第3章 幼なじみの権利

 図書館は嫌いじゃない。本がいっぱい並んでいる様は何故かわくわくする。読書家を公言するほどではないにもかかわらずだ。

 目的があって来ているのに、つい他の書棚に目が行ってしまう。

 ライナが本で口元を隠しながら、近付いて来る。

「どうして日本では、図書館の中では静かにしなければならないのだ?」

 そう訊いてきた。

 アメリカでもそうだと思うのだが、彼女にしては抑えた声が見事に全館へ響いていた。

 声を出す度に他の来館者たちの視線が痛いからそう思ったのだろうが、ライナの見た目がはっきりと外人なのが救いだ。大目に見てくれている。

 ま、痛いのは僕だけだ。

「本を静かに読みたいからだよ」

「でも調べ物をするのに、語り合って、楽しくしたいではないか」

 まあ、正論だ。

 だが日本人は、それでは立ち行かないのを知っていて、そうするのが普通で、それが苦痛ではないからできるのだ。

 僕は分かっている。分かっているが、問題はそれをライナにどう伝えるかだ。

「それは、楽しいのは自分だけで、他の人は違うかもしれないだろ」

「ふむ……」

「日本は思いやりの国だから、他人のことを考えてしまうんだ」

「自分の権利を捨ててまでか?」

「捨ててないよ。同じくらいみんなが大事なんだ」

 ライナは腕を組んで、頭を傾げた。

 館内の目が心配げにライナを見ているのが可笑しい。

「みんな優しいってことか」

「ん?」

「そうか。ワタシはそういうの好きだぞ」

 ライナは頷いた。

 全員がほっとした表情を浮かべ、自分たちの本へ戻っていった。

 理解したようだが、声はそれほど潜めてくれていない。

 元々抑えて、その大きさだ。

 興味も他へ移ったようで、ライナは本を探しに別の書棚へ向かった。

 今日はチェリーレッドのフード付きパーカーに、デニムのショートパンツを履いている。相変わらずの生足だが、左手に手袋はなかった。

 そうそう魔法を使うこともないだろう。

 僕も移動しようかと思ったが、目の端に人影が見えた。

「う――」

 思わず声が漏れた。

 入口近くに設置されたパソコンの台へ隠れている。

 いや、隠れ切れていない。

 礼結であった。

 しゃがむ姿勢で栗色の頭を覗かせ、こちらを見ている。

 目が合ったのに引っ込まないのだから、隠密行動ではないようだ。

 僕は近付いていったが、全く動こうとしない。

 パソコン横で、僕もしゃがんで視線の位置を合わせる。

 彼女は目だけで僕を追ってきた。

「礼結、何してるの?」

「どなたにお話しかけで?」

「君は渡雨礼結でしょ」

「そんな人知りません。人違いです」

「おいおい……。ストーカーに見えるぞ」

 ぐぅ――と礼結は唸ると顔を引っ込めた。

 ストレートすぎたか――僕は少し反省した。

「どうしたのさ」

 僕はしゃがみ歩きで追いかけた。

 礼結は膝を抱えるように座っていた。

 フリルの付いた花柄のチュニックに、薄茶のキュロットスカートだ。

「昨日からおかしいぞ」

「おかしくないもん」

 何と応えていいのやら……。

 江戸東京博物館から帰ってきて何度か電話したが、礼結は全く出なかった。

 留守電に今日はここの図書館に行くことだけを残しておいた。

 来た時にいなかったのでがっかりしたが、とりあえず顔を見られてほっとした。

 この際、挙動不審なのは目をつぶろう。

「あの子を放っておけないのは分かるけど――」

「ん?」

「来週から夏休みなのに、何の計画も立ってないのよ」

「夏休みの計画って、遊び通す気?」

「だって去年はほとんど遊べなかったじゃない」

 そういえばそうだった――。

 去年の夏休みは散々だった。

 じいちゃんの魔法研究を引き継いだ伯母さんに、おつかいを頼まれたのが始まりだった。

 四国へ荷物を届けるだけの簡単な仕事のはずだった。

 受験勉強の合間の、ほんの少しの息抜き程度に考えていた。

 ところが、なぜか事件に巻き込まれ、気付いたらインドにいた。

 なんだかんだで、戻ってきたのは夏休みが終わる十日前だった。

 そこから必死に宿題をしたという、嫌な想い出が一緒にフラッシュバックされた。

 礼結が僕の帰宅を確認するため、毎日のように来ていたらしい。

 今年の夏休みに期待してしまうのはしょうがないかもしれない。

「分かった。今年は一緒にどこかへ行こう」

 僕が提案すると、やっと礼結が顔を背けた。

「そ、そこまで、言うんなら、行ってあげてもよくてよ」

 そんなツンデレ設定が君にあったとは……というか、僕がお願いしたことになるのか。

「じゃあ、すぐにでも計画立てるわ」

 礼結は急に立ち上がると、僕の横を歩み抜けた。

 今からかよ――心でつぶやきながら僕も立ち上がった。

 奥からライナが歩いてくる。

「おお、レムか」

「おはよう、ライナちゃん」

 二人はすれ違った。

 ライナは足を止め、礼結を見返した。

 その意味は何となく分かる。微妙な空気が二人の間に流れたのだ。

 あからさまではないが、礼結が発した距離感のせいだ。口調や態度は変わっていないが、そう思えた。

 僕はライナへ近付いた。

 何と言おうか迷っているうちに、

「ネイ。本を集めたから、調べるのを手伝ってくれ」

 と背中を向けたまま言われた。

 ライナはそのまま奥の長机へ向かい、そして、僕は取り残された。

 ライナも怒ってた――?

 こんなぎくしゃくしたまま夏は過ごしたくないぞと、貸し出しカウンターの前で僕は考えた。


 1、礼結を追い、仲良くするように言う

 2、ライナを追って、仲良くするように言う

 3、僕がこのまま帰って、二人に反省を促す


 僕としては、3かな――と思っていたが、

「ネイ、早く来てって!」

 強制的に2になった。

 長机に行くと、本が山積みだった。

 いや、これは誇張や比喩ではなく、本当に山積みだ。

「よくまあ、集めたな」

「アイテムではないかも――という観点で見れば、この辺りが妥当だろう」

 僕は一冊、山の上から取り上げた。

 『日本の古典魔法』という本であった。

 なるほどね――。

 昨日のことだ。

 博物館からの帰り道は機嫌が良かったのだが、家に着いてからライナは口数が少なくなっていた。

 晩御飯も無口で、母さんと父さんが心配し、僕に様子を見に行くよう押し付けてきた。

 風呂上りのライナをつかまえて、話を聞いてみると、

「『魔法のフィナンシェ』が魔法アイテムじゃない可能性を考えてたのだ」

 と思慮深そうに答えた。

 それはだいぶ前に僕が言った気がするが、覚えていないようだからスルーしてあげた。

「可能性はあるよね」

 だろ――とライナは湯上りの上気した頬を向けた。

 要は方向性の転換に悩んでいたということだ。

 元々僕も考えていたのだから、その引き出しの中から、提案という形で少しだけ考えの手助けをした。

「隠語とか、フィナンシェ自体に謎掛けが含まれてるとかね」

 ライナが目を丸くしている。

「ああ。隠語っていうのは、その世界でのみ通じる、本来とは別の意味のこと」

「ふむ。つまり『フィナンシェ』が魔法世界での何かを表してるってことか」

 僕は頷いた。

「或いは、フィナンシェの綴りを分解して、何かキーワードを入れることで、別の言葉が出てくる――とかね」

「なるほど。さすがネイだ」

「どうも」

「ワタシはフィナンシェを作るところから始めようかと思ってたのだ」

 声を掛けて正解だったな――と僕は苦笑いを浮かべた。

「明日はそっち方面からも調べてみよう」

 ライナは弾むように自分の部屋へ歩いていった。

 部屋へ入る途中でこっちを向いた。

「付き合ってくれるんだよね?」

「もちろん」

 ライナは笑顔を見せると、おやすみ――とドアの向こうへ消えた。

 礼結と連絡がつかないのが心配だったが、ライナの笑顔は見れた。

 それでその日は良しとした。

 礼結との関係は修正できると信じていたし、彼女は心配性ではあるが、やきもちは焼いたりしない。

 そう思っていたのだが、さっきの態度はやきもちではなかろうか。

 とりあえず思考を元に戻す。

 アイテムとしての『魔法のフィナンシェ』ではなく、キーワードに繋がるような探し方へ方向性を変えて資料をめくっていく。

 ライナの病気の治療に役立つなら、『魔法のフィナンシェ』は魔法そのものか。

 ん――?

 何かが引っ掛かった。

 歯のどこかに食べかすが詰まったような気持ち悪さだ。舌でその場所を特定するように思案し始めた時、右隣に礼結が座った。

 旅行雑誌が十冊ほど机に置かれた。

 上機嫌で冊子をめくり始める。鼻歌を歌い始めそうなほどだ。

 目の端でライナがじとっと礼結を見ているのが分かった。

 二人に挟まれてる以上、その視線は僕を貫いている。

 しばらくするとライナの意識も本へ戻っていった。

 だけど二人とも僕越しに意識し合っているのをひしひしと感じる。

 居ずらい。

 ページを送っても中身が頭に入ってこない。

「なあ、ネイ。フィナンシェに似ているお菓子って日本にあるか?」

「なるほど、そういう観点か。なら――」

 どん――と僕が読んでいる本の上に旅行雑誌が乗せられた。広げられたページは沖縄特集だ。

「ねいちゃん、沖縄なんてどう?」

 礼結の身体が接近しすぎている。挑むように睨め上げられても目線に困る。

「お金のかかる旅行はちょっと――」

「そうね」

 戻っていった。

 冊子もどけられ、読んでいる本が出てきた。

 横目で確認。上機嫌でページをめくっている。

 恐る恐るライナの方へ――と、こっちは眉間に皺を寄せていた。

 爆発寸前か――。

 ごまかすように僕は話題を戻した。

「フィナンシェは焼き菓子だから、カステラやマドレーヌが近いと思うけど、おじいさんが間違うわけないよね」

「そうだな。区別はつくと思う」

 意外と会話は普通だ。

「人形焼が似ているけど、それほど歴史は古くなかったと思う」

「人形焼?」

「あとは今川焼きなんかも、パッと見で間違われそうだな」

 少しお腹がすいてきた。

「今川焼き――だと?」

 さすがに分からないよな。

「本があるかもしれない」

 僕が立ち上がると、ライナも立ち上がった。

 だけど僕は動けなかった。

 シャツの袖を礼結がつまんで止めていた。

「え――? 何? どうした?」

 返事はない。人差し指と親指が白くなっている。

「本の位置は把握している。ワタシなら一人で行ける」

 ライナが奥の棚へ向かっていった。

 料理というステッカーの書棚の列へ、小さな背中が消えるまで僕は見送った。

 それからイスに座り直した。

 だが礼結は指を離さない。

「どうしたの、礼結? 君らしくない――」

 嘘である。礼結らしいといえば彼女らしい。

 ふと昔の礼結が思い出された。

 五年生の時の、出会ったばかりの礼結を。

「いなくならないで――」

 小さく礼結が言った。

「大丈夫だよ、本ならライナが一人で――」

「マリちゃんみたいにいなくならないで」

 そっちか――。

 早とちりした。言い直そう。

「いなくなったりしないって」

「ライナちゃんは魔法使いなのよ」

「だね」

「ねいちゃんが会った時に、魔法を使った戦いの真っ最中だったって」

「それは大げさだ。魔法が飛び交っていたわけじゃないよ」

「でも争いの場だったんでしょ」

「ん。まあ……」

 去年の夏のほうがひどい状況だったから、あのくらいは平気―――だとは言えそうにない雰囲気だ。

 礼結の握る指が更に強まった。

「死んだら……いなくなっちゃう」

「あの時はライナがいたからな」

「あの子がいたから危なかったんでしょ!」

 控えめな声で礼結は怒鳴った。

「そんなことないよ」

「かわいそうだからって、ねいちゃんが面倒見てあげる必要ないでしょ」

 反論する前に、僕は気配に気付いた。

 ライナが立っていた。和菓子の本を二冊抱えている。

 それを机上に積まれている本に重ねると、ライナは無言で僕の椅子の後ろを通り過ぎた。

 僕は彼女の手を繋ぎとめようとした――が、振り払われた。

「放っておいて!」

 こっちは本気の怒鳴りだ。

 声の余韻を残し、駆けて出て行った。

 図書館の利用者の視線が多少痛い――いや、かなり痛いが、無視だ。

「ライナ――」

 追いかけようとしたが、礼結が袖を離してくれなかった。

「礼結、離して」

 礼結も無言で首を横に振った。

「僕はライナがかわいそうだから助けてるんじゃない」

「え――?」

「ライナが僕を必要としているから手を貸してるんだ」

「私だってねいちゃんが必要だよ」

「知ってる。忘れたことはないよ」

「なら――」

「でも今、一番必要としているのはライナなんだ」

 また礼結が無言になった。

「たとえ一人だったとしてもライナはなんとかしようとするだろう。困っても他に助けを求めたりしない。そんな子が僕を頼る意味を、礼結は分からないわけじゃないでしょ」

 礼結は重々しくだが首肯した。

「礼結と会ってから、僕はずっと一緒にいたつもりだ」

「うん――」

「この五年間を信じて」

 やっと礼結が顔を上げた。子猫のような目が不安げに僕を見た。

「僕はマリちゃんのようにいなくなったりしない」

「でも去年の夏休み……」

 そこか、引っ掛かってるのは。

「じゃあ今年は、もしどこかへ行く用事があったら一緒に行こう」

 満面の笑みで微笑まれた。

 特に今年は用事がないから、少し罪悪感はあるが……。

 ゆっくりと袖を掴んだ指が外れた。

「ライナを連れ戻してくる」

 僕は立ち上がった。

「仲良くしてあげて」

「うん。努力するよ」

「それで充分だ」

 僕がそう言うと、図書館内から拍手が起こった。

 聞いてんじゃないよ。

 顔を赤らめ、俯いてしまった礼結を置いていくのは心苦しいが、僕は小っ恥ずかしさから逃げるように図書館を出た。

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