第6話


 目が覚めて初めに感じたのは頭痛だった。

 それも割れるように痛む。

 こんな痛みは初めてだ。

 恐らくはお酒が原因だろう。

 こんなに恐ろしいモノだったとは露にも思わなかった。

 記憶すら曖昧だ。

 朧げに覚えていることは昨晩は二人とも乱れに乱れたことだけ、だった。


 隣には綾が死んでいるかのように安らかに眠っている。

 その寝顔を見ていると自然と優しい気持ちになれるから不思議だ。

 彼女の前髪を搔きあげ、額に口付けをする。すると綾はくすぐったそうに身を捩る。

 嗚呼なんて愛おしいのだろう。

 この愛の大きさはきっとこの世の誰にも負けないだろう。根拠はないがそんな自信がある。

 このままいつまでも恋人の寝息を堪能していたいが、残念ながら時間は有限だ。すぐに朝食の時間やチェックアウトの時間がきてしまう。多少…いや、かなり心残りだが綾を起こすべく声をかける。

 「綾、朝だよ。起きて」

 綾はすごい眠そうにまぶたを擦りながら声をかけてくる。

 「んむ〜…何時ぃ…?」

 「もう7時だよ。朝食もう少ししたら始まるわよ。早く準備して行きましょう」

 「ふぁ〜い」

 そんなあくびとも応えともとれる気の抜けるような返事を寄越してくる。

 そんな彼女の頰に手を添え、その唇に優しく口付けをする。

 たちまち綾は顔を真っ赤に染め上げる。

 付き合い始めてからもう一年も経とうと言うのに、いつでもそんなうぶな反応を見せてくれる彼女の可愛さは天井知らずだ。うちの彼女は本当に最高です。いやマジで。

 ちょっと真剣に綾の可愛さについて研究するべきなのかもしれない。この可愛さの謎を解き明かすことができたならきっとノーベル賞だって取れてしまうだろう。

 ゴホンッ…、それはともかく彼女と挨拶を交わす。

 「おはよう、綾」

 「もう千恵ったら…朝からえっちなんだから。うん、おはよう!」

 身体中にキスマークをつけたシーツ以外一糸まとわぬ綾の口から出た「えっち」と言う言葉の破壊力は半端なかった。思わず襲い掛かってしまいそうになるほどに。

 「綾ったらそんな全身にキスマークつけちゃって…これじゃどっちがえっちかわからないんじゃない?」

 そう言うと途端にしおらしくなって、一言。

 「千恵のばか…」

 急にいじらしくなるのはずるい。

 その後私たちが朝食を食べに降りたのは9時過ぎになってしまった。

 それまで何をしてたかは勿論言うまでもないことだろう。




 朝食をとり、部屋に帰り身支度を整える。

 チェックアウトまでの時間を綾と一緒に今日の予定の最終確認をする。

 「今日はどこ向かうの?」

 「紫陽花が綺麗で有名な崖だよ」

 「今って紫陽花咲いてるの?」

 「今年は雨の日が多かったし、もしかしたらまだ咲いてるかもしれないわね」

 「そっかぁ…楽しみだね!」

 「そうね。楽しみだわ」

 そう言って私たちは微笑みあった。




 チェックアウトを済ませ、ホテルを出る。

 天気は曇天。

 そのくせ気温はうだるように熱苦しい。

 じっとりと肌にまとわりつく湿気も鬱陶しい。 

 そんな陰鬱な雰囲気に包まれた中、私たちの最終日が始まった。



 目的の場所まで歩みを進める。

 一歩一歩踏みしめる。

 暑さで意識が霞む。

 思考が霧散する。

 先刻からずっと頭痛が続いている。

 朝はお酒のせいだと思っていたが、原因は別にあるのだろうか?

 そもそも私は何をしにここまで来たんだっけ?

 目的が分からない。

 何かしたい事があった気がする。

 とても大切なことが…。

 「千恵、一緒に最期を迎えるためにここに来たんでしょう?」


 あぁ、そうだ。


 綾と一緒に死ぬためにここに来たんだった。

 でもなんで死ぬ必要があるんだっけ?

 何かとても大切な事を忘れている気がする。


 「綾が幸子ちゃんを殺したからだよ」


 幸子ちゃん?誰それ?


 確か大事な人だったような…。


 「幸子ちゃんは私たちの親友だよ」


 そうだ。幸子は私の幼馴染で、親友で、幸子にはなんでも相談してきた。幸子にだけは綾のことも相談していた。私たちは女の子同士の恋人だったし、奇異な目で見られたり、綾がいじめられるのは嫌だったから簡単には人には相談できなかったが幸子にだけは全部話していた。


 それなのになんで私は幸子を殺したの?


 「千恵、着いたよ」

 たどり着いたそこは一面に色とりどりの紫陽花が咲きほこっていた。

 紫、藍色、群青、水色、白。

 一面に寒色の海が広がっていて、とても美しい。

 これが人生最期に見る景色だったとしたらそれも悪くないように思えてくる。

 少し辺りを散策することにする。

 目の前に広がる紫陽花の海を掻き分けて歩みを進める。

 今少し思案に耽りたかった。

 思考を続けようと思う。

 私は何故幸子をこの手にかけたのだろう?

 

 「その先は知らない方がいいと思うな」


 でも綾、知らないと死ぬに死ねないよ。現に私気になって仕方がないよ。


 「全てを知ることが千恵の幸せに繋がるとは限らないよ?」


 そうなの?


 「そうだよ。知らないことがあった方が幸せだってこと千恵も知っているでしょ?」


 それは確かにそうだ。父親が浮気をしている事も、母親がそれを知っている事も、それを世間に知られて可哀想な人って思われたくないから必死に隠している事も、そのストレスの捌け口に私を使っている事も何もかも知らずにいられたらどれだけ良かっただろうか。

 そうしたら自分を憐れまなくて済むのだから。

 

 「そうでしょ?何もかも上手く行っているのだからこのまま全部を終わらせよう?」


 本当にそれでいいの?


 「大丈夫だよ。さぁもう少しだよ」


 そっか。もう少しか。もう少しでこの苦しみから解放されるの?


 「そうだよ。もう後一歩踏み出せば全部終わらせられるよ」


 そうだね。綾と一緒なら何も怖くない。

 もう苦しい事も辛い事も悲しい事も寂しい事も痛い事も何もかもを終わらせられる。嫌なことから解放されるんだ。

 それは私にとってとても救いのあることのように思えた。


 「おいで?一緒に行こ!」

 そう言って綾は笑顔で両手を広げて私を迎える。

 私は彼女を抱きしめる為にあと一歩を踏み出す。

 

 うん、行こう!


 そして二人は交わった。

 その瞬間私は自分が求めていたモノの正体を見た気がした。

 この刹那の出来事で私の人生の全てが報われる、確かにそう思えた。

 そうだったのか。私はこの瞬間を迎えるために生まれて来たんだ。

 それくらい幸せな瞬間だった。

 

 そして私の意識は途絶えた。




 【小林幸子殺人事件報告書】


 20XX年7月上旬、某県某所で小林幸子(16歳)と濱口綾(17歳)の遺体が発見された。遺体は某自然公園に埋められていたところを通行人が異変(異臭)に気がつき通報、発見に至った。 

 遺体は両者共多数の刺し傷が発見されていた。死因は鑑識の結果失血死と断定。この殺人事件の重要参考人として両者と同じ高校に通う森田千恵(17歳)の身柄を確保しに向かうが、既に失踪した後だった。現場には森田千恵の指紋がついた凶器が一緒に埋められていたことからも警察は森田千恵を犯人と断定。早急に森田千恵の身柄を確保すべく、某県警の総力をあげて捜索に当たっている。

 尚小林幸子、濱口綾と森田千恵の間には親交があったと思われる。捜査に協力してくれた者たちは皆一様に3人は仲が良かったと証言している。警察の中では森田千恵の犯行の動機は怨恨の線が濃いと踏んでいたが、証言によると犯行の直前まで仲が良さそうに会話している姿が確認されている為、断定は出来ない。見つけ次第直接森田千恵に確認する他ないだろう。


 

 森田千恵の失踪はその家族にも少なからず影響を与えているようだ。犯行が起こった場所が小さな街だということもあり、噂が出回ってしまったようだ。被疑者が17歳である為、匿名で捜査が行われたが意味が無かった。一度出回ってしまった噂はおひれをつけて大きく広がっていき、連日連夜誹謗中傷が相次いだ。その結果森田父は左遷され、森田母とも離婚。お互いに地元から避難する結果になった。しかしどこに行こうとも一度背負ってしまった十字架を下すことは出来ないのだろう。殺人鬼の両親としてどこに行っても白い目で見られているとのことだ。

 


 森田千恵は何故このような凶行に及んでしまったのだろうか。

 何故彼女は友人たちをその手にかける必要があったのか。

 その犯行の手口からは強い怨恨が感じられる。

 何故彼女は仲が良かったはずの友人たちにそんなに強い殺意を抱いてしまったのだろうか。

 何度も何度も彼女たちにその刃を突き立てる必要があったのだろうか。

 苦しみ呻き、助けを求める友人たちを前にして彼女は何を思ったのだろうか。

 何も思わなかったか、あるいは彼女自身も苦しんでいたのか。

 これは私見だが、恐らくは後者だろう。

 きっと彼女も身の丈に合わない大きな衝動に突き動かされていたのではないだろうか。

 私はそんな気がしてならないのだ。

 勿論今となっては確かめる術もないのだが。

 それが口惜しくて仕方がない。



 全ての真相は闇の中だ。






 

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紫陽花が散る頃に Mel. @Mel_1ris

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