狙われやすい人
彼らのような人間は、一見してレアケースの特殊なタイプに見えます。
一度くらいなら「運が悪かった・自分と合わないタイプは何処にでもいる」と納得も出来ますが、二度も三度も続くと話は別です。
偶然に思える事が何度も繰り返されると言う事は、必ず理由のある必然です。
行く先々で似たような人のターゲットにされ、流石に不自然に思って調べた方も多いのでは無いでしょうか。
大体はこんな事が書いてあった筈です。
大人しい人、人のいい人、気弱な人。
とにかく彼らは、新たな人と出会う度に「やり返さない人」かどうかを値踏みし、接近、支配関係を築いていくと言われています。
しかし、本当にそれだけなのでしょうか?
私の経験でも、意外と彼らは最初は優しかったり親しげに近付いて来ています。
恐らく演技ではないのでしょうが、この時点で既に「彼らにとっての、どのポジションに配置するか」を探られています。
また、本人達にこの打算は無いのでしょうが「はじめは親切だったあの人を怒らせてしまった。自分が悪い」と、錯覚させる効果もあります。
とにかく、ここまで彼らの性質ばかりを並べてきましたが、同時に自分の事も知らなければ「狙われる理由」を把握するのには足りません。
私の場合は極端なのですが、別れた母親が既に自己愛性PD、もしくはそれに類する特質だったと思われます。
現在よりも体罰に対して規制の緩い時代でもありましたが、算数がすぐに解けなければ殴られ、彼女が通ろうとした動線上に居ただけで蹴られ、と言う環境に8歳ほどまで居ました。
その後、両親の離婚でどちらかを選ぶよう求められたので、当然父親についていきました。
自分が子供を持ってみてわかったのですが、乳幼児と言うのは当然、やりたい放題ですし、わざとではなくても理にかなっていない行動で周囲の手を焼くものです。
勿論、注意して叱る事も大切なのですが、同時に「親からの赦し」を与えられて初めて、前回の行動を反省し、かつ、大胆な挑戦が出来る。
これによって、瞬間的な判断力だったり「言われなくても察する」能力が養われ“成長”します。
重ねて言いますが、私の場合は、初っ端の母親からして……と言うやや極端なケースです。
しかし、自己愛性PDによるパワハラ・モラハラ被害者と言うのは、他者の監視の目が気になって、行動を開始するのが一瞬~ワンテンポくらい遅れがちになだてしまうのです。
理由は言わずもがな「過去に即断したら殴られた」経験が、骨身に染みているからです。
そのくせ、即座に行動しないと、やはり殴られる。
板挟みの結果、殴られる事を少しでも先送りする為に、結論を出さないように縮こまってしまう。
結局のところ「トロいから殴られる」方を選んだに過ぎないのですが、人は自分から痛い方に突っ込むよりは、受動的に痛い攻撃が来るのを待っていた方がマシに思える生き物なのかも知れません。
とにかく、それで主体性だとか自主性に大きなハンデを負うのは間違いありません。
そして。
自己愛性PDのルーツについては前項でも述べました。
幼少期に母親との精神的分離に失敗し「他者は自分の手足と同じように、正確かつ迅速に動くもの」だと確信している人々です。
つまり彼らは「トロい人間、オドオドした人間」が死ぬほど嫌いです。
自分の立場に置き換えてみましょう。
自分の手足や身体がある日突然、どんなに焦ってもモタモタとした動作しかしなくなったら。
その焦燥と苛立ち、そして感じる身の危険はどれ程のものか。
行く先々で彼らに嫌われる人の体質の正体は、ここにあるのでは無いかと私は思っています。
一度、自己愛性PDによってへし折られた心と言うのは、別の自己愛性PDにとって目障りこの上ない存在となってしまうのです。
もう一つ、これも前項でしつこい程繰り返しましたが、彼らは自分を疑う事、ひいては間違いを認める事を知りません。
問題は自分ではなく相手にあると、際限なく考え、現実の方をねじ曲げにかかります。
例えば、警察に頼っても落とし物は見付からない、と言う持論を曲げられないがために「警察のサイトに載った落とし物の持ち主は皆死んでいる」などと馬鹿げた詭弁を弄するように。
つまり、一度「トロい奴、オドオドした奴」だと彼らに認識された場合、永久にそうでなければならないと、彼らは考えるのです。
「トロいから、俺に踏みつけられて当然。あいつは何を言っても必ず間違える」と言う“持論”を否定する要素(ターゲットの成長、他の人達の評価)を突き付けられた時、その現実を認める能力が無いために、なりふり構わず、自分の思う事実になるよう帳尻を合わせにかかります。
例えば、自己啓発の名目で宿題責めにし、仕事に関係の無い課題を山積みにし、常にターゲットの頭のメモリを一杯一杯にして、ミスを誘う。
そうすれば、大手を振って言えるわけです。
「そら見ろ、ミスをした! 俺の言う通りだった!」
現職のゲンさんの場合、立場も力量も完全に当初とは逆転しています。
しかし、彼にとってそれは“間違い”であり、彼の中では、私は未だに「自分にへつらうべき後輩、目下」なのでしょう。
それを支持する為に、電気の消し忘れ、指示の声が大きくなった、と言うような細々とした“真実”をせせこましく集めて回っている。
だから無駄なのです。
彼らに嫌われた事を挽回しようとしても、好かれようとしても。
彼らには学習や再評価と言う概念がなく、こちらが取り返そうとする行為は「彼らが維持したい力関係」とは利害が食い違っているのです。
この前提から理解しないと、お互い、永久にすれ違ったままです。
私もまた、何かと初動の遅いタイプです。
そして争い事全般が怖く、少しの批難を受けただけで結構、息が上がります。
これは、例えば相手が高齢のおばあさん等、物理的に絶対に危険がない相手であってもです。
人の怒声や批難そのものに、命の危険を感じるようになってしまったのです。
親ガチャと言うのも口さがないのですが、幼少期の環境と言うのは、晩年までの人生をそれほど左右してしまうものです。
ただ、8歳で母親を“損切り”出来たのがまだ良かったのかはわかりませんが、相手が孤立無援であったりと“勝算”が充分にあると見なした場合、なけなしの勇気を振り絞って後の禍根を絶つために、殊更大声で反撃する事もあります。
それが冒頭の方で紹介した(ブラック脱出マニュアルの方に書いた)私がブチキレた事例です。
恐らく、当時の私は相手に「こちらにも人間としての感情がある」と訴えたかったのだと思います。
しかし現実は、相手に“それ”そのものを理解できる素地がなく、ひたすら相手の思う“正しい光景”に帳尻が合うまでの屁理屈と恫喝の押し付けでした。
反抗すれば、(痛み分けで自分の立場も悪くなったとしても)リンチを強制終了出来ると言う見通しすら甘いものであり、ターゲットにされた時点で詰んでいた。
そして私は、母親だった人をはじめとした自己愛性PDに叩かれ続け、それに迎合しようとした歪みが、次に出会う自己愛性PDにとって目障りなものとなり……と言う“体質”になってしまっていた。
このブチキレ反撃事件こそが、私が自己愛性PDと言う人種に絶望した決定的な出来事だったのだと、今にして思います。
そして、それを踏まえたブラック前職では、もはや端から一度として、反論の一つもしませんでした。
結果は、ここまで散々書いてきた通りです。
フォークリフトに挟まれて死ぬように、仕向けられる所まで行きました。
ならばどうすれば良いのか。
初動でどうにか対等以上の力を身に付けた上で、相手を存在として認めず、無視せざるを得ないというのが、こうした経緯を辿った人間としての、今の所の結論です。
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