第14章

 巨大な手は、通路から出てきていた。

 四足に爬虫類の肌質は、イグアナのようなシルエットではあるが、前足の肩口からもう一組腕が出ている姿は他に類がない。

 太く筋肉質な腕が伸び、大きな手がトラ男を握っていた。

「エウサロス――か――」

「お前に殺されたのは非戦闘タイプじゃったからな。久しぶりじゃよ。この姿は」

 エウサロスと呼ばれた異獣もレベヤタン同様、流暢に言葉を話した。

 突き出た鼻と裂けた口から発せられる言語には違和感を感じてしまう。

 尖った牙が覗けるが、レベヤタンのような角はなく、凶悪な印象の薄い顔付きではある。

「意識のバックアップから、こんなにも早く復活できるのか――」

 トラ男が手から逃れようともがいているが、パワー型ではない彼では微動だにしない。

「わしら強硬派は常に進化している。ぬしらは時代遅れなんじゃよ」

「ぬかった……」

「死ぬがいい」

 冷ややかにエウサロスが言い放った。

「トラ男!」

 骨が砕ける音に熟した果実を潰すような音が混じる。

「オレは――……シュミエルだ――」

 獣顔の口から最後の言葉が零れ落ちた。

「トラ男――」

「こいつの頭はチーターなのじゃがな」

 マサムネの感慨をエウサロスはツッコミで返した。

「全然違った」

 というロキシーも『ネコ』扱いではあった。

「お前が親玉か」

「食料と会話するつもりはない」

 エウサロスはトラ男の身体を放り投げると、マサムネへ直進してきた。

 マサムネは腰から《レベヤタンの尻尾》を取り外して構えた。

 巨大なイグアナは意外と速い。

 ぐっと持ち上げた太い前足が横へ。合流しようと走ってきたロキシーの正面へ、大きな握り拳が付き付けられた。顔はマサムネを見ていたが、目はロキシーを狙っていたのだ。

 盾を持ち上げ、その拳固を受け止めたが、カウンターと体勢の不備から、ロキシーは後方へと弾き飛ばされた。

「ロキシー?!」

 その間にもエウサロスはマサムネの目の前へ迫っていた。マサムネは床を蹴って巨体の左上へ移動した。尻尾の刃を投げつけるより早く、エウサロスの肩口の腕が突き上げられてきた。

 拳をかわし、その甲を蹴って、今度は顔の正面へ。

 しかしエウサロスはマサムネをしっかりと視ていた。宙に浮かぶマサムネへ、頭突きを仕掛けてきた。

 マサムネは刃を手に持って突き出した。巨顔がぐいっと首を動かし、マサムネの攻撃をかわした。

 代わりに肩口の左腕を打ち下ろしてきた。かろうじてかわしたマサムネは着地した。勢いを殺せず、土像兵の破片を撒き散らしながら床を滑る。

 エウサロスの四つの目が睥睨してくる。

「なるほど。視えているというわけか」

「シュミエル対策じゃ。身体の反応速度も上げてある。速いだけでは勝てんぞ」

 再びマサムネが腰を落として構えた時、空間が揺れ始めた。

 足元が鳴動し、地上も大きく振動しているのが分かった。

「壊すんじゃろ。手伝ってやるよ」

 エウサロスの口元が厭らしく歪んだ。

『東京タワーを自爆させる気です』

 アウラが言った。声を抑えているが、悲鳴に近い声色だ。

「勝利、ここから離れるんだ」

 座り込んでいた勝利が、力なく立ち上がると、出口への通路へ歩み入っていった。

 マサムネへ声を掛けることも、目を向けることもなく、義弟は姿を消した。

「ここいら一帯吹っ飛ぶのじゃ。逃げられやせんよ」

 エウサロスの哄笑が地響きに混じる。

「どうやって手に入れた力か知らんが、わしらに敵うはずがないんじゃ――?!」

 嘲笑を張り付かせていた頬が、マサムネの膝蹴りで大きくたわんだ。

 宙へ浮かんだままのマサムネへ、エウサロスが突きを繰り出した――が、そこにマサムネはいなかった。

 四つの目はマサムネを見失っていた。マサムネは正面にいた。

 投げつけた《レベヤタンの尻尾》がエウサロスの額へ突き刺さり、電撃が走る。

 獣の叫びを上げながら、エウサロスが身体を大きく振った。

 マサムネの身体が振り払われた。

 刃も抜け、床を滑らせながらエウサロスから離れる。

「全く効かん! 静電気くらいしか痛くない!」

 赤く光る目尻に涙が滲んでいた。

 向かい合うマサムネとエウサロスの間にロキシーが入ってきた。

「何じゃ、お前は? わしはその小僧をぶち殺すのに忙しいんじゃ。どけ」

 ロキシーは無言だ。

 マサムネからは背中しか見えないが、すごく怒っているのは分かった。

 エウサロスはそれを察してもいない。

「逆らう気か。なんて身の程知らずな奴め」

「止めろって」

 マサムネの言葉はロキシーではなく、エウサロスに向かっている。当然だが、本人には届かない。

 エウサロスがのっしのっしとロキシーに歩み寄った。

 ロキシーは微動だにしない。

「食料の分際で――」

「死んじゃうぞ、バカ」

 マサムネはエウサロスに止めるようジェスチャーで知らせていたが、伝わらないことに耐えかねて言葉にしてしまった。

「ロキシーが怒ってるんだって」

「お前はなかなか食いがいがありそう――……え?」

 ロキシーを覗き込むように睥睨していたエウサロスは、やっとマサムネの警告が自分に対して発していることに気が付いた。

 しかし完全に遅かった。

 ロキシーが金棒を振るった。エウサロスの頭が肉片と血を飛び散らせ、跡形も無くなった。

 巨体が崩れるように倒れた。

「……ロキシーを怒らせないようにしよう」

 マサムネは心に刻んだ。

『急いでください。異獣たちは東京タワーを破壊する気です』

 通信機からアウラが慌てた声を上げた。

 マサムネとロキシーは、エウサロスが出てきた通路へ走り入った。

「吹っ飛ぶんなら良いんじゃね?」

「依頼は転送装置の破壊。タワーじゃない」

「ふむ……」

 マサムネの返事はまだ納得していない。

『要するに、異獣はここを破壊しても転送機能を他へ移せる。精神のバックアップとやらで一緒に移動すれば、拠点を新たにすることが出来るんだ。対して、うちたちはここの爆破により君たちを失い、敗北したことになる』

『相変わらず長い』

 レイローズがアツヒメへツッコミを入れる。

 真面目な人は苦労するようだ。

『少なくともタワーの破壊を阻止して、あなたたちだけでも生き延びて欲しいんです』

 声もマサムネたちと移動してきている。

 アウラの能力で出力するスピーカーも追随させているのだろう。

 おかげで音は分散せず、マサムネも理解できる言葉を得られた。

 通路は長いが、まっすぐであるために出口側が見える。ぽっかりと開いた穴のように二人を待ち構えていた。

 壁のあちこちで妙な光が不規則に点滅する中を走り抜ける。

 出口の光を切り取るように影が遮った。

 意外と大きな影は人型ではない。

「ふはははは。久しいな、お前たち! この前は遅れをとったが、復活したワシはパワーアップを――」

 マサムネが膝蹴りで通り過ぎた。影が見えた時点で速度を上げていたのだ。

「――名乗りの……途中で――」

 続いてロキシーが金棒で横へ吹き飛ばして通り過ぎた。

 壁の高いところへぶつかった音を背中に、二人は出口へ差し掛かった。

「何かいたな」

「うん」

 通路を抜けると、機器が目まぐるしく動いている部屋へ出た。広さはないが、天井は高く、そのほとんどを塔のような装置が占めていた。

 円筒の機器の周囲には操作盤があり、そこに四本腕の異獣がいた。

「戦闘型のわしを倒した上に、強化したレベヤタンが足止めにもならんとな?!」

 どうやら科学者型のエウサロスのようだ。

 二本足で立っているだけで、顔付きとイグアナのような印象は変わっていない。

 マサムネは操作パネルへ近付こうとしたエウサロスへ《レベヤタンの尻尾》を投げつけた。

 刃は当たらなかったが、電撃が掠めていった。

 エウサロスは妙な悲鳴を上げると腰から倒れた。

 手に持っていた箱が床へ落ち、中のガラス球がこちらへと転がってきた。

 装置へ向かっていたロキシーの足元へ広がった。数個を踏み潰しつつ、足を取られたロキシーは倒れてしまった。

 さすがタンク。盾を翳して床へ身体を打ち付けるのを防いだ。

 ――が、そのガラス玉のほとんどを盾で押し潰してしまった。

「あら」

「あああああ! わしらの意識のバックアップがああああ」

 エウスロスが崩れ落ちた。

「……なんかゴメン」

「マサムネくんが謝ると、あたしが悪いみたい」

「逆に聞くけど、こいつ見た目がじいさんだから、つい敬老の意識が働くんだ」

 急に老け込んだ異獣の前で立ち尽くしていると、アウラが檄を飛ばしてきた。

『急いでください』

「お――おう」

 マサムネが転送装置に近付いた途端、エウサロスが抱きついてきた。

「死にたくないんじゃ」

「じゃあ離せよ」

 その間にロキシーが操作パネルへ取り付いた。

『鍵を回せば爆破は回避できるはずです』

 エウサロスにくっつかれて動けないマサムネは、鍵をロキシーへ放った。

 ロキシーは鍵を差し込んで勢いよく回した。

 ――と、鍵がパキっと折れ、ロキシーの手元に鍵の先が残った。

「え――」

「え?」

 当人だけではなく、見ていたマサムネも目を丸くした。

「ええええええ!」

 エウサロスがロキシーの横へ転がるようににじり寄った。

 鍵は根元から折れ、取り出せず、これ以上動かせもしないようだった。

「回す矢印もあるのに! 何で逆に回す?! 脳も筋肉なのグエッ――」

 盾で頭を小突かれ、エウサロスはその場で蹲った。

「お前もいい加減タフだな」

 ロキシーもさすがに涙目で頬を膨らませている。

 悪いとは思っているのだ。

 建物全体の揺れが激しくなる。

 地上のタワーが鉄骨を軋ませながら揺れているのが容易に想像ついた。

「もうダメだあああああ」

 エウサロスが頭を抱えるように小さくなって叫んでいる。

 転送装置の塔もいつしか赤い光しか放たなくなっていた。

 明滅もなく、ただ部屋全体を赤く染め、もう爆発することしか頭に無いようだ。

 マサムネは頭をコリコリと掻いて、ロキシーを見ると、彼女もやはり困った顔付きで装置を見上げていた。

 視線に気付くと苦笑を浮かべた。マサムネも笑みを返した。

 その時、『マサムネ――』とアウラが神妙な声で呼びかけてきた。

「何だ?」

『究極の選択です』

 絶叫して煩いエウサロスを、ロキシーが盾で再び小突いて黙らせた。

『この世の中、異獣たちとの戦いの日々。決して幸せじゃありません。このままタワーの爆発と共に人生を終わらせるのが楽な道かもしれません』

 アウラの声は自愛に満ちている。本当に優しさからの提案なのだ。

「もう一つは?」

『生き残る可能性は生まれますが、波乱の道を進むことになります』

「じゃあ、そっちで」

 即答であった。

『そんな簡単に――』

「生きるほうで」

 ロキシーもあっさり選択した。

 二人で力強く頷いた。

『分かりました』

 小さいため息が聞こえた。これは彼女も意を決したという証だ。

『装置を見てください』

「見てるよ」

『クリスタルが十二個、円を描くように配置されているはずです』

 ロキシーが指を差した。

『光っているのは幾つですか』

「二つ」

『最後の一つを引き抜いてください。それで自爆も止まるし、転送装置も沈黙します』

「何だ。そんな良い方法があるのか」

 マサムネは躊躇いも無く、クリスタルへ手を伸ばした。

 エウサロスがマサムネの腰にしがみついてきた。

「ダメだ、そんなことしたら――」

「おい――押すなって」

「マサムネくんから離れて」

 ロキシーはエウサロスの肩を掴んだ。

 三人が絡み合う――

 ロキシーが金棒を振り上げ――

 エウサロスが泣き叫び――

 マサムネが掴んでいたクリスタルを引き抜くと、急激に静かになった。

 同時に視野を染めていた赤も消えた。

「え?」

 視界と記憶が一致しない。

 振り下ろされた金棒は急には止まらず、エウサロスの頭上へ炸裂した。

 カエルのような濁声を上げ、押し潰されたエウサロスは床ごと下へ落ちていった。

「……本当に怒らせないようにしよう」

 マサムネは決意を新たに周りを見回してみた。

 ロキシーが床をぶち抜いたことから、地下でもなくなっている。

 転送装置のサイズも四分の一でしかない。

 スピーカーからはアツヒメたちの声が聞こえる。

「とりあえず東京タワーの破壊は止まったらしいな」

 ロキシーが頷いた。

 アウラが必死に呼びかけているが、マサムネに返事をする手段がなくなっていた。

 エウサロスと組み合った時、胸ポケットから通信機を落としてきたからだ。

 『千里眼』は酷使しすぎると実際の視力にも影響が出ると言っていた。

 声で探すしかない様子から考えると、もうアウラには見えていないのかもしれない。

 下へ降りる階段を見つけた。壁がガラス張りになっている。

 港を含めた海岸線が一望できる。

 螺旋状の階段を下りながら、ここもタワー状の建物なのだと理解できた。

 ふとマサムネは手にあったはずのクリスタルがないことに気付く。

 抜き取って、しっかり握っていたはずなのだ。

「こっちは落としたつもりはないんだけどな……」

 クリスタルを持っていたからこそ、通信機を拾うことが出来なかったと言える。

 下の階に四つの人影があった。全員異獣だ。タイプとしてはエウサロスと同じ科学者型に思えた。上階を突き抜け、瓦礫に埋まっているエウサロスを囲んでいるようだ。

 警戒する間も無く、彼らはマサムネたちの姿を認めると、「異獣殺しだ」、「殺されるぞ」、「逃げろ」、「逃げろ!」と、蜘蛛の子を散らしたように逃げていった。

 まだ階段を降り切らない所で、二人だけが取り残された。

 彼らは明らかにロキシーを見ていた。

「これはまた……」

「不本意」

 一階まで他の異獣や土像兵に遭うこともなかった。

 ただマサムネとロキシーの名を呼ぶアウラの声だけがずっと聞こえていた。

 申し訳ないが、応える術がないので、しょうがなく外へ出た。

 海辺の風がマサムネの前髪を撫でた。光と空気が織り成す土地感が東京ではないことを肌で伝えた。

「転送された」

「そうみたいだな。どこなんだろう」

 塔の壁に建物名が刻まれていた。

「ポートタワー。そうか。ここは神戸だ」

「関西……?」

「そうさ」

 ロキシーが顔をしかめるように目を凝らして文字を見た。

「この字『神戸』じゃない」

「逆に聞くけど、町に行ってみようぜ」

 歩き出したマサムネにロキシーが続いた。海に浮かぶエリアが橋で繋がっている。静かで波音しか聞こえない。

 さっき逃げていった異獣の姿さえもうなかった。

 橋へ向かって歩き出す。

 ここが博多だと二人が気付くのはもう少し先のこと。

 転送装置のクリスタルがマサムネの右手に埋まっていると知るのも同じ頃。

 それを狙って人間と異獣が二人へ迫るのは、更に後のこと。

「今日はどこのお風呂へ入る?」

「普通、寝床の確保が先」

「私たちの縁を結んだ風呂を優先しなければ」

 マサムネは豪語する。

「身の危険しか感じない」

 ロキシーも言うほど警戒はしていない。

「ロキシーの背中は私が、『見』守る」

「一文字入っただけでカッコよさ半減」

 潮風の中、二人は並んで陸橋を渡る。

 アウラの告げたとおり、マサムネとロキシーは波乱の道を歩き始めたのであった。


(了)

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