星竜王の河

沙月Q

それほどの時を経ないそれほど遠くない銀河で……

 千年戦争は突然再開した。


 銀河帝国の北東星域に位置する惑星〈星竜王クレイビス〉。

 それを巡る二つの衛星、〈緑竜玉ロクビス〉と〈紫竜玉オキビス〉は、太古の昔から有角族ギム・ガンの植民星であった。この二つの星が戦争状態に陥ってから、ちょうど一千年が経とうとしていた。

 発端は些細な貿易問題だったが、〈紫竜玉オキビス〉の都市で〈緑竜玉ロクビス〉側の市民が暴行を受けたことから衝突に発展。〈緑竜玉ロクビス〉軍の英雄的軍人ヴォントロウの救出作戦によって戦闘が激化した。

 ヴォントロウは本国の承認をとりつけ、自ら〈紫竜玉オキビス〉に宣戦を布告。

 その後の戦闘で〈紫竜玉オキビス〉側の民間宇宙船が破壊されたことにより、戦争状態は決定的となった。

 銀河帝国の〈法典〉では、惑星(衛星)自治政府同士でなされた宣戦布告による戦争に対し、帝国や銀河皇帝も干渉しないことが定められていた。

 誇り高い民族であるギム・ガン同士の戦いは熾烈を極めるかに見えたが、ほどなく戦いは永く中断されることになる。

 惑星〈星竜王クレイビス〉周辺に原因不明の星間ガス流が発生。〈星竜王のクレビナウ〉と呼ばれたこのガス流によって、あらゆる電子、電波、高次元波ハイパーウェイブの流れが狂わされ、周辺宙域で全ての宇宙船が航行不能となったのだ。

 二つの衛星は互いに行き来をすることはもとより、帝国との連絡も絶たれ、宇宙で完全に孤立することとなった。

 自ずと戦争も停止状態となり、攻撃や防衛はおろか敵状の把握すら完全に不可能となった。


 そして、一千年後…


 ついに〈星竜王のクレビナウ〉が晴れ間を見せた。

 次第に薄まってゆく星間ガスの狭間に、宇宙戦闘艦の通れる航路がひらけたのだ。

 衛星〈緑竜玉ロクビス〉の市民は、その千年の間も戦いのことを忘れてはいなかった。というより、その戦いに備え決着をつけることを自らの歴史的目標とし、生き抜くモチベーションにしていた。彼らは男女を問わず何世代にも渡っていつ再開されるとも知れぬ戦いに思いをいたし、いつ手にするとも知れぬ勝利を信じて再開戦に備えていたのである。


「間も無く、〈女神の門〉を通過します」

 〈緑竜玉ロクビス〉宇宙軍戦艦〈ヴォントロウ〉のブリッジで、艦長タイキオンは部下の報告に頷いた。赤銅色の顔に雪の如く白い短髪。その間から生えている2本の短い角が少し後ろに傾いているのは、彼が少々ナーバスに緊張を感じていることを示している。

「索敵、油断するな。敵は同じコースを逆に辿ってくる可能性が高い」

 〈紫竜玉オキビス〉の連中が自分たち同様に宇宙艦を派遣していれば、の話だが…その当否は確認しようもなかった。

 一千年前、二つの星の軍事力は拮抗した状態と言えた。だが、互いに孤立したままの間に大きな実力差が生まれていないとも限らなかった。

 とにかく、〈緑竜玉ロクビス〉軍はこの時のために準備した十二隻の最新鋭宇宙艦隊を、速やかに出撃させることが出来た。艦長であり艦隊指揮官であるタイキオンは五代続く軍人の家系に生まれ、三十半ばにしてこの大役を担うに足る才気の持ち主だった。

 〈緑竜玉ロクビス〉側は持てる力全てを、可能な限りのスピードで投入したと言えた。

 だが、敵は?

 〈紫竜玉オキビス〉も艦隊を派遣したとして、その規模はいかばかりのものだろうか。自分達より遥かに進んだ艦を、自分達に倍する数で送り込んで来るかもしれない…もし、そうであれば間も無く全ては終わってしまうだろう。

 だが、〈女神の門〉と名付けられた星間ガスの切れ目には船影一つ見当たらなかった。もしや〈紫竜玉オキビス〉は宇宙艦を建造出来る力も失い、その社会も衰退してしまったのでは?

 〈ヴォントロウ〉の乗員たちがそんな楽観と悲観の間で揺れていると、惑星〈星竜王クレイビス〉の姿がビュースクリーンいっぱいに広がって来た。

「ついにここまで来ましたね…」

「うむ…」

 三つ年上の副長ロカブコンの言葉にタイキオンも感慨深いものを感じていた。

 惑星〈星竜王クレイビス〉…この紅く巨大なガス状惑星が、二つに分かれたギム・ガン族全ての運命を左右していたのだ。

「我必ずやこの紅い星に還らん…」

「ヴォントロウの言葉か。ここを艦が通るのは千年ぶりだ」

「そうです。英雄ヴォントロウの凱旋以来…自分はここを逆に辿るのが夢でありました」

 ロカブコンは歴史に明るく、この戦役がなければ戦史家を志しているはずであった。だが、〈星竜王クレイビス〉はその夢を潰えさすかわりに、別の夢をかなえたわけだ。

 星間ガス流〈星竜王のクレビナウ〉は間違いなく、〈星竜王クレイビス〉から発生していたが、そのメカニズムははっきりわかっていなかった。ただ、その流れは非常にデリケートであり、周辺宙域でのわずかなエネルギー変動で、濃度と勢いを変えることが知られていた。

 もし、〈星竜王クレイビス〉との再接近ポイントで敵と交戦するような事態になったら、星間ガスによって双方の宇宙艦すべてが航行不能になることもあり得るのだ。

「どうやら、最悪の事態は避けられそうだな」

「まだわかりません」

 レーダー席から科学主任士官ケイラナスの声がした。ブリッジ詰めクルーの中では最も若い女性士官だが、その科学と数学に関する知識では全艦の尊敬を集めている才女だ。

「十時の方向にガスの偏向流域が見とめられます。あまり速度を出さず慎重に通過することをお勧めします」

「了解だ。操舵手、科学主任の指示に従ってコースを再設定せよ。通信士は各艦に伝達。縦列隊形のまま〈ヴォントロウ〉の進路を正確に追随するように」

 各部署から威勢の良い復唱の声が挙がってくる。

 タイキオンには、ブリッジだけでなく全艦の士気が艦長席にまで伝わってくるのが感じられた。

「?」

 どこからか若者たちの歌声が聞こえてきた。

 〈星竜王クレイビス〉の姿に高揚した兵たちが、英雄ヴォントロウの讃歌を歌い始めたらしい。

 止めましょうか?と目配せするロカブコンに、タイキオンは笑みを浮かべながら手を振った。気がつくと、日ごろ冷静沈着そのもののケイラナスまでが、小声で唱和している。艦隊の全クルーが、ヴォントロウの生まれ変わりになった気でいるようだ。


 ほどなく、彼らの高揚感は響き渡る警告音で破られた。

「星間ガスの乱流が発生しました。このままの進路だと艦隊は乱流に突入します」

 ケイラナスの報告と同時に、ビュースクリーンの映像上にセンサーの捉えたガスの分布が投射された。

「迂回しますか?」

 副長の提案にタイキオンは首を振った。

「時間を無駄にしたくない。一時の方向に隙間があるな。あそこを通過しよう。航宙士ナビゲータ、出来るか?」

 簡単なことではないはずだが、航宙士は間髪を入れずに答えた。

「出来ます。進路変更三七三。両舷全速」

 〈ヴォントロウ〉と僚艦は、スピードを上げてガス雲をかすめるように突進した。ガスの影響で、機器類が不安定に反応しブリッジ内のディスプレイや機器類のランプが瞬く。

「こらえてくれよ、〈ヴォントロウ〉」

「司令、星間ガス採取の許可を願います。これはチャンスです!」

 ケイラナスが勢い込んで進言した。

「チャンスとは?」

「科学局では、このガスを触媒にしてジェカリンク鉱石から大きなエネルギーを取り出す方法を開発中なのです。この艦には、このような事態を想定して、ガス採取のための特殊鋼タンクと最新型のドローン・サンプラーが搭載されています。もしガスを持ち帰ることが出来れば、さらに研究が進みます」

 ジェカリンク鉱石は〈緑竜玉ロクビス〉にも〈紫竜玉オキビス〉にも存在するありふれた物質だが、そこにエネルギー開発の可能性があるという話はタイキオンも知っていた。確かに、出発前に確認した装備にケイラナスが言ったものは入っており、彼自身が認可していた。

「許可する。だが十分注意しろ。艦の制御に影響が無いようにな」

 ガスの晴れ間が安定しているようなら、さらに船団を派遣して安全にガス採取を行うこともできよう。

 だが、その安定もいつまで続くものか…

 タイキオンは〈星竜王クレイビス〉が気まぐれを起こす前に、この戦いを決着させねばという思いを強くした。


 十二隻の艦隊がすべてガスの谷間を抜けて間も無く、レーダー要員の声が響いた。

「〈紫竜玉オキビス〉を捕捉しました」

 ついに、戦術レベルのレーダースコープが攻撃目標であり最終目的地である衛星を捉えた。

「進路クリア。作戦航路上に敵影ありません」

「全艦第二戦闘配備」

 艦内を支配する緊張感とは裏腹に、〈紫竜玉オキビス〉は平穏そのものの姿で次第に大きくなってくる。

 不気味な静けさだ。

 もし敵艦隊の接近でもみとめられれば、取るべき行動がわかって落ち着くような気がする…

 その時、まったく予想していなかった声が通信士席からあがった。

「艦長、艦隊司令部より緊急通信であります。立体映像によるメタスクランブル通話を希望されてます」

「なんだと?」

 このタイミングで?一体何事か?

 ブリッジ内の空気はさっきまでとまったく別種の緊張感に包まれた。

「回線を開け」

 艦長席の眼前に数人のギム・ガンたちが立体映像として現れた。

「タイキオン司令…」

 映像の中央に立ち、語りかけてきた初老の男は直属上官の提督でもなければ、その上の参謀総長でも、軍トップの司令長官でもなかった。

「これは…主席統制官閣下…」

 長い黒髪に大きな角を横に寝かせた〈緑竜玉ロクビス〉の元首は、思わず立ち上がったタイキオンを制するように軽く手を挙げた。その表情は、周りを取り囲む各中央省庁トップレベルの政府高官たち同様に固く陰鬱なものだった。

 …これはただごとではない。

「貴官の艦隊は今まさに、作戦行動に入ろうとしているところだろう。この重要な時に、私はこれも重要なことを伝えねばならない。驚かずに聴いてほしい…というのも無理な話かもしれぬが…」

 主席統制官は一つ息をつくと言葉を継いだ。

「我々は…わが〈緑竜玉ロクビス〉と〈紫竜玉オキビス〉は…戦争をしていないことがわかったのだ」

 ブリッジに何とも言えない沈黙のとばりが下りた。

 その場の誰も、主席統制官の言葉の意味がつかめていなかった。誰もが「どういうことでしょう?」と聞きたかったが、言葉が出なかった。

 彼らの気持ちを察した主席統制官は、先んじて話を続けた。

「順を追って話そう。諸君が出発して六時間後、銀河帝国から一隻の艦が到着した。皇帝の特使を乗せたスター・サブだ」

 タイキオンは聞いたことがあった。

 銀河帝国の君主、銀河皇帝は〈完全人間〉《ネープ》と呼ばれる戦士たちに護られており、ことあれば彼らは隠密性に優れた宇宙艦、スター・サブで皇帝のエージェントとして銀河の至る所に派遣されるという。

「こちらがその特使…ネープ七七九殿だ」

 財務長官と教育省大臣が左右に身を引き、その奥から小柄な人物が現れタイキオンに軽く会釈して見せた。

 詰襟のスーツに身を包んだ、銀髪碧眼の少年…いや、少女かもしれない。その姿はタイキオンが歴史教育のプログラムで見た皇帝の守護者〈完全人間〉《ネープ》そのものだった。

 彼らは千年、いやそれ以上の遥かな昔から、まったく同じ顔、まったく同じ能力を維持したまま何世代にもわたって銀河皇帝に仕えてきたのだ。そして、いつしか他のいかなる種族から見ても並外れた能力と早熟性、さらに美しい容姿から〈完全人間〉と呼ばれるようになっていた。

「特使の話によると、〈緑竜玉ロクビス〉と〈紫竜玉オキビス〉は、皇帝の認めた戦争状態には至っていないというのだ。どうも、ヴォントロウによる千年前の宣戦布告は彼が独断で行なったもので、我が自治政府は後追いでこれを認めたらしい。これは帝国の〈法典〉では正式な宣戦布告として認められないのだ。我々の記録にそのような事実は残っていないが、開戦直後の帝国による調査で明らかになった…そうだ。皇帝は停戦を命じるための使者を〈星竜王クレイビス〉宙域に派遣したが、星間ガスの発生によってどちらの衛星にも辿り着けなかった。そして、一千年の時が流れ…」

「待ってください」

 タイキオンは思わず話の腰を折って主席統制官に尋ねた。

「では我々は、起きていない戦争のために千年間待ち続け、これだけの宇宙艦隊を造り上げ、ここまで送り込んだというのですか?」

 主席統制官は唇を噛んでから答えた。

「そういうことになる」

 タイキオンは艦長席にどうと腰を下ろし、大きくため息をついた。

 自分の角が両側に開いていくのを感じる。徒労感に脱力しているのだ。

「タイキオン司令、だがすべてが無駄に終わると決まったわけではない」

「?」

 主席統制官の言葉にタイキオンは視線を上げた。

「正しい手順を経てあらためて宣戦布告を行えば、開戦の大義は立つのだ。特使殿にもそれは確認した。そこで貴官と艦隊の新しい任務だが…〈紫竜玉オキビス〉の衛星軌道から敵状を偵察し、勝算ありと判断した場合…〈紫竜玉オキビス〉自治政府に対し全周波帯で宣戦布告を放送し…〈紫竜玉オキビス〉を攻略せよ」

「!」

 ブリッジ内の全員が、その場の空気に倍の重さを感じた。

 タイキオンは、英雄ヴォントロウの始めた戦いに決着をつけるという任務に誇りを持っていた。だが、まさか自分がそのヴォントロウの立場に立たされ、戦いを始めることを要求されるとは思ってもいなかった。

 それはまったく別の問題だった。

「主席閣下…今しばらく…お時間をいただけないでしょうか。この判断は自分にはその…あまりにも荷が勝ち過ぎるものであります…」

 主席統制官は心底からの同情心を顔に浮かべて答えた。

「残念ながら艦長、その時間はないのだ。実は我が軍の監視衛星が所属不明の宇宙船群をキャッチした。こうしている間にも〈緑竜玉ロクビス〉に接近中だ。恐らく、〈紫竜玉オキビス〉の宇宙艦隊に違いない」

 タイキオンは衝撃的な知らせに再び立ち上がった。

「あり得ません!我々は〈女神の門〉通過の際、何者にも遭遇しませんでした!」

「恐らく、〈紫竜玉オキビス〉側からしか見えないガス流の晴れ間があったのだろう。艦隊は三時間後には〈緑竜玉ロクビス〉に到着する。諸君が〈紫竜玉オキビス〉の軌道に達するのとほぼ同時だ」

「彼らは…〈紫竜玉オキビス〉軍は今うかがった事情を知っているのでしょうか…」

「うむ、特使は〈紫竜玉オキビス〉にも派遣されているそうだ。接近中の艦隊には、我々とまったく同じタイミングでこの事実が報されていると思う。彼らが我々の態勢を見て勝てると踏めば、先に宣戦布告をして攻撃を仕掛けてくるだろう。だが貴官による宣戦布告の方が早ければ、我々はすでに出撃させた防衛艦隊で迎撃を図ることが出来るのだ」

 タイキオンは眉間に指を当ててうつむいた。

 問題は複雑さと切迫感をさらにつのらせて彼の心中を苛んだ。

「敵艦隊の戦力は?」

 聞きながらタイキオンは、始まっていない戦争の中で「敵」という言葉を使う矛盾に気を取られながら重ねて尋ねた。

「我が軍の防衛艦隊で防ぎ切れるのですか?」

「わからん…だが持てる戦力で防ぐしかないだろう」

 なんとも判断の材料にならない答えを返した直後、主席統制官たちの映像が大きく乱れた。

「主席閣下?」

 相手は何か言葉を返したようだが、その音声も届かなくなった。

「通信士?!」

「星間ガス流の影響と思われます。〈緑竜玉ロクビス〉が〈星竜王のクレビナウ〉の死角に入ったため…」

 これですべての責任は、完全に自分の肩にかかったわけだ…

 部下たちは彼の判断の邪魔にならぬよう、誰一人として声をかけてこなかった。だが、彼らが小声で意見の交換をしている様子は薄々感じられた。

 なぜ、こんなことになったのか…戦争に参加することと、戦争を始めることの間になぜこんなにも違いが感じられるのか…

 そもそも「戦争」という状態とは一体何なのだろう?

 どんなに平和を望もうが始まることは止められず、またどんなに勇猛をもって祖国に尽くそうとしても終わる時は終わる…そもそも起きていないと言われて士気をくじかれる…

 そこに個人の意志が介在する余地などなく、自分のあずかしらぬシステムや状況の生み出す巨大なうねりの中で人はもがくしかないのだ。

 タイキオンは取り止めもない物思いを振りはらうように、激しく首を振った。今はそんなことを考えている場合ではない。

 情報も無く、時間も無い…

 その中で想定されるあらゆる状況を検討し、最も〈緑竜玉ロクビス〉の利益…システムや自治政府の存立ではなく、市民のために最良の選択肢を探し続ける…

 そしてついにタイキオンは、一つの答えに辿り着いた。

 問題は、艦隊がこの判断についてくるかどうか…だが…

 タイキオンは艦隊の十二隻すべてに通じる回線を開いた。

「こちらは艦隊司令タイキオンだ。各艦に告げる。これより艦隊は進路反転、〈緑竜玉ロクビス〉への帰投コースを取る。我が自治政府から届いた重要な情報による作戦変更のためである。その内容は追って通達する。ことは急を要する。各艦、遅れずに〈ヴォントロウ〉の後に続け。以上だ」

 

 ほどなく、〈緑竜玉ロクビス〉の遠征艦隊は全艦が回頭し、母星への帰投コースに入った。

 命令が実行されたことを確認してから、副長ロカブコンがタイキオンに声をかけた。

「艦長、よろしければ自治政府の…主席閣下の命令を無視された理由をお聞かせ願えますか?」

「その命令の内容を覚えているか?」

「はい。敵状を偵察し、勝算ありと判断したら宣戦布告の上、〈紫竜玉オキビス〉を攻略せよと…」

「そうだ。現場に判断を投げた、ある意味無責任な命令と思うが…恐らく〈紫竜玉オキビス〉の艦隊も同様の命令を受けているだろう。彼らが我が軍の防衛艦隊を見ても引き退らず、宣戦布告の上、攻撃を開始したとしたら?その戦力が〈緑竜玉ロクビス〉自体を陥せるほど圧倒的なものだとしたら?我々が偵察などしている間に、帰るべき故国が敵の手に落ちていることになると思わんか?」

「なるほど…」

「過大評価かもしれん。だが、もし当たっていればこの艦隊で〈紫竜玉オキビス〉を陥すことも出来ないだろう。当然、彼らの本国にも圧倒的な戦力があるはずだからな」

 副長は頷きながらタイキオンの話を聞いていたが、その顔は晴れなかった。

「しかし…命令違反には違いありません。もし、すべてが杞憂で我々の方が圧倒的に有利だった場合…」

「その時は、俺がすべての責任を負う。心配せず、命令に従ってくれ」

 

 艦隊が再び、〈星竜王クレイビス〉の巨大な姿をかすめる軌道に差し掛かった時、ブリッジに戦術ステーションの警報が鳴り響いた。

「白色光弾砲の照準波をキャッチしました。我が艦は背後からロックされています!」

「馬鹿な!」

 白色光弾砲は長射程のビーム砲だが、レーダーで捕捉される前に照準ロックできるほど接近するのは不可能だ。

 その時、艦隊の直通回線が強制的に開かれた。

「タイキオン司令…」

 声の主は、殿艦を務める宇宙駆逐艦〈ミスライゴ〉のカーラス艦長だった。士官アカデミーでタイキオンの二年後輩だった男だ。

「タイキオン司令、今すぐ艦隊を本来のコースに…〈紫竜玉オキビス〉侵攻の任務にお戻しください。それが艦隊司令部の命令だったはずです」

 タイキオンは眉間に皺を寄せた。どうやらこのブリッジから、ことの次第がすべて艦隊中に伝わったらしい。

「カーラス、聞いてくれ。〈緑竜玉ロクビス〉にも敵の艦隊が侵攻中なのだ。その戦力は不明だが、もし我々と同等かそれ以上のものだとしたら、防衛艦隊では抗し切れん。だから…」

「それは、あなたの言い訳だ。あなたには誇りある〈緑竜玉ロクビス〉の戦士として、戦いの火ぶたを切る勇気がないのだ。ヴォントロウの名を冠した艦に乗りながら、彼の器を持ち合わせていない軟弱者だ」

「カーラス艦長、それは違います!」

 口を挟んだのはケイラナスだった。突然の意外な人物からの言葉に、タイキオンも副長も呆気に取られて諌めるタイミングを失してしまった。

「タイキオン司令の判断はまったく合理的です。しかもそれは、命令違反という重責をご本人が背負われた上での判断です。これはヴォントロウの勇気に勝とも劣らぬ決断だったと言えるでしょう」

 短い沈黙の後、スピーカーがカーラスの小さな笑い声を漏らした。

「さすがはタイキオン司令。部下の教育が行き届いているとお見受けする。なるほど、あなた方の意志が固いのはわかった。だが、私は〈緑竜玉ロクビス〉軍人として命令違反を看過するわけにはいかない」

 ブリッジの小さな窓から、一瞬白い光が差し込んだ。

 〈ヴォントロウ〉のすぐそばを、白色光弾砲のビームが走っていったのだ。駆逐艦〈ミスライゴ〉の威嚇攻撃だった。

「直ちに降伏して、我が艦の接舷に備えなさい。タイキオン司令と上級士官は全員逮捕する。他のクルーは私の命令に従うなら、そのまま軍務に服することを許可する」

 そのカーラスの言葉を弾き返すように、ロカブコンが声を張って言った。

「これは反乱です!」

 副長はタイキオンにというより、ブリッジ内の全クルーを説得するように続けた。

「例え政府の意向に反しても、そこに合理性があるならば司令の判断を尊重し、司令の命令に従うのが艦隊の義務です。反撃態勢をとりましょう。第三主砲と後部宙雷だけで〈ミスライゴ〉を退かせることは出来ます」

 その心強い進言も、タイキオンの迷いをはらうことは出来なかった。いかに理は自らにあると信じていても、同士討ちは本意ではないのだ。

 見るとクルーは皆、タイキオンの方を見返しながら命令を待っている。どうやら全員カーラスではなく、自分についてくれているようだ…が…

 その時、第三の声が回線の向こうから響いてきた。

「タイキオン司令、重巡〈メサルク〉のカンドロマであります。〈ミスライゴ〉は我が艦が引き受けます。どうぞ、〈緑竜玉ロクビス〉へお急ぎください」

 艦隊の位置関係を示すビュースクリーンに表示された光点の一つが、隊列を離れて後方へ向かってゆく。すると程なく、別の光点がその進路を遮るように動き出した。

「こちら駆逐艦〈トレンドレク〉。〈ミスライゴ〉を援護します。カーラス艦長、艦隊の指揮をお執りください」

「強襲揚陸艦〈サンバンナド〉、タイキオン司令に従います。〈ヴォントロウ〉は我が艦の陰にお入りください」

 たちまち艦隊は真っ二つに割れ、混乱状態に陥った。

 自らの決断が招いた結果に、タイキオンは戦慄しながら皮肉な感情を覚えていた。

 こんな小さな艦隊ですら、きっかけがあれば主張を異にしてやいばを向け合うのだ…人間は戦争を起こすべく生きているようなものなのではないか…戦争そのものが、我々の〈性〉なのだ。太古の昔から…そして恐らくは未来永劫においても…

「〈トレンドレク〉発砲しました!」

 タイキオン個人の物思いなど吹き飛ばして、事態は急激に緊迫した。

「〈サンバンナド〉被弾!本艦も危険です!」

 やりたくはなかったが、反乱勢力側が先に手を出したことでタイキオンは攻撃を決断した。

「第三主砲、〈トレンドレク〉を撃て!後部宙雷発射管、〈ミスライゴ〉に牽制射撃!同時に〈ヴォントロウ〉百八十度回頭!他の艦は〈緑竜玉ロクビス〉へ急げ!」

 これ以上艦隊が割れる前に、タイキオンはカーラスと決着を付けることにした。

 駆逐艦〈ミスライゴ〉はその機動性を活かして牽制の宙雷を難なく避けた。だが、その間に〈ヴォントロウ〉は回頭を完了し、すべての武装が使える態勢を取った。こうなれば圧倒的にこちらが有利だ。

「第一、第二主砲。副砲並びに全赤色熱弾砲。〈ミスライゴ〉に一斉射撃!撃て!」

 砲手の狙いは正確だったが、命中寸前で手負いの重巡〈トレンドレク〉が〈ミスライゴ〉の盾となる形で割って入って来た。

 集中砲火を浴びることになった〈トレンドレク〉は火の玉となって、衛星軌道から〈星竜玉〉《クレイビス》へと落ちて行く。

「いけない!」

 ケイラナスが悲鳴を挙げた。

「〈星竜王クレイビス〉のガス表層が!」

 〈トレンドレク〉は惑星のガス表層に触れた直後、大爆発を起こして眠れる〈星竜玉〉《クレイビス》を覚醒おこしてしまった。

「司令!星間ガス雲が爆発的に広がっています!」

 ビュースクリーンに投射された、ガスの可視化イメージはみるみる艦隊を包むように広がっていった。このままなら、〈星竜玉〉《クレイビス》だけでなく二つの衛星も巻き込む大きな流れになるだろう。

「〈星竜王のクレビナウ〉が…氾濫した」

 ロカブコンがつぶやいた。

「全艦!ガスに取り囲まれる前にこの宙域を脱出せよ!」

 事態を把握した艦隊は、当面のいざこざを忘れて母星に向かって全速で飛び始めた。

 旗艦〈ヴォントロウ〉を除いて…

 ただ一艦、逆を向いていた〈ヴォントロウ〉には、再度回頭している暇がなかった。とにかく、安全なガスの切れ目を縫って進路を探すと、〈紫竜玉オキビス〉に向かって真っ直ぐ進むしかなかった。

 その途中でかすめた駆逐艦〈ミスライゴ〉は、〈ヴォントロウ〉を攻撃することもなく完全に沈黙していた。ガスを避けきれず、その機能を完全に失ったに違いなかった。そして、〈星竜玉〉《クレイビス》の重力に捕らえられたまま永久に衛星軌道をさまよう運命に落ちたのだ。

「気の毒に…」

 ロカブコンの同情に、タイキオンは共感しなかった。

「我々も似たようなものだ。もはや〈緑竜玉ロクビス〉への帰路は断たれた。このまま〈紫竜玉オキビス〉に向かうしかない。彼らが、自分たちを攻めに来た宇宙艦を受け入れてくれることを願いながら…な」


 ガス流に追われながら、戦艦〈ヴォントロウ〉は〈紫竜玉オキビス〉の衛星軌道にたどり着いた。

 一千年の時を超えての仇敵同士とはいえ、元は同じギム・ガン族である。腹蔵なく交渉し、なんとかクルーだけでも受けれいてもらえるようにせねば…タイキオンは藁にもすがる気持ちで、通信回線を開いた。

「こちら〈緑竜玉ロクビス〉宇宙軍戦艦〈ヴォントロウ〉。〈紫竜玉オキビス〉政府、あるいは軍司令部。応答願います」

 4回呼びかけを繰り返した後、ようやくビュースクリーンに一人のギム・ガンの老人が現れた。

「私は、〈紫竜玉オキビス〉首都区知事サイファウア…」

 老人は力のないかすれ声で名乗った。

「戦艦〈ヴォントロウ〉。貴艦の目的はよくわかっている。千年戦争を再開し、〈紫竜玉オキビス〉を攻略しに来たのだろうが、あいにく無駄なことだ。諸君にとって価値のあるものは、何一つこの星に残されてはおらぬ」

 タイキオンはサイファウアの言葉の真意をつかみかねたが、あえて問いただすことはしなかった。

「知事閣下。自分は艦隊司令官タイキオンであります。我々に〈紫竜玉オキビス〉攻略の意志はありません。求めているのは、救助であります。我が艦は、爆発的に発生した星間ガスに追われております。追い着かれて艦の自由を失う前に、クルーの〈紫竜玉オキビス〉への上陸を許可いただきたい」

 タイキオンの言葉にも、老人の表情は変わらなかった。むしろ、同情心がその翳りを深くしたように思える。

「タイキオン司令、残念だがそれも出来ぬ。貴官には知る由もない話だが、〈紫竜玉オキビス〉はほどなく滅びゆく運命なのだ。度重なる内戦で地表は荒廃し、市民は疲弊しきっておる。資源もエネルギーも枯渇寸前なのだ。諸君を受け入れる、あらゆる意味でのゆとりは無い。その艦の戦力で簡単に〈紫竜玉オキビス〉全土を征服する事もできようが、手に入るのはかつて諸君の宿敵であったはずの星の骸だけだ…」

「!」

 その言葉を聞いたブリッジの全員が驚愕の吐息を漏らした。

 千年にも渡って屈服さすべき敵と信じていた星が、滅亡寸前?しかも内戦状態であったとは…

 〈紫竜玉オキビス〉にとってこの千年間、〈緑竜玉ロクビス〉に対する勝利などどうでもよかった。彼らは彼ら自身の戦争に忙殺されていたのだ。

 人間の性に徹底的に根ざす戦争という影…それはより深く、〈紫竜玉オキビス〉に取り憑いていたらしい…

 だが、もし老人の話が真実だとしたら、あの主席統制官の話は…?

「しかし…あなた方の艦隊も〈緑竜玉ロクビス〉へ侵攻していったのではないですか?自分は本国から、〈紫竜玉オキビス〉の艦隊が接近中であると知らされております」

「あれは、難民船団なのだ。ガス流が晴れ間を見せた時、我々は最後の力と望みをかけて、若い世代を〈緑竜玉ロクビス〉へ脱出させることにした。彼らが出発した直後に銀河帝国の特使が訪れ、千年前の宣戦布告が無効であるという事実がもたらされた。我々は胸をなでおろした。〈緑竜玉ロクビス〉との戦争はなかったのだ。そして諸君の艦を見れば、〈緑竜玉ロクビス〉の国力が我々のように落ちてはいないことも分かる。あとは〈緑竜玉ロクビス〉自治政府の温情に期待するだけなのだが…一方で我々には諸君を受け入れることが出来ない…誠に遺憾だ…」

 サイファウアがうつむき、ブリッジ内に重い沈黙が下りた。

 タイキオンは言った。

「知事閣下…状況はよく分かりました。我々を受け入れられない窮状も理解しました。しかし、このままでは我々はガスに飲まれて死を待つのみの運命となるのです。どうか、クルーの上陸だけでもお許しください。あとは、我々が自らの力でなんとかします」

「……」

 老人は沈黙した。

「ギム・ガンの誇りにかけて、お誓い申し上げます。我々は〈紫竜玉オキビス〉の残り少ない資源を収奪するようなことはいたしません。全ての武装は封印し、市民の安全も保証いたします」

 〈紫竜玉オキビス〉の首脳はようやく顔を上げた。

「わかった、タイキオン司令…首都第一宙港への誘導をとりはかろう。だが、貴官の誇りに見合う待遇は何も提供出来ない。本当に残念だ。せめてジェカリング鉱炉が生きていれば状況も違ったのだが…」

 サイファウアの最後の言葉に、ケイラナスが立ち上がりビュースクリーンに詰め寄った。

「ジェカリング鉱炉?!〈紫竜玉オキビス〉では完成していたのですか?!」

 サイファウアはケイラナスに気圧され、一瞬戸惑いの表情を見せてから答えた。

「四百年ほど前から、ジェカリング鉱炉は我々の主たるエネルギー源だった。だが循環触媒である星間ガスが劣化し、度重なる内戦でガスを確保する技術も失われた…〈星竜王クレイビス〉の社会を支えるあらゆる動力の枯渇は避けられぬのだ…」

 ケイラナスは破顔し、タイキオンを振り返った。

 タイキオンも、思わぬ形で見えた希望をサイファウアに伝えたい衝動に駆られた。

 が、自制した。

 まだ、確実にジェカリング鉱炉のことは分かっていなかったし、余計な情報で事態を混乱させたくなかったのだ。

 タイキオンは平静さを崩さぬよう注意しながら、サイファウアに語りかけた。

「知事閣下、上陸許可に感謝いたします。当面、我々は寄食の身となりましょうが…やがては及ばずながら〈紫竜玉オキビス〉社会のためにお役に立つことも出来ましょう。いや、出来ると確信しております」

 サイファウアは眉を潜めながら、若き司令官の言葉に謝意を表した。


 ほどなく、戦艦〈ヴォントロウ〉は足下に大きく広がる〈紫竜玉オキビス〉の大気圏へと降下を開始した。

「この航海の結末がこんなことになるとは、思ってもいませんでした」

 副長ロカブコンの言葉は、クルー全員の気持ちを代弁しているものだろう。

 タイキオンは言った。

「若い連中には、気の毒なことをした。さぞかし俺に不満を覚えていることだろうな…」

「不満など…覚える筋合いはありません。我々は皆、討ち死にする覚悟で〈緑竜玉〉《くに》を出てきたのです。家族とも永の別れを済ませております。むしろ、命があることに感謝すべきです」

 そうだろうか…命があればこそ、望郷の念も覚えるというものだ。

 〈星竜王のクレビナウ〉は、かつての規模をはるかに超える広さで、惑星〈星竜王クレイビス〉の周辺宙域を包んでいった。〈緑竜玉ロクビス〉も〈紫竜玉オキビス〉も、再び宇宙の双子孤児として何世紀もの間、外界と隔絶されるのだ。

 だが今度は、前の千年とは違う。

 ありもしなかった千年戦争の幻は消え去り、千年の平和が訪れた。

 だが、その間にどんな違いがあるというのか。

 タイキオンには、未来に対する確たる展望は持てなかった。それでも与えられた希望にすがって、生きていくしかない。

「〈緑竜玉ロクビス〉に向かった難民船団な…受け入れられたと思うか?」

 副長は、そこに〈緑竜玉ロクビス〉や船団の姿が見えるかのように、ブリッジの窓を眺めやった。

「わかりません…しかし、〈紫竜玉オキビス〉に比べれば〈緑竜玉ロクビス〉は豊かです。ことの次第が知れれば、受け入れることでしょう。同じギム・ガン同士ですから…」

 その同じギム・ガン同士で、戦争になったのだ。

 タイキオンは、いたずらな不安や安直な希望によらない展望がたまらなく欲しかった。

「科学主任、この状況をどう見るかね?科学者として余計な感情にとらわれず、我々…単にこの艦にとどまらず、二つの星の将来にどんな展望が開けているように考えるか…」

 ケイラナスは答えた。

「科学者として判断するには、情報もデータも少な過ぎます。ことに二つの星の未来となると、なんとも申し上げられません」

 そうだろうな、と嘆息しながらタイキオンは気付いた。

 若き女性士官の表情はいつも通り冷静そのものだったが、普段髪に隠れている小さな角が、今は顔を出して前を向いている。

 ケイラナスは言葉を続けた。

「しかし…科学者以外の私個人としては…今日、この日が〈星竜王クレイビス〉黄金千年期の到来した日として永く記憶されるであろうことに、疑問はありません」


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星竜王の河 沙月Q @Satsuki_Q

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