海峡の景色


「あれが津軽海峡か……」


 聞き覚えのある演歌の歌詞が彫り込まれた碑が置いてある、津軽海峡間近の高台。晴れ空の元の津軽海峡は、遠目に対岸の北海道が見えている。

 高台から海岸に向かって歩きながら、辺りを見渡す。


「何というか、寂れているな?」


 何だかんだ都市部で育った人間だからか、トタン屋根の古ぼけた家や掠れた標識、側溝の近くに立つゴミなのか使用しているのか分からないボロボロのコーンを見ると、寂れている様に感じてしまう。

 草木も豊かに茂り、潮の香りを覆い隠す濃い草の匂いが鼻につく。


「いや、寂れているというよりは、風情があるというべきか」


 海岸に到達し、防波堤へ向けて歩きだす。まばらに立つ民家や事務所、岸壁に着けられた小さな漁船は、心象の中にある長閑な漁村を写し出したようだった。

 月並みな表現ではあるが、息の詰まるような都市のあくせくと動く人の波や林立したビル群とは対照的な、リラックスできる場所である。


 ついに防波堤の先まで辿り着いた。荷物を脇に置き、赤い灯台を背もたれに座り込む。汗が凄い。照り付ける初夏の日差しは、東京と変わらず厳しかった。

 コンビニで買ってきた、今日の昼食をビニール袋から取り出す。予算があまり気味だったから、豪勢に買ってみた。ビール2本にちょっと高い方のおにぎり2つ、ホットスナックのチキンに店内調理のカツサンド。


 海風で袋が飛ばないようカバンに括りつけ、1本目の缶ビールを開封する。買って間もないビールはまだ十分に冷えており、熱を持った身体に染み渡るようだ。


「くぅ~~っ! これだからビールは辞められん!」


 おにぎりも開封して一口。汗をかいたからか、紅鮭の塩味が引き立つ。夢中で口に運び、気付けば1つ食べきってしまった。

 ビールで口を潤し、一息つく。あたりは静かで、耳は波の音と私の立てる物音だけを拾う。


 生まれた空白のせいだろうか、旅の終わりがもうすぐそこに迫っているという実感が、急速に押し寄せてきた。

 この心情をどう表現したものか。旅を終えて退屈な日常に戻る事も、戻った先で「いい歳したおっさんのバイト」と人々に蔑まれながら労働することも受け入れられる。社会性と倫理は未だ私の中に強く根付いている。

 ただ、自分が決めた目標が全て達成されたことが、自分の欲求を枯れさせることが怖い。会社で働いていた時と同じ、あるいはそれ以上に目指す先を失って、求められるままに動く生きた屍となることが堪らなく恐ろしい。


 空き缶をビニール袋に捩じ込み、空を見上げる。

 酷く憂鬱ではあるが、不思議と逃げてしまおう、死んでしまおうとは思えない。呪いのように身に付いた社会性のせいか、はたまた町田と再会の約束をしたからだろうか?

 ……当分は、仙台にもう一度遊びに行くことを目標にしよう。ああ、どうせなら町田以外の友人ともまた会いたいな。大川は九州で佐野は大阪周辺だったか。


 考え込んでいる間にすっかり無くなった昼食のゴミをビニール袋にまとめ、片付ける。

 十分に気分転換はできただろう。冒険の時間はもう終わりだ。


「これ以上、海を眺めていても仕方がないな。……帰ろう」


 立ち上がり、尻の砂を払う。最後になるかもしれない津軽海峡の景色を、凪いだ海に広がる青空、穏やかな漁港の風景を目に焼き付け、防波堤を後にする。

 旅立つ時に持っていた5万円は、帰りのバス代ですっかり無くなってしまうだろう。無一文、笑うしかないな。


「帰るか! 明日から無一文、頑張ろう!」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

督促状を踏み越えて 紺の熊 @navybear

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ