第2章 フィナンシェを探して

 授業終了の鐘。これほど開放感のある音はない。

 最近はこれに別の音が被ってくる。

 廊下をぺたぺたと走る音。これはスリッパで駆けてくる音だ。

 来た、来た――。

 みんなが微妙な表情を浮かべて僕を見ている。

 音はこの教室へ向かっているのをみんなが知っているのだ。

 小さくため息をついて、僕は立ち上がる。

 もう帰り支度は済んでいる。ここ一週間の恒例行事だから。

 鐘が鳴り止まぬ間に、後ろのドアががっと開いて、

「ネイ、時間だぞ!」

 と大きな声が響いた。

「準備OKだよ」

 僕は答える。これも恒例化している。

 うむ――とライナは仁王立ちで腕を組んだまま頷いた。

 凛々しい眉の下で、青い瞳をきらきらと輝かせている。

 襟付きのブラウスにピンクのカーディガンを羽織り、ふんわりとしたカフェオレ色のキュロットから覗く生足は白く浮き立っていた。

 母さんが近所からかき集めた女子服から選んできているのだ。バラバラの趣味の選択肢からセンス良くまとめていた。

 フェミニンな格好をしていながらも仁王立ち。

 そんなアンバランスがライナにはよく似合っていた。

 しかしそこはドアのど真ん中だ。ものすごく邪魔だぞ。

 普通、部外者は校舎へ入られない。例外はないのだが、ライナは入ってきてしまう。外人であるし、まだ子供ということにも加え、保護者である執事のコーレック・ヴェイサンさんが入院中なので大目に見てくれているようだ。

 まさか魔法大国の威光を振り翳しているわけではないだろう。

 廊下に出てライナに並ぶと、階段の端に教頭先生が隠れてこちらを窺っているのが見えた。

 振り翳してないよな――と確認したい気持ちを僕は抑えた。

「今日は博物館に行くのだったな?」

 昇降口へ向かうと、ライナが目を輝かせながら訊いてきた。

 その輝きに応えられる確信がないのが心苦しい。

「また用事?」

 ライナに返事をするより先に、後ろから声を掛けられた。

 振り向くまでもなく、声の主は誰か分かっている。

「おう、レムではないか。元気か?」

 こちらの返事はライナに先を越されてしまった。

「う、うん――」

 向こうもライナから返事が来るとは思わなかったらしく、返事がぎこちない。

 苦笑に近い笑顔をライナに見せている。

 彼女は渡雨礼結――小学五年生からの付き合いだ。

 今も同じクラスなのだから腐れ縁はしぶとく続いている。

 耳が隠れるくらいのセミショートは栗色で櫛がきちんと通っている。生まれ持った色合いは、光の加減で黒と茶の綺麗なグラデーションとなった。

 左寄りに分けた前髪の下で、子猫のような目が睨め上げている。これは僕を心配している時の目だ。

 ライナと出会った時、僕は礼結の用事につきあって神田にいたのだ。彼女のお母さんが働いているのだ。

 日曜出勤したお母さんの忘れ物を届けに行っていたのだ。

 僕はあくまでオマケなので、ビルの中へは入らず、用事が済むまで駅前をうろつこうと思っていた矢先に、襲撃事件と遭遇したのだ。

 運が悪いにも程がある。

 巻き込まれたアクシデントではあるが、かなりの割合で自責だと自覚があったため、僕はライナとヴェイサンさんに付き添い、病院へ向かってしまったのだ。

 それが迂闊だった。

 礼結への連絡が遅れ、再合流できたのは夜遅くなってからであった。

 その時に同じ目をされた。

 心配かけてごめん――と素直に謝った。

 そう、こんな時は謝るしかないのだ。

「ごめんな、礼結。ライナが探している物がみつかるまでは、しばらく一緒できないんだ」

「事情は聞いてるから」

 礼結は沈み気味に言った。

 魔法大国アメリカにおいても魔法はおいそれと振りかざしていいものではない。

 フェリエッタ家は魔法の使用を許可された数少ない一族なのだ。建国以来の名門だと聞いている。

 ライナはそのフェリエッタ家の長女であった。

 九年生――つまり中学三年を卒業し、九月から高校生だという。

 一歳しか違わないのにまず驚いた。小学生でも通りそうだ。

 この見た目の幼さは、本人も気にしてるから言わないようにしている。

 フェリエッタ家では、高校生になると家の手伝いで『正義の味方』をするそうだ。

 これは冗談や比喩ではなく、フェリエッタ家は本当に魔法を使って悪と戦う『正義の一族』なのだ。

 ところがライナの場合、悪と戦うには病気がネックになっていた。

 当たり前の話だ。魔法を使って枯渇するならともかく、増えて身体に負担を与えるようでは戦えない。

 進学を機会に治療の目処を立てたくて来日したそうだ。

 僕と会った日は、その初日だったのだ。

 魔法アイテムに詳しい人が神田にいると聞いたらしく、訪ねたが引っ越して会えなかったという。

 なんと無計画な話だ。

 その帰りに武装ギャング団と遭遇したとくれば泣きっ面に蜂だ。

 魔法で問題を起こしたら日本では強制送還させられても文句は言えない。

 だが『攻撃には使わなかったこと』と『相手が犯罪者たちだったこと』が、ライナに有利に働いて不問とされた。

 もちろん僕の証言も有効だったと信じている。

 ライナは被害者であり、犯罪者の逮捕のための協力者だと思わせることに成功したのだ。

 しかし武装ギャング団の目的が不明のままであった。どこかで事件を起こそうとしていた時にライナと遭ったのか。それともどこかで事件を起こして二人がそれを目撃したのか。それとも二人を狙っていたのか。

 状況的に考えて、二人を襲ったと考えるのが普通だ。

 政府としては厄介な火種を抱え込むわけにはいかないが、落ち度のない少女を追い返すわけにもいかない。

 保護者であるヴェイサンさんがそのまま入院となり、『帰るか』、『一人で頑張るか』という瀬戸際まで来ていた。

 『一人で』を選択した場合、政府は未成年を理由に一時帰国を命じるつもりだったようだ。

 その思惑を見事に崩したのが、僕の母さんだ。

「じゃあ、うちに来なさいよ」

 これで決定していた。

 ホームステイという形を取って、ライナは僕の家に寝泊まりすることとなった。

 この情報は礼結に即日伝わっていた。母親が友達同士なのだからしょうがない。

 学校で会った時には事情をもう知っていた。

「平気だよ」

 第一声だ。

 礼結の『平気』は平気じゃない時にでる言葉だ。

 僕の説明で納得したようだが、

「あの子に変なことを少しでもしたら、警察に通報するからね」

 と言われた。

 そんな心配はご無用だ。手を出したら、まず母さんに半殺しにされる……。

 それよりも礼結の声色が寂しそうに沈んでいるのが気になった。精神的に弱い彼女が、これ以上不安定にならないように気を掛けなければならない。

 母親の独断でライナは僕の家にいることとなった。だから帰りを待っててくれればいいのに、放課後と同時に駆け込んでくる『名物ブロンド娘』になっていた。

 昇降口で僕が下足に履き替えるのを待つライナを、男子のみならず女子までもが振り返る。

 本人は背中の出来事だから気付いていないが、僕と礼結は苦笑せざるを得ない。

 とはいえ、金色の洋花と栗色の和花を両手に、校門まで続く前庭を歩く僕はなんと鼻が高いことか。

「そういえば探している物って……?」

「魔法のフィナンシェだ」

 礼結にライナが躊躇いなく答えた。

 本当? と声に出さずに礼結が顔を向けてきた。もっともな反応だが、本当だ。

「ヴェイサンさんもそう言ってた」

「フィナンシェって焼き菓子のことでしょ」

「そう。フランス起源のね。とても日本にあるとは思えないアイテムだよな」

「ワタシのお爺さまが言ってたんだから正しい情報だ」

「嘘だと思ってないよ」

 駅までの道は、通り沿いに真っ直ぐ五分ほどの距離だ。

 道幅の関係で三人は並べないので、女の子二人を先に歩かせる。

 背中で揺れる金色の髪とふわりと弾む茶色の髪を見ながら、僕は後ろをついていく。

 良い感じに変態であった。

 僕はごまかすように、現状の説明を礼結にした。

「図書館の資料をしらみつぶしに読んで、それらしき物があったら行ってみる――という方法を取ってるんだけど、手掛かりがなくてね」

「今日は博物館へ行ってみることにしたのだ」

「上野?」

「両国の方だ。情報を統合すると、結構古い物らしいからね。江戸時代からの魔法アイテムの収集物を見に行こうと思って――」

 ふうん……と、礼結が長い沈黙の後に言った。

「まるでデートね」

「な――」

 礼結の冷ややかな言い方に僕もライナもびっくりだ。

「ネイ、これはデートなのか?! そんな不純な気持ちでのぞんでおるのか」

「いやいや、真面目に考えてるって」

 ライナがジト目で睨んでくるから矛先を礼結へ変える。

「礼結、何てことを言うんだよ」

 ふん――と小さく鼻を鳴らしたきり静かになった。

 駅が見えてきた。

 礼結の家はそのまま通り過ぎて十分ほどの距離だ。僕の家は更に三分ほど遠くなる。お隣さんではないが、かなり近い距離に住んでいる。

「ネイ、ワタシは日本へ観光へ来たわけではないのだ」

 ライナが困った弟を見る目で言った。

 僕の方が年上だぞ――とは、あえて言わない。

「でも博物館の近くには国技館があるぞ」

 デートではないが、観光目的も含まれていたりする。

 ライナに見せたくて両国を選んだのだ。

 ネタばれ承知でそう言うと、ライナがぴくりと肩を震わせた。

 これは良反応だ。

「それは、もしかして、あれか……お相撲か――?」

「帰りに少し寄ろうかと思ったんだけど」

「お相撲さんはでかいと聞く。見てみたいぞ――」

 ほらね、嫌いじゃないと思った。

 僕は満足そうに頷いた。

 今度はライナがばつの悪そうな顔をした。

「いや――息抜きは――必要だぞ、うん」

 と言い訳をする。

「じゃあ、決定ね」

 ライナが破顔した。本当にこの子は感情が大きく顔に出る。

「お相撲だ。ハッケヨイだ」

「相撲取りに会えるかは分かんないけどね」

 僕は妹を見る目で言うと、ライナの隣で今度は礼結がジト目で僕を見ている。

「な、何……?」

「知らない!」

 正面を向いてしまった。

「一緒に来る?」

「行きません」

 背中に問うと言葉だけが返って来た。

 駅の改札前で礼結が振り向く。

「私はそんなに暇じゃないのよ」

「礼結――」

 この時間は学生が利用客のほとんだ。更に言えばうちの高校で占められている。

 礼結は下唇を噛んで泣き出す寸前の顔だ。

 これでは痴話げんかをしていたと明日学校で噂になっててもしょうがない状況だ。

「平気だもん!」

 とうとう礼結は声を荒げると走り出した。

「おい?!」

 僕の制止は届かず、礼結はまっすぐ横断歩道を走って去っていった。

 僕は見送るだけだった。

 止めようと無駄に上げた右手だけは下ろした。

「何で怒られたのだ?」

「やっぱり僕が怒られたのか?」

「謝っておくのだぞ」

 ライナは残念そうに言うと駅へ歩き出した。

 僕はその背に続く。

「身に覚えはないのだが」

「それでも謝るのが筋だ」

 ホームは二つ。上りの方へ向かう。

「例えば、ライナ」

「うん」

「ライナが怒って、でも僕が理由も理解しないまま謝ったら?」

「意味なく謝るでない――って怒る」

「そんな理不尽な……」

 何故か自慢げにライナがホームへの階段を上っていく。

 両国までは、電車を乗り継ぎ、山手線から総武線に乗り換える。ここから一時間ほどの距離だ。

 前に行った時はまだ小学校低学年であった。記憶にある車窓の風景とは大きく変わっているだろう。

「その頃には礼結とは知り合いじゃなかったんだ」

「そうなのか?」

「礼結は小学五年の時に引っ越してきたんだ」

 当時、礼結はマリという子と別れ、ひどく落ち込んでいた。

「僕は何とか元気付けようとしたけど、彼女はその度に『平気だよ』って答えてたんだ」

「なら大丈夫じゃないのか?」

「礼結がそう言う時は間違いなく強がりなんだ」

 だから別れ際の彼女は『平気』じゃない。

 帰ったら何かしらのフォローを入れないといけない。

「僕が彼女を困らせるわけにはいかない――」

 気付くとライナが顔を近付けていた。

 綺麗な碧い瞳が午後の日差しを受けて煌めいている。

 でも近い。近すぎて照れる。

「何?」

「レムはおぬしに魔力があることを知っておるのか?」

 僕は頷いた。

「付き合いが長いからね」

 なるほどな――ライナが身体を戻していった。

「何が?」

「そのマリという子に傷つけられ、おぬしに癒された心は、おぬしが傍にいることを望んでいる」

 その納得は半分合っているが、半分間違っている。

 僕は礼結を癒したわけではない。できなかったのだ。

 何とかしようとした結果、僕がマリの代わりになったのだ。それで彼女の精神を安定させている。

 傍にいることを望んでいる――は正しい。正確には『傍にいなければいけない』だ。

 だからこそ僕らの関係は歪んでいる。

 ガタンガタンと電車の音がリズム良く刻んでいる。間もなく乗り換えの秋葉原だ。

「魔力があると魔法関係の職につくかもしれないという不安に繋がる。レムが追いかけられない位置関係になることを恐れてるのだよ」

「それはないよ。僕の魔力は診断にも引っ掛からないくらいだ」

「レムにはそれが分からんのだ」

 そうかなあ――と僕は宙を見上げる。

 電車の天井を何気なく視界に収め、礼結を思い描く。

 人に関係を訊かれたら『幼なじみ』と答えてはいるが、実際は違う。もちろん『恋人』でもないし、『仲の良い友達』でさえない。

 歪んだ関係を自覚する僕に言わせれば、彼女にとっては『心の拠り所』で、僕にとっては『庇護する対象』――が一番しっくりくる。

 いつか彼女が独り立ちできた時、僕の役目は終わるのだ。

 そう考えると、父親か兄のような家族に近いのかもしれない。

「魔力が微々たるものでも、おぬしは活躍できる男だ」

 ライナが言った。

 視線を彼女に戻す。

「褒めてるんだか、けなしてるんだか、分からない言い方だな」

 僕が冗談めかして返すと、ライナは薄く笑った。

「きっと、レムもそう思っているのだよ」

「ええと――頼りにされてるってことか……」

「ワタシもそうだぞ」

 小さい声が隣から聞こえた。

「ライナ……」

「ワタシは他人に助けられたことが、今まで一度もない」

「そうなの?」

「フェリエッタ家の人間と知っていれば強いと思われているからな。たとえ知らなくても、魔法が使えるのを見れば、どんなに苦戦していようと助けてくれやしない」

「なるほどね」

「でもネイは来てくれた」

 ライナと初めて会った時だとすぐに思い至る。

「実はあの時、魔力が高まりすぎて、思考能力がいっぱいいっぱいでな――あやつらを焼いてしまおうかと思ってたのだ」

「僕はあいつらを救ったんだな」

 と本気でそう言った。

 あの炎で焼かれたら一瞬で灰だ。

「ネイはワタシを救ったのだぞ」

 僕はライナを見た。

 彼女は遠い視線を上に向けたまま続けた。

「警察が言っていたが、もし犯罪者だろうと傷つけていたらワタシは強制送還されていた」

「ああ……」

 手を出さなかったからこそ滞在が認められたのだ。

 第三者としての僕の証言が生きていたのは確かだ。そうなるように証言した自覚もある。だが、そこまで感謝されるのも違う気がした。

「来て一日目で帰されては、せっかくの日本観光――じゃなくて、『魔法のフィナンシェ』探しが出来なくなってしまうからな」

 今『日本観光』といったぞ――。

「それに、人に手を貸してもらうのも悪くないものだな。そうも思っている」

「そうだね。手と手を取り合う事で、マイナスを補い合うだけじゃなく、二倍、三倍に出来るよね」

 うん――と言って、ライナは今度は顔を下へ向けた。

「いや――そんな小難しい事を言いたいのではない」

 午後の静けさに、電車の音と車掌のアナウンスが重なる。

「感謝している――と伝えたくてな」

 突然真面目に言われても返事に困るぞ――。

「おぬしに、頼っても良いか――?」

 目だけが動いて僕を見た。流し目ってやつだ。いつもの幼さはどこ行ったという位、これがまた――色っぽい……。

 見たことのないライナにドキっとした。

「爺が動けない今、おぬしに頼るしかないのだ」

「――分かってるよ」

 上手い返答が思い浮かばず、何とかそう言った。

「ま、よろしく頼むよ」

 続いて、強く肩を叩かれた。

 いつものライナだ。彼女も変な空気が居たたまれなかったのだろう。肩は痛いが、この方が僕も安心する。

 乗り換えの秋葉原に着いた。

 電気街と魔法街が共存している不思議な街だ。

 伯母さんに連れられて、一度だけ魔法街に行ったことがある。

 行くまでは暗くて怖そうなイメージがあったが、店が連なる裏通りは賑やかであった。

 更に奥があるらしく、そちらは非合法だから気をつけて――と、伯母さんに言われたが、そもそも僕には用がない。

 おかげで僕の中での秋葉原の悪いイメージは払拭されている。

 三階のホームへ上がると、高いビルが見えた。

 あれは魔法協会の日本支部だったっけ――。

 魔法に関して共通認識をもつために設立された協会だ。魔法街の外れに建っている。

 気付くと、ライナも同じ方を向いていた。

「魔法街に行きたい?」

「ん――……いや、よしとくよ」

「何故?」

「魔法アイテムに関しては、フェリエッタ家には独自のルートがあるからな。下手なものは入手できんのだ」

 黄色い電車がホームへ滑り込んできた。

 カーディガンの裾が踊るように揺れた。

「魔法のフィナンシェだって魔法アイテムだろ。それは手に入れてもいいのか?」

「それは特別らしいのだ」

「へえ――」

 そういえばフェミニンな服を着ているが、左手の手袋だけはしたままだ。

 これがどうやら魔法アイテムらしい。

 強い炎で自身がやけどを負わないようにするための防護策だと言う。

 車内は学生が多かった。

 その中でライナはとてもよく目立っていた。立っている乗客に紛れてしまう背丈なのに、ちらちらと視線が集まっている。金色の髪だけではなく、彼女自身が光を放っているからかもしれない。

 まあ、本人は気付いていないが。

「魔法大国の正義一族――か」

 ライナの実家のことだ。

「独立戦争以前から、勧善懲悪という立ち位置を変えておらん。それが誇りだ」

「難しい言葉を知ってるね」

「ワタシの好きな言葉だ」

 僕はそれがライナにとても良く似合ってるように思えて、自然と頬が緩んだ。

「婿養子である父も、母や叔父上、従姉妹。みんな犯罪や悪と戦ってるんだ」

「それは確かに凄い」

「父様は軍が絡んだ事件を追っているらしいぞ」

「国家レベルじゃないの」

 僕が言うと、ライナは嬉しそうに鼻をひくひくさせた。

 実に分かりやすい子だ。

「ワタシはこんなだが、兄様は優秀なのだ」

「お兄さんがいるんだ」

 ライナは頷いた。

「大学へ進学することもできたのだが、正義を見極めるため世界へ旅に出たのだ」

「それも凄いな」

 えへへへぇ――とライナが自分のことのように照れた。

 両国は秋葉原から二つ目だ。

 すぐに到着した。

 学生たちの流れに巻き込まれる形で改札へ向かう。

 先に用事を済ませようということになり、江戸東京博物館へ。

 線路沿いを歩いていく。

「さっきライナは、お兄さんと比べて『こんな』とか言ったけど」

「こんなだよ。一族の落ちこぼれさ」

「僕が知ってる中ではトップクラスの魔力だぞ」

 ライナは驚いた顔を僕に見せた。

「――何?」

「慰めか?」

「いやいや本当だよ」

 僕は説明した。

 魔力の可視とは棒グラフを横にしたもの――と前置きした。

 その人が潜在的に持つ魔力を、バーで表示されていることをイメージしてもらった。

「例えば、Aさんが100という潜在的魔力があったとする」

「うん」

「Aさんの現在使える魔力が20だとしたら、五分の一の棒が赤く塗られるんだ」

「ふむ、ふむ」

「残りの80はグレーで、この部分に赤が入ってくることはない」

「ん?」

「Aさんが魔力100%といったら、潜在能力の五分の一が満タンということなんだ」

「じゃあ、残りの80を使うことは出来ないのか?」

「鍛える事でもう数%を伸ばすことは可能だろうけど、潜在能力を全て引き出せるとは思えない」

「MAX100とは潜在能力の100%ではないということだな」

 僕は頷いた。

「だけどライナはその潜在能力のグレー部分が少ない」

「ふむ?」

「ライナはその年齢で七割を超える魔力を会得してるんだ」

 横でライナが腕を組み、頭を傾げている。

 道は大通りに当たり左へ。ガード下を潜ると博物館が現れた。

 獅子舞の頭を思わせる屋根が、今は近すぎて見えない。出迎えてくれたのは入口へ続く階段であった。

「なんでだろう?」

 階段を登りながらライナが言った。

 その時、長身の影が階段上に現れた。スラリとした細身が背の高さを強調していた。しっとりとした黒髪は胸辺りまであり、階段を降りる動きで左右に揺れていた。

 この程度なら僕も気にしないのだが、この人、眼力が凄いのだ。

 ライナに目を奪われている様は正に『凝視』だ。

 僕の方にも濃い視線はくるが、ライナを見ているついでなのが肌で分かる。

 それだけ強い視線なのだが、知り合いを見つけたような表情の動きが見られない以上、金髪碧眼への純粋すぎる興味――ということで無視する努力をすることにした。

 推測だけどね――と前置きで会話を繋げる。

「魔力が増えることが、限界値を押し上げたんじゃないかな」

「複雑だ」

「だね」

 どんなに許容量いっぱいに魔力があっても、それを魔法に還元できないのだ。

 魔力がバーいっぱいであれば大技も使えるのに、ライナの場合は魔力が消費されず、逆に加算される。つまり魔力の限界をあっさりと超え、精神か肉体が崩壊する――。

「魔法以外で溜まった魔力を使える方法があればね」

「だから『魔法のフィナンシェ』なのだ」

「まるっきり想像つかん……」

 いつの間にか女性とすれ違っていた。

 下の方で足を止め、振り向いているのが分かる。視線が背中に痛い。

 そこまでライナを気にする人も珍しい。

 博物館のロビーへ入ったらまずリーフレットを手に入れた。館内地図で行き場所を確認する。

 『古代魔法道具展示室』、『中世の魔法』、『近代の魔法』、それに『東京と魔法』――このくらいか。

「少しでも、情報があるといいね――」

 振り向いたが、知らないおばさんが二人いるだけであった。

「って、いないし――」

 笑いを堪えるおばさんたちから目を逸らし、ライナを探した。

 いた――。

 長いエスカレーターにピンクのカーディガンを見つけた。中ほど辺りからお気楽に手を振っている。

 その場から逃げるように彼女を追いかけた。

 合流し、じっくり見て回って、一時間半。

 収穫は全くなかった。

 興味深い展示物はいっぱいあった。

 魔法を覚えるには魔法の書に名前を書いて登録する。

 これは西洋式である。

 他にも中国やインドが発祥の大陸式というのもあるらしいが、こちらは登録が複雑で使用率は低い。

 日本では鎖国時代に独自の魔法の書を開発していたという。

 近代化に伴い徐々に姿を消していったが、一部の研究家によって復活している――と、説明書きにあった。

 じいちゃんと伯母さんがそんな研究をしていたな――と僕は思い出した。

 その『一部の研究家』が二人ならいいな、なんて妄想でニヤニヤしてたのは内緒だ。

 肝心の『魔法のフィナンシェ』の情報は皆無だったのでライナは落ち込んでいたが、帰りに寄った国技館の近くでお相撲さんに会い、機嫌を直したようだ。

 帰りの電車は行きよりも楽しそうであった。

 僕も嬉しくなった。

 が――

 礼結が電話に出てくれなくて、僕が落ち込んでしまった。

 これも内緒の話だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る