顔付きにそぐわないので止めてほしい。
「ネイ、さっきの場所は分かるか?」
「ここから一時間くらいの所だ」
「遅れると元も子もない。行こう」
ライナも正門へと歩き出した。
え――と僕はヴェイサンさんを見た。
長年仕えている執事に挨拶もなし?
ヴェイサンさんが僕に深々と頭を下げた。
薄く白髪のかかった禿頭が僕に晒される。
お嬢様をよろしく――ということなのだろうが、僕には何もできやしない。
いたたまれずに僕は会釈だけを返して、ライナの後を追った。
最寄り駅から乗り継ぎ、指定された場所へ向かう。
電車が東海道線と並走しているため、新幹線を何度か見かけ、ライナは大はしゃぎであった。
座席に後ろ向きで座ろうとするのを僕は必死に止めた。
「なあ、ネイ。あの鼻の丸いのは来ないのかの? 来ないかな? 来るといいな」
『こだま』ってやつだっけ? 引退したと聞いた気もしないでもない。
しかしうろ覚えだし確証もないので、来るといいね――と特に指摘はしないことにした。
そんなことをしている内に、犯人に指摘された星王町駅についた。
駅を出ると、改札の正面に村崎さんが仁王立ちで待っていた。
せめて横に寄っていてほしい。通行人の邪魔になっている。
よく見ると、後ろに四人の人影があった。ごつい男性三人と、普通の容貌だけど、どこか危険な臭いのする女性が一人。
百歩譲らなくても警察だ。じゃなければ堅気の職じゃない人たちだ。
「よく来たな、ゴールデンハンマー、ワイルドダイブ」
やっぱり僕がワイルドダイブなんだ。
「こちらは警視庁魔法対策第三課。今回の人質救出作戦を担当する五人だ」
「彼女がライナ・フェリエッタ。僕は久里岡音色です」
変なあだ名で紹介される前に自ら名乗った。
女性が一歩前に出てきた。
「君がワイルドダイブか。話しは聞いてるぞ」
もう向こうに浸透してた……。
「わたしはリーダーを務めているクリムゾンレクイエムだ」
「へ?」
「あっちがデビルシープ、隣がオクトパスドゥーム、端っこがカタルシスハイアー」
村崎さんが一気に説明した。
誰一人照れも苦笑もせず、真面目に会釈してきた。
こうなると僕がおかしいのかという気がする。
「五人と言ってたな?」
ライナが訊いた。
「そういえば――」
視線を動かしても四人しかいない。
「村崎さんが入ってるの?」
ナン――と村崎さんは否定した。
「もう一人はここにいる」
リーダーのクリムゾンレクイエムがインカムを渡してきた。
微妙に把握できてない。
「耳につけるんだろ」
ライナに言われて、やっと耳へ押し込むや、
『遅いぞ。ワイルドダイブ!』
と怒鳴られた。
若い女性の声だ。印象でいえばライナよりも若そうだ。
『ベルベットエコーだ。よろしくな』
「はあ――」
この人たちに任せて良いのか、心配になってきた。
「案ずるな。あたしも参加するから」
村崎さんだ。
不安が増しただけであった。
たいした打ち合わせもなく四人は分散した。
村崎さんだけが取引現場の橋近くまで一緒だった。
「そのイヤホンは魔法アイテムだから、ベルベットエコーの魔法を通じ、あたしたち全員を繋げてくれる。状況に応じて指示が入るから」
配置についたことを知らせる太い声と、リーダーの凛々しい返事が、確かに聞こえる。
「ゴールデンハンマー、随分と無口だが大丈夫か?」
「問題ない」
ライナは商店街に気を取られてか、短く答えた。
というより、ゴールデンハンマーでいいのか?
「じゃ、あたしも配置につくから」
村崎さんは重力魔法でふわりと宙へ舞った。
近くにいた通行人たちがぎょっとした。
そりゃ、そうだ。
連なる店の屋根を飛び越え、村崎さんは消えた。
再び二人になった。
僕とライナは橋の中央で欄干にもたれかかって、三時を待った。
夏空を見上げ、僕は選択肢を掲げる。
1、このままライナに人質交換をお願いする
2、ライナを止めて、礼結を諦める
3、僕が特攻して、礼結を助ける
理想は3だ。
だけど僕に何が出来る?
犯罪組織に対し、僕は普通すぎて、対抗方法が皆無だ。
魔力を見れるだけの僕が、何故ここにいるのか――?
「ネイはいるだけで、ワタシの支えになってるよ」
「え――?」
僕はライナを見た。
ぎこちない笑顔がそこにあった。
「もしかして口から出てた?」
ライナは頷いた。
やべえ――めちゃくちゃ恥ずかしい……。
僕の密かな悶えも気にせず、ライナはいつになくおとなしめに言った。
「緊張してしょうがないけど、ネイがいてくれるから――」
「でも――……僕は何もできない」
「魔力が少なくても、魔法が使えなくても、きっとネイは何とかしてくれる。ワタシはそう思えるんだ」
そんな――僕は言葉を呑み込んだ。
謙遜も気弱も、ライナへ悪影響しか与えない。
今は思っていても押し込めるしかないのだ。
「努力するよ」
何とか言うと、ライナが頷いた。
遠くチャイムが聞こえた。学校か工場か分からないが、きっと三時だ。
『来たぞ、お客さんだ』
インカムから声が聞こえ、そしてポケットの中の通信機が反応した。
取り出してスイッチを入れると、
『ライナ・フェリエッタを連れて来たか?』
聞き覚えのない声だ。若く、イントネーションは日本語だが、呂律が微妙に回ってない。
しかも、すぐ近くから生の声も聞こえた。
僕は橋の下を覗きこんだ。
ボートが一艘浮かんでいた。後部デッキにヘルメットを被った男が二人、立って見上げている。
神田でライナと戦っていた『ギャング団』だ。そして午前中にもちょっかい出してきている。
ということは、こいつらと魔動兵器を使ったやつは繋がっている――?
思考が別の方へ向きそうになるのを無理やり戻す。
「ライナならここにいる」
僕は通信機を通さずに直接言い下ろした。
「礼結はどこだ?」
「ライナ・フェリエッタを――」
「礼結の無事を確認する方が先だ!」
僕は言い切った。
ここは譲るつもりはない。
仕方なさそうに赤いフルフェイスのヘルメットが、奥側のヘルメットへ合図をした。
操舵室のドアが開いて、もう一人のヘルメット男が礼結を連れ出してきた。
身体にはロープが絡まり、目と口にタオルが巻かれている。連れ去られた時と衣服は変わらないようで、暴力は受けていなさそうだ。
「礼結!」
僕が名を呼ぶと、礼結は見えないながらも声の方――僕を見上げた。
「今、助けるから――」
礼結は小さく頷いた。
「いいだろ? 次はこっちの番だ」
赤メットが言った。
「何だ?」
「欄干の端にくっつけてある物を取って来い」
欄干の……端――?
行くと、確かに何かガムテープで貼ってある。剥がしてみると手錠であった。
「手錠?」
『恐らく魔法抑制リングだ』
イヤホンからベルベットエコーが言った。
『魔法を使える犯罪者を捕まえるためのものだ』
チームの男性の誰かが補足した。
つまり、これをつけたらライナは魔法を使えなくなる。
礼結を攫ったのも、これを大人しく装着させるためだったのだ。
こんなもの、つけさせられるか――!
「あったろ。それをライナ・フェリエッタの手首へつけろ」
赤メットの声には苛立ちが感じられた。
これ以上焦らしたら、礼結の身に何があるか分からない。
僕はライナのところへ戻った。
「それは?」
「魔法抑制リングらしい」
「ワタシの魔法を抑えるためか」
言いながらライナは左腕を出した。その動きには躊躇いがなかった。
良いのか――?
何度目かの自問自答。
「早くしろ!」
通信機と生声がステレオで聞こえる。
僕はライナの左腕を持った。
小刻みに震えている――。
躊躇いがないから、怯えがないというわけじゃない。
正義の家系の跡取りなのだ。引き下がれるはずがない。
それに頼って女の子をギャング団へ渡して良いのか――?
良いわけない!
選択は『3』だ!
僕はリングを持ったまま、欄干を越えた。
色々な人の声が僕の名を呼ぶのが聞こえた。
ああ、またやっちゃった――
僕は宙を舞いながら、そう思った。
思うのも一瞬。
僕はボートの後部デッキへ。
ヘルメットたちの間に飛び込んでいた。
バンと足裏が激しく音を鳴らし、ボートが大きく揺れた。
僕の動向を見ていた『ギャング団』たちは縁などに掴まっていたが、目隠しの礼結は揺れに驚いて倒れ掛かった。
体勢低く着地したのが幸いしたか、音のわりには足にダメージがないのを確認しつつ、僕は礼結へ走った。
操舵室から一緒に出てきたヘルメットの男が、礼結の戒めの紐を引っ張った。それで倒れずには済んだが、礼結の僅かに覗く頬が苦痛に歪んだ。
僕は手のリングを、紐を掴んだヘルメット男へぶん投げた。
がうんと強化プラスチックを揺らして、リングは勢いよく跳ね返っていった。
その隙に僕は礼結を奪い取った。
が、左頬に強い衝撃を受け、僕はボートの端へと転げ飛んだ。
どうやら立て直した赤ヘルの男が殴ってきたようだ。
頬骨に熱さが滲む。左眼が霞むが痛がっているわけにはいかない。
まだ礼結を奪い返せるはず――と僕は立ち上がった。
しまった――
赤いヘルメットの男は魔法を使おうとしていた。
礼結はその向こう。
もう一人のヘルメット男に抑えられている。
1、魔法を顧みず突っ込む
2、今はとにかく川へ逃げる
3、――
僕が選択肢の3を考えていると、スタッと影が視界の端に下りてきた。
影はデッキへ降り立つと同時に、赤ヘル男の翳した左腕を掴み、捻りながら後部へと投げた。
男は床を滑っていった。
影はライナであった。
魔力を身体能力に変換する魔法を使用している。
一気に礼結へと走った。
僕がやっと立ち上がった時には、二人のヘルメット男は蹴り飛ばされていた。
「ライナ、こっちだ!」
礼結を抱きかかえ、ライナが走ってきた。
ギャング団たちが復活しているのが見えた。決してダメージが低くないのに立ち直りが早すぎる。しかも魔法を使う気配がした。
「危な――」
僕はライナへ警告しようとした。
飛んできたのは礼結であった。
受け止めると同時にライナに突き飛ばされた。
川へ落ちていく僕の視界は、電撃に打たれているライナを映した。
水面が僕と礼結を包んだ。
礼結を抱え、やっと顔を出した時には既にボートは走り出していた。
その縁にライナがぐったりともたれかかっている。電撃に痺れているのだろう。
赤ヘル男がライナの腕にリングを装着したのが見えた。
「ライナ!」
ボートは下流へと遠ざかっていく。
僕の声は虚しく響いた。
『後は任せておいて』
村崎さんの声がインカムへ届いた。
「お願いします――」
僕は搾り出すように言った。
結局、ライナに助けられてしまった。
あの時ライナが礼結と僕をボートから突き落とさなければ、三人で捕まっていた。
逆に言うと、僕たちを助けたからこそライナは電撃を受けたのだ。
ライナを連れ去られ、そして、他の人に頼らなければライナを追うことも出来ない。
無力だ――
バカの一つ覚えのように繰り返してしまう。
そもそも僕に力があれば、一人で突撃した段階で礼結を助けられたはずだ。
もたもたしていたからこそライナも下りてきた。
僕に力がなかったから――
悔やんでも、悔やみきれなかった。
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