枯木の下で

祭屋 総一朗

第1話

目が覚めた。

自分を見下ろす少年と目が合う。

「っ?!」

跳ね起きると少年も驚いたのか、一歩足を引いた。それでも視線が外れる事はなく、薄茶色の目がじっと自分を見下ろしている。後ろに下がろうとすれば、壁か何かが背中を押し留めるので、息を呑んで少年と向かい合う他無かった。

起きたばかりの重たい意識でも、彼が知らない子だというのは分かる。町の人は全員揃いの黒い目と髪で、彼のような目も髪も薄明るい少年なんて、道すがらに見ても目を引くだろう。

「……誰?」

少年は見たところ怖い雰囲気ではない。年も近そうで、泥棒や何かとも思ったが、ナイフや血の装飾品が付いてるなんてことはなく、ようやく絞り出した声に目を丸くしているほどだ。でもすぐに笑った。それがとても優しい表情だったので、言葉を続ける。

「……知らない子、だよね。この町に引っ越してきたの?」

「……ちょっと待ってて」

え?と聞いたが、少年は既に振り返り、すぐ後ろにあった扉へと手を掛けていた。

「すぐ戻るから」

「え、え?待っ、……」

立ち上がろうと地面へ手を置くと、冷たい感触に頭がはっきりとしたのだろう、少年が扉を閉める姿に、言葉を続ける事が出来なかった。

「……ここ……、どこ……?」

手を置いたままの床に目を落とせば、不揃いに並ぶ汚れた床石。見覚えは無く、急いで顔を上げた先の視界に頭が現実を受け入れた。

知らない、狭い部屋だ。背の高い本棚が一つと、床に箱がいくつか。離れた場所をよく見ようとするにはどこか薄暗く、外にいるのと変わらない匂いもして、少し寒い。

(えっ……、え、え……どうしよう)

ヒビと蔦だらけの灰色の壁を目で追えば、部屋には扉が二つ。一つは少年が出て行った扉。もう一つは一面横の壁にあり、そこから明かりが漏れていた。

(開いてる?……あ、違う、壊れてる……?)

立ち上がる足が引っ張られて一度床に落ちた。何か引っかかっているようで、脱ぐように振り払い、少しでも安心出来る方へ、光が見える方へと急ぐ。扉の四方から眩しい光が漏れていた。近付いて見れば扉が歪んでおり、ちゃんと見れば、扉は下半分が太い木の根に押されてひしゃげていたのだ。扉半分の太さがある木の根は、扉の向こうから小部屋の端まで伸びており、それは自分がさっきまで寝ていた場所で、後ずさる背中を押したものの正体がようやく分かった。

「……。どうしよう」

(あの子が帰ってくる前に逃げた方が……?)

「………――、起きたよ」

「?!」

突然聞こえた声に急いで自分の口を塞ぐ。高鳴る心臓で揺れる自分をどうにか抑えている内、埃臭いシャツの味がして手を放す。声のする方、木の根が生えた扉へゆっくりと足を進めた。声は途切れ途切れに聞こえてくる。

「……――、同じだろう?」

さっきの少年の声だった。

「……うん。そうだね。……そうする」

(?、同じ声……、一人で喋ってる……?)

目を細めたが、次に聞こえたのが声ではなく足音だと分かると、現状を思い出して再び心臓が高鳴った。少年は優しそうだったが、知らない子で、知らない場所だ。今自分は誘拐されているような状況だろう。このまま待っていても危ないのではと焦る。

(こっちは人がいるのかも……でもあの子は向こうから帰ってくるんだから……、悪い人には見えなかったし、話せばどうにか……?)

辺りを見渡したが、扉が二つの事実は変わりなく、次に本棚へと目をやった。隅から隅まで番号の書かれたファイルがびっしりと詰まっているだけだ。床に転がっている箱を開ければ、割れたビーカーやフラスコ、空の瓶、穴の開いた大きな靴。

何か事情が分かる物があるようには思えず、座り込んでいれば、扉が開いた。

「お待たせ、……」

「……あ、ええと……」

靴を片手に箱を覗いているのは怪しいのでは?と内心後悔しつつ反応を窺っていると、少年は、あー。と独り言ちた声を上げた。

「確かに靴がいるね。服も普通の。外に行く前に着替えておこうか」

「え?」

「付いてきて。靴を履くまで、歩くのに気を付けてね。あんまり綺麗じゃないから、ここ」

言われて自分を見れば、どうしてか服も見覚えがなかった。汚れたシャツは大きく、捲った太い袖が手首を隠している。膝まである裾の下はズボンも、靴も履いていない。自分が起きた場所を振り返れば、脱ぎ捨てられたようなズボンと靴が転がっていた。立ち上がる時に引っかかっていたのはあれかと、シャツ同様に大きいそれらが不思議だったが、それよりも確認したい事があった。

「外?」と聞けば、少年は「うん」と当たり前のように答えたのだ。

扉は大きく開いたまま。少年は相変わらず何も持っているようでもなく、自分が足を進めるのを待っているだけ。

「……出られるの?」

「うん。行こっか」

少年が手招きのような視線を寄越すので、俯き、頷いた。



横の部屋はもう少し広かった。長い机が二つくっ付いており、上にはオイルランプとファイルがいくつか、それから箱の中にもあったフラスコやビーカー達が並んでいる。割れてはいない。見慣れない機械も一つ二つ置いてある姿は実験室のようで、壁には蔦とヒビと、扉がもう二つ。一つはやはり木の根が突き出して扉を歪めている。

オイルランプが明々と見せつける見知らぬ部屋に、少し怯えもしていたが、少年はそれらに目をくれず真っすぐに部屋を横断し、まだ綺麗な、それでも嫌な音を立てる扉を開く。

扉が開いた先の景色に、一瞬息が止まった。

「えっ、……は、」

それだけが発音出来ると、後は言葉も失ってしまう。

「ねえ、服と靴の予備まだあった?」

少年が聞いた。

「服はー……二十はあったと思うけど、靴がどうかな」

「あったら、一つずつちょうだい。大きさが合わないんだ」

「……あー、そっか、確かに」

「あれ、どうしたの?」

少年達が答え、聞いてきた。

「……え、……え?」

扉から見える範囲だけで十人、それ以上はいる少年達は、今自分を案内した子とまるきり同じ顔、同じ声、同じ髪型。色も服装も全てくっきりと同じだった。

反応出来ずに固まっていると、一番近くの、案内してきた少年があっと声を上げた。

「そっか、知らないよね、確かに」

一つ遅れて、あー、と他の少年達も声を上げる。

「ええと、みんな同じ顔してるけど、いや、全員同じというか……うん、大丈夫。危害を加えたりとかするつもりはないし。安心して……とはいかない?」

「……きょ、兄弟、とか……?」

「まあそんな感じ」

「服あったよ」

扉の向こうから同じ顔の少年がもう一人、はい、と服を差し出してきた。少し渋り、受け取ろうと手を伸ばすと、服を握っている少年の手の異変に気が付く。

「う、わあっ!?」

今度こそ声を上げてしまい、急に飛び上がった勢いで尻もちを付いてしまった。鈍い痛みが込み上げてくるが、少年の手から目を離せない。え?と少年達は首を傾げていたが、一人が、あっ手、と言えば、また全員がああと声を揃えるのだ。

「ごめん、これも知らないんだったね」

そう言う、服を持った少年の手は、茶色かった。人種がどうとかそういう問題ではなく、そもそも人の手でも無い。硬そうな茶色が捩じりながら人の腕に似た円柱をしており、先で三つに、人の指を真似たように枝分かれ、みしみしと音を立てながら動く。扉から顔を覗かせている少年達の中には、足が似たような茶色だったり、傾げた首がそうなっている子もいた。

同じ顔まではまだどうにかだったというのに、いよいよ彼らが恐ろしく立ち上がれないでいると、案内していた少年が扉を軽く閉める。

「ちょっと落ち着こうか」

「……」

「ごめんね、でもここを通らないと外に行けないんだ。あっちの扉から行けたらいいんだけど……見た通り木の根で壊れてて。落ち着いたら行こう」

少年がまた優しく笑うので、時間を空けて頷く。後ずさって距離を取ってから立ち上がったが、少年は何も言わない。

(……逃げたい……。でも、他に道は無いし……)

少年が言う通り、別の扉は見るからに壊れている。そうは思ったが、縋る思いで扉へ近付いた。

少年が止めたり、焦ったりする様子はない。そのまま歪んだ扉のドアノブに手を掛けてみたが、変な音を立てるばかりで動く気配はない。

(何で扉から木が生えてるんだよ……)

扉の向こうに木があるのか、ならあちらが外なのか。

(あれ、結局外にいるかもしれない人と会うって事……?じゃあ別に、怖い人がいるとかじゃないのかな……)

小さな希望を見出す以外出来る事がなく、木の根を目で追った。その太い根が茶色く、明かりに照らされ硬そうに佇んでいる姿に、瞬きをする。

茶色くて、硬そうで。

根の先へと見つめていけば、細くなった根が渦を巻くように捩じれて床石を突き破っている。

(……あの子の腕と似てる……?、……!)

この部屋は実験室のようだな、と思った事を思い出した。

ゆっくりと鼓動が高鳴り始める。視線だけを少年に向ければ、少年はまだ何をするわけではなくこちらを見ていた。

落ち着いたふりでそのまま机の方へ、使い古されていそうな試験管達を恐れ見る。機械にも目を向けてみたが、真四角に分厚い蓋が付いたものでボタンと画面がいくつか、それから冷蔵庫のような機械もあるが、どれもよく分からない。意を決してファイルを開いてみた。背表紙には”55”と書かれている。

少年の様子が気になったが、隣の部屋の子に声を掛けられていた。

”投与:×××-J”

(”投与”……)

”前回の薬に加え×××を追加したもの。ここ数年の成長は見られない”

”新しい芽吹きもなく、毎年徐々に花が減っている。立ち上がるのも難しい。状態も悪そうだ”

(病気……じゃない、花の記録……?……と、誰かの記録……)

いくつかページを捲った。

”投与:×××-N-05”

”N版は他より3%ほど腐敗の減退が見られる。今後はこれを中心に調合する”

"木の根に一つだが新しい花が咲いた。だがまだ新しい子は生まれない"

”投与:×××-N-06”

”東の一番大きな枝が落ちると、十五番目の子は両手が萎れてしまった。生まれた枝に関係するのだろう。四、十一、十五にC版の薬を投与する事にした。”

また捲った。

”投与:×××-M-02”

”枝が萎れ始め、とうとう足が完全に萎れてしまった。しかしM版を投与して十日目、新しい種が芽吹いた!五年ぶりだ!まだこの木は生きている”

ゆっくり読書出来る場合でもない、難しい文字を飛ばして読んでいたのだが、ようやく気が付く。

(……日付が)

「ねえ、今日の日付、分かる?」

顔を上げるより前に声が出た。返事は無く、焦りだけが募った。

「……昨日は三月二十七日だった、三千百十年の」

ファイルの隅に書かれた数字は、”3365-3-27”。

「五十年以上違う。どういうこと?僕は、」

「長いこと寝てたよ」

少年は数歩進んで、机に手を付いた。

「君が知っている時間から、五十年以上経ってる。これは事実だよ」

「何で、」

「病気が進んだんだよ。分かるだろう?」

「……花吸病のこと?でも僕は罹ってないよ。花も咲いてない、ほら」

「……。詳しい話は分からないよ。でも君が寝ている間に世界は進んだんだ。多分、外に、君が知ってて、君を知っている人はいないと思う」

手が離れると、ファイルは大きな音を立てて床に落ちた。破片がどこかへ飛び散る。

「そんなわけない。僕は昨日普通に寝て……学校は、花吸病の子が増えたから休校になって……僕達も今度引っ越すかもって、父さんが……」

首をいくら振っても、少年は頷いたり、肯定することはない。

(違う、違う……そうだ、ファイルはまだあった……!)

元の部屋に大量にあったファイル。このファイルの日付が間違っているだけかもしれない。きっとそうだ。もう誘拐だとか実験だとか、そんな事を考えるより先に足を進める。何か声を掛けられたが振り返りはしなかった。

元の部屋には確かに小さな番号のファイルがあった。一番上にある”1”を引っ張り出し、ファイルを開く。何より先に隅の番号を、年期のある紙に記された数字は。

「……”3127-4-6”」

(……さっきより進んでいない。でも十七年は経ってる……)

1番でこれだとすれば、残りは数を追うごとに日付が重なり、いずれ五十年以上経つのではないか。恐怖と、焦りと、不信感で目が回る。腕が力を無くし、ファイルが床を向いた。既に脆くなっていた紙がいくつか破け、滑るように床を舞う。

(……そんなはずない、きっと、外に出れば……)

「早く、外に……」

扉へと向き直った先、くしゃ、と軽い音が鳴った。紙を踏んだのだと分かって下を向くと、今まで見たページとは少し違っていた。写真が付いていたのだ。薄暗さでよく見えず、拾い上げる。



「おかえり。……どうする、時間はあるけど、……もう少し考える?」

少年が初めて気まずそうにそう聞くので、首を振ると、机に置かれていた服に気が付いて着替えることにした。外に出る為だ。だがその前に聞きたい事がある。

「じゃあ……、さっきも言ったけど、みんな危害を加えたりとかはしないから、大丈夫だよ。この部屋を抜けたら、すぐ外だ」

頷きは出来なかった。まだ目が回り、聞きたい言葉が出てこない。

少年が開いた扉の先に足を進めれば、先ほどよりさらに一回り大きく、それでも木の根が張り巡る部屋に、同じ顔の少年達が二十人はいるだろうか。みんな心配そうにこちらを見ていた。足が茶色の子、顔の半分が茶色の子、茶色の首を傾げている子。その中の一人に違和感を覚え、思わず足を止める。

(……、あっ、両手が、ないんだ。……)

「十五番……」

思わずそう溢した瞬間、全員の視線が突き刺さったのが感じ取れた。特に、両手の無い少年は目玉がこぼれそうなほど驚いている。

「ご、ごめん。……その、さっき見たファイルに、両手が萎れたって子が、」

「……。うん、そうだよ。合ってる」

「……合ってる、の?」

「うん。ねえ、誰か手を貸してくれない?靴が足りてないんだろう、僕の靴をあげるよ」

傍にいた一人が両手の無い少年の背中を支えて座らせると、脱がせた靴を差し出してきた。その手の茶色は一度見た事のある形に捻じれていて、先ほど服をくれた子なのだと分かる。三つの枝が器用に靴を掴んでいた。

「……ありがとう。さっきは、ごめん。服もありがとう」

「こっちこそ、驚かせてごめんね」

彼は分かりやすく、手を後ろへと引いた。しかし一瞬見えた手は、どうしても木の根そっくりに見えるのだ。息を飲み込むと、ようやく喉に残っていた躊躇いも薄くなった気がした。

「……ねえ、ここって、実験施設か何か?」

「実験?」

「君たち……その、……みんな、同じ姿をしているし……体とか、まるで木みたいで。ファイルにも投与とか書いてあって、こう、みんな君の姿になるとか、あの木みたいになるとかだったら、って……」

もし頷かれたら、そう怖くもあったが、返ってきたのはまるでふざけあった後のような沢山の笑い声だった。それから一様に首を振る。

「全然。そんな事ないよ」

「本当に?」

「うん。僕達は生まれた時からこの姿で、ここにも好きでいるんだから。安心して。だから君は外に、」


「じゃあ、君と僕は友達なの?」


突然、まるで誰かを殴った後ような、そんな静寂が生まれた。笑い声が消えて、少年達が口を塞げずに呆然と自分を見ているのだ。

この質問の答えがどちらでも、そこまで立ち尽くされるつもりはなかった。不可解さに心臓が変に高鳴り始め、二つ、息を吐いて最初の小部屋で拾ったものを見せる。

ファイルから破れ落ちた紙。そこに貼られてあった写真には、

「僕と……、君が、写ってる」

二人でこちらに向かって手を振っている。楽しそうに笑う自分たちに、道を尋ねるだけの人でも、仲の良い友達だねと言ってくれるだろう。

「ここが実験施設とかなら、僕も君達みたいになるのかなって、……でも、違うのなら、もう僕には分からない。分からないけど、この写真は、どうしても君が友達なんだって……そう、思う」

「……そんなの、初めて見た……」

振り返った。案内をしていた少年だ。彼らが再び無言で答えようとするので、悩んだ末、本音でそれを振り払う。

「……正直、この場所も、君達の事も、少し怖いよ」

思わず少年から目を逸らしてしまった。彼が、彼らがどうしてか悲しそうな顔をしたからだ。たまらず次の言葉を急ぐ。

「分からないんだ。写真が無くたって、どうしても君達が悪い人だとは思えなかった。外に出たいよ、でも、何も知らないでいるにはもう遅い気もする。何で僕はここにいて、友達を忘れて、どうして君達がそんなに悲しそうにするの」

「……」

少年の視線が床へと落ちると、

「外に、行こう」

誰かが、そう言った。



思わず目を閉じた。痛みに瞼を潰し、手で覆う。

少年達がいた部屋にもう一つあった扉を開ければ、本当にすぐ外だったのだ。眩しい太陽の光が焼き付けられた目をゆっくり開く。目の前に広がるのは、茶色。

「……大きな、木……」

首を全て上に向けなければならないほど大きな木が、視界の中心に座っている。太い幹は二つ目の部屋にも収まりきらない、枝すら普通の木に見える厚みがあった。コの字の古い建物に囲まれて立つ姿はひどく圧迫感があるはずなのに、葉の無い枝の間から見える空が解放感を与えている。嗅いだ事のある香りに息をめいっぱい吸うと、足を踏み出した。

「五日も歩けば、人がいる場所に出ると思うよ」

少年は一応のようにそう言った。足を止める気は無かったし、彼も分かっているのだろう。

(……知ってる、この木。ここまで大きくなかったけど、近所にあった木だ、……)

数十も足を進めれば、乾いた幹に触れられた。より近くで見ると木は大層弱っているようで、辺りには枯れ葉一つ無い。

(花も咲いてない……。毎年、春に花を付けたのに。それが好きで、なんて、なんていう花だっけ、この木は、)

思い出そうとすると、何かが引っかかる。

(……大きかった。こんなに大きくなった姿を、見た事がある、気がする。まだあの時は花も咲いていた。あの時?)

再び足を進めた。太い幹を、そこから伸びる根を伝い、どこか、思い出すようにある場所を目指していた。

(そうだ、秘密の場所があったんだ。花吸病が流行りだして、花を付けるこの木も嫌われてて、だからこの木に寄り付くのなんて僕ぐらいで……でも、誰かと……そう、この根の向こうに、)

太い根が丸く円を描くように伸び、小さな部屋のような場所があったんだ。

太い根がぶつかりあい過ぎたのだろう、かつての秘密の場所には入口のような隙間が出来ていた。

足を踏み入れた先、そこにはいつか長い時間を過ごしていた秘密の場所があり、一人の少年が待っていた。



他の少年達と同じ姿の少年だ。服の上から分かる両手足の無い体を木に預け、茶色に染まった顔の半分の目は空洞で、残った目で自分を見上げていた。

「……サクラ……」

(思い出した、……思い出した。この木と、一緒だって……)

「思い出した?」

自分を見上げる少年と目が合う。

ようやく目が覚めた。

「……思い、出したよ。……そうだ、君は、花が咲いた頃に引っ越してきて……」

親が花吸病で亡くなったのだと。体から花が咲き始め、いつしかその花に養分を取りつくされて死んでしまう病気。親戚を訪ねてきた彼は見目も境遇も相まって、いつも一人でいた。

それは自分も同じだった。増え始めた花吸病に植物を排除しようとする人達は多く、町で唯一の桜の木が好きだと言える場所は無かった。

この木と同じ名前だと、彼が言ったのだ。桜の木が好きなのだと言えば、彼は優しく笑った。「僕も好きだよ」と言われたのが何より嬉しく、すぐに仲良くなった。彼が人目を気にするのもあって、毎日秘密の場所に集まり、本や遠くの町、たまに来る商人、写真屋の話をした。彼に無理を言って撮りにも行った。

自分の夢を話した事もあった。「大きな町には汽車が走っていて、寒い場所から暖かい場所にも行けるんだ。一年中桜を見れるんだよ。いつか乗ってみたい」、彼はいいね、と答えてくれた。

だがその日々も長くは続かなかった。

「……それで、死んだんだ……」

次の春が来るより前に、サクラも花吸病を患った。田舎町では薬なんて無い。サクラの親戚は彼を見捨て、遠方へと消えてしまった。毎日看病に行く度、サクラはやつれ、彼を彩る花は増えていく。一か月もすれば、サクラは呆気なく死んでしまった。

「何も……何も出来なかった。僕は、私は、弱っていく君をただ見ていることしか出来なかった。だから……せめて、知らない人達の所よりはと、君を……この桜の木の下に埋めた……」

人が減ると自分も町を出なければならなくなった。父と二人、少ない金でどうにか人の多い町まで行き、仕事を探すようになると、花吸病の研究所の雑用を選んだ。研究者達は優しく、本や知識を与えてくれ、二十代が終わる頃には研究所の一員として受け入れられた。

ようやく心に余裕ができ、墓参りにと、この町に行くことにしたのだ。数日掛けて歩き、町が見えて泣いてしまった。遠くからでも、あの大きな桜の木があるのが見えたから。

誰もいない町で桜の木は一人、堂々と咲き誇っていた。花を供えようと秘密の場所を覗き込んだ時。

「……君が、生まれていた。すぐにサクラだと分かった。でも、違うのもすぐに分かった。君の手足も顔の半分も、この木と同じようだったから。……それでも、また会えた気がして、嬉しかった……」

彼の体はまるで木と同じようで、水さえ採れれば良いらしい。しかしそこで過ごす内、彼の腕と桜の木が弱っているのが分かった。一度町に戻り、薬や本を揃えた。調合した薬が合ったのか、少し元気になった頃、また一人、サクラが生まれたのだ。その次の年も、その次も。仕事を辞め、荒れ地に小さな畑を作り、粗末ながら家も建てた、この木の傍で過ごせるように。

「……君は、何十年も、僕達の傍にいてくれたね」

最初に生まれたサクラはとうとう動けなくなった。両手足が朽ちたのだ。木の寿命も、自分の寿命さえも見え始めてきた。

「ああ、……ああ、でも、見てくれ!どういう訳か、私も若返っているんだ。まだ研究は続けられる!すぐに新しい薬を作るよ。そうすれば君も、」

サクラは首を振った。

「もう、いいんだ」

風が吹き込んだ。太い枝と枯れ葉一つもない場所では、風が、疑った耳を切る音しか聞こえない。懐かしい匂いを吸い込む事も忘れた。

「……何で、な、サクラ……?」

「……君はね、長いこと寝てたんだよ。ある日から突然」

一瞬、その日を思い出した。ベットに行く力も無く、物置に生えた木の根に寄り掛かって寝たのだ。

「眠り続ける君に、僕達が出来ることは無かった。ただ毎日見続けて、それである日、気が付いたんだ。君が少しずつ若返っている事に。……僕達もこんな風だけど、訳が分からなくてね」

サクラは可笑し気に笑う。

「とうとう、君が、僕達の記憶の一番最初まで戻った。みんなで悩んで……、結局みんな僕なんだけどね。一つ思ったんだ。確かに見覚えはある姿だけど、僕と出会った時の君なのか、もしかして、僕と出会う前の君なのかもしれないって。もしそうなら、……それでようやく、君がその姿に戻った意味が、分かった気がしたんだ」

「意味……?」

「僕らは、もうすぐ死ぬ」

はっと、冷たい記憶が背筋を撫でた。しゃがみこみ、腕の無い彼の肩を掴む。

「そんな事ない!まだ出来る事が、」

「君に、人生を返したかったんだ」

頼りなく木に寄り掛かる少年は、そう確かに言った。何も分からず、頭の中が白色に塗りつぶされた気分だった。

「僕が病気で死んでしまったから、花吸病の研究をして、それでも幸せになれたかもしれないのに、僕達が生まれて、君をここに縛ってしまった。……だから君には、僕を知らないままここから出てほしかった」

「違う、私は、いたくてここにいたんだ。君にまた会えて嬉しくて、また、一緒に……!」

「僕達も嬉しかったよ」

いつものように優しく笑うサクラに、それ以上言葉を返せず、喉を詰まらせる。

「でもやっぱり、君には好きに生きてほしいんだ。君が、僕達を知らない君まで戻っていたのは、僕の、僕達の……、」

サクラは視線を下へと向けた。愛おしそうに見つめる先は、少し荒れた地面。その下には。

「本当の僕の、願いだと思う」

自分の肩に、サクラの頭が寄り掛かる。もし彼に両手があったのなら、抱きしめていてくれているのだろう。小さな声は、それでもはっきりと溢す。


「どうか、僕達を忘れて、外に出てほしい」


言葉を返す事も、何もない体を抱きしめ返す事も出来なかった。もしそれをするなら、選ばなくてはならないのだ。

しかし枯れ枝ほどの軽い体が、もう幾分も待ってくれないのだという事は分かっていた。

選ばなければならないのだ。

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