第5章 街中の大追撃

 道はない。

 雑草が無造作に生えた斜面を転げるように駆け下りる。

 いや、駆け下りているのはライナだけで、僕は転げ落ちている。

 礼結を持った箱型ロボットが、公園を挟んだ向こうの道に見える。

 あの道は公園に沿って弧を描く一本道で、僕らが向かっている橋と合流する。

 僕はともかくライナの速度なら余裕で追いつくだろう。自動車並の速度は出ている。

 赤いパーカーの背中を、僕ははるか後方から見てい。

 だけど素直には喜べない。

 ライナは魔法を使っているからだ。魔力を身体能力に変換する魔法――執事のヴェイサンさんが使用していたものと同系統だ。

 変換のための魔法は魔力を上げていく。走っている限り増え続けるのだ。

「身体が保たないぞ」

 心配しつつ、それがジレンマだと気付いていた。

 あれを止められるのはライナしかいないのだ。

 僕に力があれば――。

 自分勝手な苦悩を抱いてしまう。

 魔法なんて覚える気はないと、僅かな魔力も無いものとして生きてきたのだから。

 だが今はエゴだとしても思ってしまうのだ。

 どうして僕は見ることしかできないのか――と。

 捕まっている礼結の安否を横目で確かめる。

 小さく腕を縮め、目を閉じている。

 脅えているのだ。

 友達さえ助けられないなんて情けなさすぎる!

 視線が鉄の箱へ移った。

 あれ? 箱型ロボットの頭上にも魔力バーがある――?

 表示されているバーの先端が機体を指しているということは、あのロボット自体の魔力バーなのか。

 いや、聞いたことがある。魔力を動力に変換できる兵器があると。

 名前は確か――『魔動兵器』。

 そのままだった。

 ということは、あの魔力バーはパイロットのものだ。

 魔動兵器の魔力バーは二段になっている。つまり潜在魔力は高い。

 但し、使える魔力はその二割弱――普通の人と同じくらいだ。それがパイロットの魔力だ。

 ふと思いついた。

 魔法に関わる機器なら、耐魔法コーティングがされていてもおかしくはない。

 ライナはお構いなしに魔法を使うだろう。

 無駄に魔力と体力を使わせないようにしなければ――。

 とは言うものの、もう向こうとは三百メートル以上差がついている。声も届きやしない。

「乗るかい?」

「へ?」

 横から軽く声を掛けられた。

 派手なスパンコールのブーツがまず目に付いた。

 視線を上へ。

 サーフボードに乗っているようなポーズで、空中を併走する細身のシルエットは――

「惨劇のミナ?」

「微妙に違ってる! あたしは――……紺碧のカナ?」

「知りませんよ。何で訊いてるんですか」

「どうでもいいわ、そんなこと。それより乗るの? 乗らないの?」

 黒い長髪が風になびいている。恐らく重力を魔法で操り、オンとオフを切り替える事で前に進めているのだろう。リニアモーターカーと似た原理だ。

「乗るって……何に?」

 僕の想像では、彼女の背中か肩に乗っている。

「変なこと考えてない?」

「いや……。別に――」

 変なことと言えば変なことだが、彼女が言う変なこととは違うと思う。だが視線が泳いでしまう。

「どうするの?」

 僕はライナの背中を見た。迷うことではない。

「お願いします」

 彼女は手を差し出してきた。

 その手を掴むと重みが喪失した。すうっと風のみが横を通り過ぎていくようだ。

「バランスを崩したら、あたしに掴まって」

「はい」

 ところで――

「どうして助けてくれるんです?」

「理由なんて必要?」

 まあ、確かに今はいらないか。

「そうですね。ご好意を受けさせて――」

「君が、離れ際に頭を下げたじゃない」

 言うんだ、理由……。

「あれで君が怪盗アカツキじゃないかもって気付いたんだ」

「違うって言ったでしょ」

「そうしたら、あの子が攫われたのはあたしのせいかもって思えて……」

 視線を明後日の方向へ逸らした。

 礼結が捕まった原因はこの人のせいではない。

 元々重力魔法でギャング団を抑えてくれなければ、僕は死んでいたかもしれないのだ。

 思い込みが激しいようだが、今はあえて指摘はするまい。

「僕は久利岡音色です」

 顔が戻ってきた。

「あたしは……村崎新苗」

「にいな? ニナじゃないんですか?」

「ニナの方が語呂がいいから――」

「じゃあカナって?」

 ぐう――と村崎さんは閉口した。

「君だって、あたしのことをリナって」

「ミナって言いましたよ」

「どうだって良いよ。さっさと追うよ」

 速度が上がる。

 しかしライナに追いつく距離ではなかった。

「あの子はライナ・フェリエッタ。彼女も回収します」

「でも肉体強化魔法でしょ、あれ。あっちの方が速いよ」

「彼女は魔法を使うと、魔力が上がる病気なんです。今も上昇している」

「そうなの? よく分かるね」

 その説明は面倒だから今はしない。

「攫われたのは渡雨礼結。彼女を救うためにライナは無理をしてしまう。今だって死ぬほど苦しいはず――」

「ん――分かった。頑張ってみるよ」

 更に速度が上がる。

 雑草の斜面の下は細い遊歩道で、橋の下まで続いている。

 橋の近くでは斜面の勾配はほぼ九十度で、橋へ上がるには石段を使う。

 ライナは勢いに乗って斜面を傾いたまま走っている。

 僕の勘ではあるが、あの魔動兵器とライナが交差するタイミングは一緒だ。

 だが下にいる分、ライナが遅れている。

 ライナが速度を変えずに下の遊歩道へ向かった。

「あれ? 下へ行ったよ。あたしたちも――」

「いや。僕たちはこのまま直進で!」

 僕と村崎さんは高い位置の空中を移動した。

 右側に魔動兵器が見えた。

 左側では橋の下へ達したライナが制動をかけつつしゃがんでいた。

「ジャンプする気?」

 肉体強化している今なら可能だ。それしか追いつく方法は無い。

「僕らはこのまま真っ直ぐ」

「分かってるって!」

 ライナが跳ねた――

 魔動兵器が橋へ掛かる――

 僕らは数秒遅れて、交差ポイントへ――

 ライナの手には魔法の炎が上がっている。

 橋上の魔動兵器へ叩きつけようとした瞬間、ライナの手が止まった。

 そうか! 礼結がいるからだ――。

 魔動兵器の左腕が振られ、宙に浮かんでいるライナを叩き飛ばした。

「ライナ!」

 僕は目の前を飛ばされていくライナへ飛びついた。

「――!」

 一瞬間、意識が弾けた。

「おぬしはバカか、ネイ!」

 声だけが聞こえた。

 言葉ほど口調は厳しくない。むしろ弱々しい。

「ライナ……無事か?」

「おぬしが庇ってくれたからな」

 いまいち状況を把握していない。

 目を開けると、目の前にライナと、その向こうに村崎さんがいた。

 三人とも重力魔法で浮かんでいる。

「無茶をする……。まるで四天王だな」

 村崎さんが言った。意味は全く分からない。

「そうか。飛ばされたライナを受け止めて――」

 背中を見た。斜面に接している。

 ライナを抱えたまま、背中から斜面にぶつかったのだろう。それで意識が飛んでしまったのだ。

「土の斜面で良かった」

「全くだ。バカもんが」

 普通なら下へ落ちているが、村崎さんが魔法で受け止めてくれたのだ。

「ありがとうございます、村崎さん」

「いいって――。それより追撃する?」

「もちろん」

 背中は痛いが我慢。

「それよりもネイ。こやつは……?」

 ライナがそっと後ろを指差す。村崎さんのことだ。

「事情は、追いかけながら話すよ」

 村崎さんの重力魔法に甘えさせてもらって、三人で一メートルくらいの高さを滑りながら後を追った。

 道の先に魔動兵器の後姿が見えた時には、説明は済んでいた。

 この五分の間に、魔動兵器によって立ち往生した乗用車を三台追い越してきた。

 接触して道路を逸れただけで、ケガ人が出ていないのは幸いであった。

 だが未だに警察が動いてこないことが不思議であった。

「警察には魔法に対抗する部署が少ない。ましてや機動兵器相手だ。お役所の手続きがあるのさ」

 村崎さんが教えてくれた。

 そういえば神田でライナと会った時もそうであった。

「あたしを相手して以来、警察も慎重になってるのさ」

 それは納得できねえ。

「すごいのだな、ニナは」

「あたしを倒したかったら、神か魔王を連れてくるのだな」

「おおおお」

「はい、そこ。本気にしない」

 道は勾配を下っていく。

 魔動兵器は既に下りきって右へと折れた。

 小さい陸橋が小川を越え、向こう側でまた細い坂道へ入る。緩やかなカーブを過ぎれば、その先で国道へ接続している。

 そこへ入られたら追いつけない――。

 今は道も狭く入り組んでいるため、小回りの効く村崎さんの魔法で距離を詰められているのだ。

 道幅の広い直線では速度で負ける。

「ワタシがまた走るよ」

「それはダメだ」

「何故さ」

 訊いたのは村崎さんだ。

「ライナの魔力はまだ回復していない」

 この場合下がっていないという意味だが、村崎さんには通じないだろう。

 僕はちらっと村崎さんの魔力を確認した。

「とはいえ村崎さんの魔力も限界に近い」

 何見た? と、村崎さんが自分の頭上を見上げた。

 説明している暇はない。

 三択している場合でもない。

「村崎さん、真っ直ぐ行って!」

「真っ直ぐ?」

 道は集合住宅の敷地へ向かい、その先は空であった。

 実際は急な斜面が続いていて、その下には国道との交差点がある。

 つまり空から追いつこう、と僕は提案したのだ。

「ちょっと――」

「それしかあるまい」

「これが最後のチャンスなんです」

 僕とライナに言われ、村崎さんは意を決したようだ。

「この魔法は、高く上がるほど重力をなくすために魔力を消費する。だから魔力を抑えるために落ちるよ」

「どんと来いだ」

 合ってるけど、ライナの日本語って……。

 ぐん――と速度が上がった。

 道を逸れて住宅地の敷地へ入っていく。舗装されていない地面が土を舞い上げる。

 魔動兵器は坂道を下っている所だ。

 緩い勾配の坂は大きくカーブし、こちらへ向かっている。道はそのまま橋へ続く。橋を渡れば道は国道と合流する。

 橋へ入った魔動兵器の手に礼結が揺れている。

 栗色の前髪の下に脅えた表情が見えた。

 絶対助けてやる――と思った瞬間、隣で村崎さんが叫んだ。

「あたしの中で堕天使の血が黒く騒ぐ」

「は?」

「ワタシも騒ぐぅ!」

「ライナ、止めなさい――」

「舞い飛ぶ黒き翼!」

「いや、落ちるんでしょ?」

「空へ!」

「行けぇぇっ!」

 妙に気が合うライナと村崎さんに一抹の不安を覚えてしまった。

 僕たちは勢いに乗って端の柵を飛び越え、一息で宙へと躍り出た。

 重力が消えていた反動か、落ちる速度が思った以上に速い。

 向かう先に魔動兵器がいる。ちょうど真下を通っていく。

 だがタイミング的に魔動兵器が国道へ入る方が早い。

 逃がすか!

 僕は村崎さんから離れ、走ってくる魔動兵器へ跳んだ。

「お――おい、久里岡――」

「ネイ!」

 二人の呼びかけが遠ざかる。

 さっきはまだ村崎さんの魔法下にあったようだ。

 離れた途端、更に重力が強まった。つまり落ちる速度が早くなった。

 一気に魔動兵器が迫ってくる。

 半透明のコクピットの奥にパイロットが薄っすらと見えた。

 でかい図体が狭く収まっている。彼の魔力が見えた。

 二段の魔法バーと二割弱の魔力――

 やはり魔動兵器が表示していたのはパイロットの魔力だったのだ。減っている量も完全にリンクしていた。

 なんて思っている間に、礼結がすぐ近くにいた。

 目を瞑って、僕に気付いていない。

「礼結!」

 思いっ切り叫んだ。

 涙目が僕を見た。

「ねいちゃん!」

 僕は手を伸ばした。

 礼結も伸ばす。

 指先が触れるか――という瞬間――

 魔動兵器が蛇行運転をした。

 指を掠めただけで通り過ぎた。

「礼結!」

 もう一度叫びながら僕はアスファルトへ――――

 路面に叩きつけられる寸前で村崎さんに抱えられた。

 バランスを立て直す。

 村崎さんへ必死に掴まりながら、遠ざかる礼結の姿を見た。

 伸ばしたままの腕が遠ざかっていく。

 僕が握り損ねた手だ。

 再び村崎さんの重力魔法が滑り出す。

 魔力が限界に近い。

 僕を助ける時にグンと減ったのが見えた。

 速度が出ない。

 魔動兵器は県道の陸橋にかかっていた。見る見る差がついている。

「ワタシはまた走って追うぞ」

 焦れたライナが飛び降りた。

 またバランスが崩れた。

 うわ――と僕は何かを握った。

 ぐにゅりと柔らかい感触――

「何を掴んでるんだ!」

 村崎さんが裏返った悲鳴を上げた。

 僕は手の先を見た。

 露出していた村崎さんの腹の肉だった。

 細身なのに、意外と掴めることにビックリ――している場合じゃなかった。

 魔法が乱れ、不規則な動きを繰り返した挙句、走っていたライナへぶつかってしまった。

「おぬしら――」

「すまん。このスケベ男が――」

「不可抗力です――」

 立て直すことなく、僕らは陸橋を外れて下へと落ちていた。

 僅か三メートルの距離を僕らは真っ直ぐに落ち、交差する一車線道路にふわりと着地した。

 ぎりぎりで村崎さんが魔法を再起動したのだ。

 三人で倒れこむように車道へと落ちた。

 魔力が切れてしまったようだ。

 僕はすぐに立ち上がると陸橋を見上げた。

 無駄と思いつつそうしてしまう。

 通行の邪魔して、自動車が三台ほど後方で停まった。

 それでも僕は立ち尽くすしかなかった。

 ライナが近付く。

「おい、あれ……」

 まず背の高い村崎さんが気付いた。

 陸橋の端っこから魔動兵器が覗いた。

「戻ってきた?」

 コクピットが開くと、ヘルメットを被ったマッチョな男が姿を見せた。

 何かを放って寄こした。

 僕はそれをキャッチした。

 マイクとイヤホンが一体となったハンズフリーマイクのようだ。

「通信機だぞ」

 村崎さんが言った。

 僕は慌てて耳に装着した。

「追って連絡する」

 妙なアクセントの声が篭って聞こえた。

 僕は見上げた。

 微かだが、礼結も見える。

「礼結!」

 僕の声が届いたのか、礼結が言った。

「ねいちゃん――私、平気だよ――」

 通信機から耳へそう伝わった。

 無言で魔動兵器が去った。

「てやんでい!」

 ライナが魔法を使おうとした。

 僕はそれを止めた。

「ネイ、どうして――」

 色々と答えて上げたかったが、僕は悔しさがいっぱいで言葉が思い浮かばなかった。

 影を黒々と落としてくる陸橋をただ見上げるだけであった。

 平気だよ――

 強がりでしかない。

 それがいつまでも僕の心から離れなかった。

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