第5話
ビーチで綾と遊び尽くして精根尽き果てた頃、まだ日は高かったが予約していたホテルに向かうことにした。
着替える時にも綾にイタズラして、また彼女に怒られてしまったけどその話は置いておこう。そもそもいつでもその可愛い顔で無自覚に誘ってくる綾が悪いのだから。
そのことを真顔で綾に伝えたら額を押さえて唸っていたけど、一体どうしたのだろうか?
そんな風に二人戯れ合いながら海の側に立つホテルに向かう。
たどり着いたそこは抜群のロケーションを誇っていた。
少し高台に建っているそのホテルは綺麗な海岸線を一望できる。その景色は筆舌に尽くしがたいほどに荘厳だった。
しばらくの間、綾と二人でその景色に見とれていた。
二人寄り添いあって美しい景色を愛する人と共有する時間は、私に日々の疲れやストレス忘れさせる。そしてただただ私の胸中を幸せで満たしてくれた。
ふと綾に目をやると彼女も私を見つめていた。
お互いの視線が交わりる。それが何か可笑しくてお互いに笑い合う。
本当に幸せだ。
「千恵」
「何かしら?」
「んーん、何でもない。呼んでみただけ!」
そう言ってイタズラっぽく笑う綾は誰よりも可愛い私の彼女だ。
「ふふっ、何それ。しょうもないこと言ってないでそろそろホテルに向かいましょう」
「あー、しょーもないとかひっどーい!」
群青と黄金色のコントラストが綺麗な空に笑い声が木霊する。
ホテルの中は火照った身体を冷房が撫で冷まし、眠気を呼ぶ。
綾は行儀の悪いことにロビーのソファに寝っ転がり「イキカエルー」なんて呟いているくらいだ。
「こら、綾。行儀悪からやめなさい」
そう注意するも全く聞く耳を持たない。
「はいはーい」と返事しつつもまったく動く気配がない。
まったくバカは羨ましい。正直海水浴で疲れ切った体は休息を求めている。できる事なら私も何も考えずにソファに身を投げ出したい。だけど幼少の頃からはしたない事はしてはいけないという教育を受けて来たせいで、私にはどうしても綾のマネをすることは出来なかった。
しょうがないから私が受付に行って手続きを済ませることにした。
「いらっしゃいませ。ご予約のお客様ですか?」
フロントスタッフが声をかけてくる。
「ええ、今日予約している森田です」
「はい、森田様ですね。本日オーシャンフロントエグゼクティブルームでお伺いしておりますがお間違いなかったでしょうか?」
「ええ」
「では代表者様のお名前をこちらにご記入お願いします」
チェックインの手続きを一通り終え、ルームキーを受け取りエレベーターに向かおうとした時フロントスタッフがふと声をかけてきた。
「森田様、お連れ様は何時頃ご到着されるご予定でしょうか?」
その言葉に疑問が溢れ出る。
お連れ様?そんなのロビーでだべっている綾以外にいるわけがないじゃないか。私は昨日確かに二名で予約した。このスタッフは何を言っている?意味がわからない。気持ち悪い。
目眩がする。頭にノイズが走る。
「余計なお世話です!私の連れはもうそこにいます!」
スタッフの言葉に嫌悪感が溢れ出し、つい反射的に叫んでいた。
「た、大変申し訳ございません!」
スタッフもどうやら混乱しているようだが、それは私も同じだ。
私の様子がおかしいことに気付いた綾が寄ってきて、心配そうに私を見上げる。
「千恵、だいじょうぶ?」
彼女の言葉で平静さを取り戻した私は何とか綾に答える。
「ええ、大丈夫よ。ありがとうね」
スタッフはいまだに混乱していた様子だったが無視してさっさと部屋に上がってしまうことにした。
部屋に着いた頃にはすっかり空が赤く染まっていた。
隣接しているテラスからは水平線に沈む太陽を眺めることが出来た。
私達はまた肩を寄せ合い、おたがいの体温を感じていた。
そこに言葉はなく、静謐な空間の中綾の鼓動だけが私にとっての真実だった。そしてそれはとても幸せな時間だった。
夕食は予約していたレストランで海の幸を堪能した。
綾も私も大満足で部屋に戻り、同じベッドに身を投げ出す。
「はぁー、お腹いっぱい。もうなんにも食べれない」
「流石は海辺の町ね。中々に美味しかったわ」
「すっごい美味しかった!特にアレ!お寿司!」
「綾はお寿司好きね」
「だって美味しいんだもん!やっぱり日本人たる者お寿司をたしまなないとね」
「ふふっ綾ったら。嗜まないと、ね」
「…?そう言ったよ」
「…まぁいいわ」
とりとめのない会話をしているだけなのに充足感を感じるのは綾と一緒だからだろうか?
今、この瞬間だけでもすごく満ち足りている。
そんな感傷に浸っている私を余所に綾が何やらごそごそしている。
何してるのか気になり目線をやると目の前にニンマリと笑っている綾に顔があった。
「ふっふっふ。千恵さんや、実はいいものがあるのだよ」
少し嫌な予感がしながらも私は彼女に問う以外の選択肢がなかった。
「…………………良いものって?」
彼女は得意満面であるモノを旅行鞄の中から取り出してみせた。
「ジャジャーン!」
それはコンビニなんかでもよく見る缶チューハイだった。
「コレ!一度千恵と一緒に飲んでみたくて持ってきたんだー!」
心底楽しそうに綾は言うが、かく言う私は心配になってきた。
「え、それって大丈夫なの?大人じゃないと飲んじゃダメなモノなんじゃ…」
「あ、もしかして…びびってる?」
「は、はぁー?びびってなんかないわよ!ただ安全確認しただけだし?」
心底心外だ。
ええ、びびってなんかいないわよ。本当よ?
「びびってないなら飲めるよね?」
そう言って綾が挑戦的な顔で缶を一つ手渡してくる。
受け取った私は心の中で南無三と唱え、プルタブをあける。瞬間カシュッという小気味のいい音が部屋に響く。
綾も自分の缶を早速あけて、私に突き出してくる。
「かんぱーい」
「か、乾杯」
綾は勢いよく呷り、私はおっかなびっくりと缶に口をつける。
その味は思ったより全然甘くて、いつも飲んでいるジュースみたいだった。
その事実に安心し、私もどんどん飲んでいく。
綾は既にスナック菓子やらチョコ菓子やらを開封し、それをツマミながらどんどん缶チューハイを飲み進めていく。
「…さっきもう食べれないって言ってなかったっけ?」
「お菓子は別腹だもーん」
そう言って私にも差し出してくる。
「お酒のお代わりもいっぱいあるからどんどん飲んいいよ!」
「だから鞄が膨れ上がってたのね。呆れた。…でもそうね。折角だから貰うわ」
「そうこなくっちゃねー」
「それにしても案外お酒って大したことないわね。私ったらもっと怖いモノだと思っていたわ」
「むしろ美味しいよね。大人はこんなに美味しいモノをひとりじめにしてホントズルイよねー」
そんな他愛もない会話を綾と重ねる。
二人でお酒を飲んでいると、段々気分がふわふわしてくる。
何もしていないのに可笑しな気分になって、意味もなく笑い出してしまう。
「あはははは。綾ったら全然飲んでないじゃない」
「千恵こそもっと飲みなよー」
飲んでいるとどんどん気分が高揚していく感じがする。綾を見つめていると無性に抱きしめたくなり、彼女の胸に飛び込む。その際お酒が溢れてしまったが、そんなことは些細な問題だ。彼女のふわふわとした感触を楽しむ。
「ふふふっ。ちーえ」
そう言って彼女も私の胸に擦り寄ってきてくれる。かわいい。
「なーに?あや」
「キスしてもいいー?」
「もちろんいいわよ」
綾の唇を啄む。
宝物を大事に扱うように、やさしくやさしく彼女の唇を食む。
綾も私に応えてくれる。
不器用に、でも一生懸命その小さな唇で私を受け止めてくれる。その事実が私の頭蓋にわずかに残っていた理性を焼き切った。
そのまま二人快楽の海に沈んでいく。
溺れる二人を引き上げる者などこの部屋には存在しなかった。
真夏の夜、窓の外から寄せては返すさざ波がかすかに聞こえる。
吐息が重なり、やがては一つとなる。
夢から醒めるときはすぐ、そこまで迫ってきている。
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