雨降る日に、片想いの君と

いぷしろん

雨降る日に、片想いの君と


 幼馴染ものが好きだ。が、残念ながら俺には幼馴染がいない。

 もちろん、隣の席系統も好きだ。が、俺の席は一番後ろではないし、そもそも両隣は男子だ。強いて言えば、左前が女子ということぐらいか。

 ここまでいけば当然、学校で一番かわいいとかそういう類の作品も好きだ。が、俺は我が県立横浜青柳せいろう高校で一番かわいい女子が誰かわからない。


 とまぁ、ラブコメでありがちな展開は現実的でないことを再確認した。夢を壊されたと嘆く諸君には先に謝っておこう。

 ごめんなさい。


 ……で、だ。

 俺が言いたいのは、普通の人を好きになってもいいじゃないかということだ。

 ――要するに、俺が好きな人"小牧こまき 小絃こいと"についてということになる。


 小牧は、俺の幼馴染でもなければ隣の席でもない。なんなら同じクラスですらない。俺の中では小牧が最もかわいい女子だが、他の奴らに訊いたらそうはならないだろう。というか、そうはならなかった。

 そんな小牧と俺の接点はただひとつ。小学四年から中学三年まで、六年間同じクラスだったということだけ。だけ、で済ますには大きすぎるかもしれないが、そこで俺は小牧のことを好きになったわけだ。


 さて、なんで好きになったかなんて誰も興味がないだろうから、その説明を省くにやぶさかかではないんだけれども、言わなかったらそれはそれで「結局は顔が好みだっただけかよ」とか文句をつけられそうなので、簡単に話しておこうと思う。


 ――あれは三年前……中学二年生の、まだ梅雨も明けてない時期だったな。







 中学で俺は水泳部に所属していた。

 この時はまだプール開きしていなかったので、俺たち水泳部員は陸上部員となってこの日も学校の周りをぐるぐると走っていたのだ。

 だが、季節は梅雨。突然雨が降りだした。急いで部員と共に校舎に駆け込み屋内メニューに切り替えたはいいものの、最終下校時刻が近づいても雨が弱まる気配はなく、それどころか強まっている気さえしていた。

 とはいえ、部活が終わってさぁ帰ろうかとなった時点では、まだ俺に危機感はなかった。梅雨にはいつも置き傘をしているからだ。まぁ、ここまでくればお察しの通り、実際には置き傘なんてなかったのだが。

 俺が必死に傘を探しているうちに、薄情なもので、部員も全員帰ってしまった。


 呆然と昇降口に立っていたその時だ。彼女の声が聞こえたのは。



中谷なかやくん? どうしたの?」



 名前を呼ばれ反射的に振り返ると、制服を着た女の子がいた。そして、俺はその子の名前を知っていた。当たり前だ。既に五年間同じクラスの人の名前を憶えていないはずがない。そう、その女の子こそが小牧 小絃。俺がのちに好きになる子だったのだ。

 小牧は、名前に似たというわけではあるまいが、小柄な女の子だ。当時の身長はたぶん150センチにも届いていなかったと思う。

 なので、決して背が高くなかった俺も目を合わせるため視線を下げて返事をした。



「ああ……ちょっとねー……友情が崩壊したというかなんというか」


「……? あ! もしかして……中谷くんも傘、忘れたの?」


「まぁ、そうとも言うな。……うん? 俺"も"って――」



 あ、一応言っておくが、これは会話の再現であって一言一句同じとは限らないのであしからず。……小牧が言ったことは間違ってない自信があるけどな。



「あはは……実は私も忘れちゃったんだよね、傘」


「いや傘なら右手に持ってる……って借りたのか。……そうか、その手があったな。俺も借りてくる! じゃな!」



 職員室に何本か常備してある傘があったことを思い出し、俺は借りに行こうとしたのだが、そこで小牧の苦笑いが気まずそうに引きつったのは、よく記憶に残っているところだ。



「あー……もう貸し傘はないかな。私が最後の一本を取っちゃったから」



 小牧は右手に握っていた傘を振って見せた。



「……そう、か。じゃあどうぞお先に」



 最後の希望も潰えて、俺は走る覚悟を決めていた。いたんだけれど……小牧は周りを見渡して――人がいないか確認したんだと思う――俺に、問うた。



「ねえ、中谷くんて引っ越してないよね?」


「うん。小学校の時から変わってないけど」


「じゃあさ――」



 そして、口にしたのだ。



「――いっしょに帰ろ?」


「……おっしゃる意味がよくわからんのですが」


「傘をはんぶんこしてあげるって言ってるの。同じ方角だし合理的……そう、合理的でしょ!」


「いやいやいや。んなこと言ったって……」


「大丈夫。借りた傘だから大きいし、ちゃんと二人入るよ」


「そういうことじゃ……」



 さして女の子に免疫がなかった俺は、理由もわからず曖昧に断っていた。



「中谷くんは濡れて帰りたいの?」


「それは違うけどさ」


「なら、一緒に帰るよ」



 ぐいっ、と制服の袖を引っ張られて論争の決着が見えた。

 俺は小牧に引きずられて昇降口を出た辺りで、もうどうにでもなれと開き直り小牧から傘を奪い取った。

 こちらを見上げてくる小牧を一瞥して、



「ほら、帰るぞ」



 と言うと、小牧はその小さな身体からだを俺の右におさめるのだった。


 ……ちなみに、傘がなかった真相は後で分かった。年子の妹が持っていきやがっていたのだ。狭量と言われようがなんだろうが、俺は今も少しだけ恨んでいる。少しなのは、きっかけをくれたことに感謝してないでもないからだ。でも、このことがなくたって、俺はいつか小牧のことを好きになってたに決まってるけど。







 色々とツッコミどころはあるかもしれないが、以上が俺が小牧を好きになったきっかけだ。正直、黒歴史に片足を浸けているこの出来事ではあるけれども、この日を境に俺は小牧を意識するようになったのだ。


 しかし、ここしばらくは高校でその小牧を見かけることさえ少なくなっている。ただでさえクラスが違う小牧と、前までの唯一の会う機会だった登下校の時間がズレたからだ。

 小牧の所属している部活はダンス部。いわゆる青柳高校部活カーストのカーストトップの部活だ。そのダンス部は、約二週間後に控えた秋の文化祭でダンスを披露するため、ほぼ毎日、早朝から夕方まで練習をしている。

 対して、俺は水泳部と生物部の兼部。どちらも活動が少ないうえに、あるとしても校外でのことが多い。遭遇することが少なくなるのも必然だろう。



 ところで、青柳高校の生物室にはそれなりの数の生き物がいる。ヘビやカメなどの定番はもちろん、クワガタムシなどの昆虫やウーパールーパーなどの両生類、よくわからない外国産のでかいトカゲ、たくさんの魚に加え、台所とかに出る漆黒のGも飼っていて、毎日えさを与える必要がある。

 つまり、俺が日曜日にも拘わらず、昼過ぎの炎天下のもと学校への坂を上っているのは、生物部員である俺の当番が今日だったから、というわけだ。背負っているリュックが重い……。


 学校に着き生物室のドアを開けると、そこには既に人がいた。……まぁ、俺よりかなり先に家を出てたからわかってはいたけど。



「こんにちはーっす」


「こんにちは。暑い中ありがとね」


「兄さんおっそーい」



 挨拶の返事は二つ。顧問の七里ひちり先生と――妹の由楽ゆらだ。部員が十七人しかいないので、日に二、三人しか担当をつけられない悲しい事情がここにはあったりもする。



「おいおい、由楽。家みたいに『おにい』って呼んでくれてもいいんだぜ?」


「ちょ――っ!? 何言ってるの!? ちち、違いますからね先生これは!」


「ふふふ。わかっていますよ中谷さん。……他の方には黙っておくわね」


「なんもわかってないじゃないですかー!」



 ふはははっ! 兄を糾弾しようなど十年は早いのだよ!

 ……こほん。このように、時間よりか前に来た俺を、遅いなどと散っていった我が不肖の妹ではあるが、頭の出来はかなりいいと言っていいだろう。

 神奈川県立横浜青柳高校は、自称進ではない本物の進学校である。山の上でバスも通っていないという、立地の悪さでの敬遠も跳ね返すぐらいには進学実績を出し、県内の高校ではトップを争うほどらしい。

 そんな青柳高校に、俺は塾にも通い必死に勉強して合格したわけだが――もちろん小牧の志望校がここだと知ったからだ――由楽は「お兄と同じとこにいく!」と言って、あっさりと合格を果たした。俺が多少は勉強を見たとはいえ、塾も通わずに、だ。


 まぁ、今の先生の認識を正そうと騒いでる姿からはとてもそうとは思えないが。



「先生。全員そろいましたし、そろそろ始めましょうか」


「そうねぇ。ほら、中谷さんも"お兄"の言うことを聞きなさい?」


「まだ言いますか!? というかそれ最後に来た人のセリフじゃないよ! に、兄さん……!」



 尻すぼみになっていく由楽の言葉は二人で黙殺して、えさやりの準備を始めた。





 一時ごろから始めた活動も、生き物と戯れたり三人で話したりしているうちにいつの間にか二時間以上が過ぎていた。

 と、ふと時計を見た先生が椅子から立ち上がった。



「――ってあら、もうこんな時間。ごめんなさいね。これから生徒と面談なの。では、今日もありがとう、お疲れさまでした!」


「「お疲れさまでしたー!」」



 面談だったようだ。普段はぽわぽわしている七里先生も、しっかりと進学校教師としての役目を果たしているみたいで安心した。



「で、あたしは帰るけど、お兄はどうするの?」



 そういえば、今日は十五夜だから月を見るとか言ってたな。俺は興味ないからいいや。



「んー、せっかく持ってきたし、残ってくよ。一緒に帰れなくてごめんな」


「あたしはもう高校生だっての。ひとりでも帰れるよ! ……じゃ、まぁ頑張ってねー」



 たたたっ、と由楽の足音が遠くなっていく。

 そして……それを聞きながら、俺は鍵を押し付けられたことを悟ったのだった。



 職員室に寄って生物室の鍵を戻してから、自習室へと向かう。

 ……最終下校時刻は六時半だっけか。それなら三時間は勉強できる。さぁ、今日も頑張るぞ。



 ――俺は、由楽や小牧とは違って平々凡々な人間だ。容姿が特に整っているわけでもなく、脳の性能も平均よりちょっと上ぐらい。かといって何か特技のようなものもなく、水泳が人よりできるだけのただの本を嗜むモブRだ。

 でも、それでも、俺はここまで、小牧と共に青柳に合格することはできた。次の戦いは大学受験だ。俺は絶対に、必ず、小牧と同じところにいきたい。大学卒業後の研究職とかなら話は別かもしれないが、大学受験は才能がなくとも努力でなんとかできると俺は信じている。幸い、小牧は理系を選択した。俺と同じ理系だ。この機会チャンスをものにせずにどうするのか。

 だから、そのために、俺は勉強を頑張るんだ。




 ヴヴヴというスマホの振動で集中が途切れる。

 ぐーっと伸びをして机の上のスマホを開くとちょうど六時過ぎで、連絡の送り主は由楽だった。あいつ……この時間を狙ったな。ありがたいことだ。



ゆら:雨降ってるよー

ゆら:土砂降りだね

ゆら:私の傘使っていいよ!


りっ:まじか!

りっ:ありがと!

りっ:だが鍵の恨みは晴れぬと思え


ゆら:そんなこと言うと雨やまなくなるよ?

ゆら:[スタンプを送信しました]



 そんなスタンプ送っても無駄ァ! てかそれ煽ってんだろ。

 まぁいい。由楽の傘はありがたく使わせてもらおう。


 片づけをして閑散とした自習室を後にし、由楽の教室の前の傘立てから目印が付いた傘を抜き取る。そうこうしているうちに六時半が見えてきたので昇降口に急ぐ。

 昇降口に出ると、そこでは見覚えのある、肩の先で切りそろえられた髪が揺れていた。俺が見間違えようがない後ろ姿だ。



「小牧? どうした?」



 彼女が振り返る。

 いつぞやのような、雨の降る夕方。小牧の身長もけっこう伸びたと思うけど、それと同じくらい俺の身長も伸びていて、結局のところ身長差はあのころと変わっていない。恋心がある今となってはその、綺麗とも、かわいいとも言えるような整った顔を直視することができなくて、額のあたりを見つめることにした。



「……友情が崩壊した――だっけ?」



 はっと息をのむ。

 半ば予想をつけつつも「どうした」と訊いた俺に、小牧はてくれたのだ。



「……もしかして、小牧傘、忘れたのか?」


「そうとも言うねぇ。……中谷のそれは由楽ちゃんの?」


「おう。その通り」


「そうかー。じゃあ、どうぞお先に!」



 今の会話に一瞬ふとおかしなところがある気がしたが、それを考えるのはやめて、この状況を優先する。

 青柳高校には貸し傘というものは存在しない。というか、それがあった中学校のほうが珍しかっただけなのだと思う。代わりに青柳には近くにコンビニがあって、にわか雨のときはそこでビニール傘を買うのが主流となっている。

 とはいえ、今はそれを言い出す雰囲気でもない。


 周りを見渡して、人がいないか確認するポーズをする。

 うん。多分いない!



「なぁ、小牧って引っ越してないよな?」


「うん。ずーっと同じだよ」


「じゃあ――」



 そして、口にするんだ。



「――いっしょに帰ろうぜ」



 うわ、これ思ったより恥ずかし。



「ふふふ。はんぶんこ?」


「もちろん。ほら、帰るぞ」



 思い切って左手首を掴む。

 小牧はびくっと身体を震わせたけれど、振り払うことなく俺についてきた。

 ついてきてくれたんだが……傘を開こうとしてふと気づいた。これ、俺のほうが背が高いから俺が傘を持つんだろうけど、右側通行の道路で、俺が左になったほうがいいはずだ。つまり右手で傘を持つ。でもそうすると小牧が俺の右側にくることになるから、俺はこの手をどうすればいいんだ? もちろんあわよくば手をつなごうなんて考えていたのは言うまでもなくて、それが無理だってことだ。


 手を離す。



「よし。小牧、今のはなかったことにしよう」


「え? う、うん……?」



 傘を開く。小牧が身体を俺の右側に入れた。距離が近づいて、なんかいい香りがする気がしてドキドキする。

 ――それにしても、小牧も憶えていたんだな。



 下り坂を、俺が道路側になるようにゆっくりと歩く。傘は大きいから俺がちょっとはみ出るだけで小牧が濡れずに済むのはよかったけど、俺はさっきから違うことが気になっていた。


 横から聞こえる、小牧の鼻歌だ。何やらご機嫌がいいようで、俺の知らない――もしくは単にこの世にない――歌を口ずさ……鼻ずさんでいる。



「そういえば小牧は今日はどうして学校に?」


「んー? 部活だよー! この時期は大変なんだよねー」


「頑張れよ。俺も見にいくからさ」



 あっ、これはちょっと俺のために頑張れって言ってるみたいだったかな……。

 なんて思ったもののそれは杞憂で、小牧は笑みを浮かべていた。



「うん、ありがとー! ……そういう中谷はどうして学校に?」


「俺は生物部の当番だな。今日は妹と顧問の三人だったから時間かかったよ」


「あー、やっぱりあれ由楽ちゃんだったのかぁ」


「あれ……?」


「うん。ダンス部に差し入れをくれた一年生がいるって聞いて、もしかしたらって思ってたんだよー」


「いや、それもだけどそうじゃなくて……由楽のこと、知ってるの?」



 さっき感じた違和感はこれか。中学の部活も違うはずだし、どこで知り合ったんだろう。



「うぇ? あっ、あーっと、えーっと……その、前にちょっと意気投合してね? 好きなが同じだったっていうか、そんな感じ……です」


「ふーん。その話詳しく聞きたいなー」


「うぅ――――」




 この後も、雨の中、ひとつ傘の下でだらだらと話し続けた。





 電車の中で、俺は自分に身悶えていた。どれくらい悶えていたかと言うと、日曜にも拘わらずの満員電車で押しつぶされ、俺の胸のあたりで丸くなっている小牧を一時的に気にしなくなるぐらいには悶えていた。

 帰宅途中の会話はまだいいんだ。問題はそれの前。その俺の発言が脳内にリフレインする。


『一緒に帰ろうぜ――』

『もちろん――』

『今のはなかったことにしよう――』


 うぎゃー!!! 俺がなかったことにしたいわ! この三年で進んだことは、「くん」付けがとれて、ラインを交換した(全然使ってない)ぐらいだぞ!? 突然暴走しすぎだろ!

 というかこれ俺の気持ちバレたんじゃね? うわー消えてー。この世から消えてぇー。


 俺が羞恥と自己嫌悪と絶望、それに――ほんの僅かな期待をないまぜにした感情を抱いていると、小牧からか細い声が上がった。



「な、なかやぁ……ち、ちょっと離れてくれるかな」


「ん? あ、ごめん。苦しかったか?」



 腕に力を入れて隙間を作る。壁ドンみたいなんて思ったら負けだ。



「大丈夫…………し、しんぞうがわれちゃうよ」



 心臓? 本当に大丈夫か?

 小牧はうつむいて顔を合わせようとしないけど……。





 あれからは特に会話もなく、電車が俺たちの最寄り駅に到着した。


 改札を通り外に出ると、既に雨はあがっていた。



「バス乗る?」


「今日は歩いて帰ろうかな」



 と言うので、二人並んで歩き始める。手は、つながない。雨のあとの晴れた空に浮かぶ月の明りで、二人分の、しっかりと離れた影が地面に伸びている。

 これは……やっぱり望み薄かな。



 途中の川に架かっている橋を通ったとき、川の先にまんまるの月が見えた。……今日は十五夜だったか。

 横の小牧も欄干に体重をかけ、ほぅっと呟いた。



「月が……綺麗だね?」


「っ――――」



 本を嗜む身として、反射的に「死んでもいいよ」と答えそうになって、慌てて飲み込む。

 でも、この気持ちは伝えたい。伝わらなくても伝えたい。

 そんな想いが俺にはある。だから――、



「――手が届くと、いいなぁ」



 俺も小牧の右に寄りかかり、月に向かって弱々しく右手を伸ばす。伝わらなくてもいい。というかたぶん伝わらない。それでも、俺は自分の覚悟のようなものとして口にしておきたかったんだ。

 と、その手に誰かの手が重ねられた。いや、決まっている。小牧の手だ。――小牧の左手が俺の右手を包んでいた。



「もう、届いてるよ。きっと」



 左を向く。小牧と目が合う。

 瞬間、俺は察した。たぶん、小牧も確信を持っただろう。

 小牧が目をゆっくりと閉じる。そして俺が完全に硬直していると徐々にその頬が赤くなっていく。

 ……こ、これはあれだよな。あれがそれであれなんだよな!?

 混乱の極致にいる俺の手を――いつの間にか落ちていた手を、包み込んでいる小牧の手がしびれを切らしたように引っ張る。

 俺は思わずバランスを崩して――、


 唇が重なった。


 先ほどを上回る混乱。

 初めてで慣れているわけもなく――それは向こうもだと信じたいが――鼻息が荒くないか、下手じゃないかとぐるぐる回る頭で思考する。でも意識はやっぱり唇に集中していて、とてもそんなことを気にする余裕はなかった。


 長いような短いような時間のあと、呼吸の限界は無情にも訪れる。どちらからともなく離れ、余韻に浸りながらしばし見つめあう。


 ――これくらいは、俺から言わなきゃな。



「小牧 小絃さん。ずっと好きでした。付き合ってください!」



 目を合わせていようと思ったけれど、とてもそんな勇気はなくて地面を見つめる。


 ――小牧が息を吸う気配がした。



「はい。私もずーっと好きでした。これからもよろしくね。律樹りつきくん!」



 顔を上げると、満面の笑みの小牧……小絃がいた。

 その笑顔は今まで見た顔の中で最も印象に残ったとだけ言っておく。





 少しして、俺たちは再び歩いていた。もちろん、あのとき捕らえられた手は離していない。恋人としての距離感だ。



「まさか、こ……いとに伝わるとは思ってなかったよ。さっきの」


「ふふん。自分で言った以上は当然返しもばっちりだよ!」


「俺も自分があんなこと言われるとは思ってなかったからな。初めても奪われちまうしさー」



 「月が綺麗ですね」とか実際に言う人はどのくらいいるんだろうか。



「は、初めてだったんだ! 同じだ! よかったぁー」


「……え? 俺にする人がいるように見えるか?」


「いやぁ……由楽ちゃんあたりに奪われてるものだと……」


「ははは。いくら由楽でも、んなわけ……冗談だよな?」



 訊くと、すーっと小絃は目を逸らす。

 二人の関係は知らないが、何やら怪しいものを感じる。帰ったら問い詰めないとな。




 ふと空を見上げると、雲ひとつない快晴。星がよく見える。


 ――明日も明後日もその先も。ずっと二人で歩いていけたらいいな。そして、雨降る日には、二人ひとつの傘を使い、今日のことを思い出すんだ。小絃と一緒に。

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