自己愛性パーソナリティ障害(疑惑)

 通常、議論とは問題解決と言うお互いに共通の目的を果たすためにある筈です。

 しかし、我々が“解決”を目的としているのに対し、彼らの目的は目の前の相手に“勝つ”事。今風に言えばマウントを取る事それ自体が目的になっています。

 その為、話し合ってもわかり合えないのです。

 そもそも、こちらの目的が果たされる事は、あちらの目的が果たされない事を意味するので。

 

 故に、彼らは最初に出した結論を支持する為にあらゆる論法をこねくり回します。

 日本人の200人に1人と言う、当該特質の人口比から、これを読んでいる皆様も概ねこうした人物と関わった経験があるのではないかと思います。


 その昔、私が財布を紛失した折り、ある人にこう言われました。

「絶対に見付かるわけがない」

 地元の警察のウェブサイトで落とし物のリストが公開されていたので、それを調べることにしました。

 ついでに、彼に対しては「ここを見て持ち主が見付かったケースもゼロでは無いのでは?」

 と言っておきましたが、

「持ち主が死んでいるから名乗り出ないんだろう」

 と返答されました。

 わけがわからないと思いますが、私も、そして恐らく彼自身にもわからない事でしょう。

 今にして思えば「私の財布が見付かるわけがない」と言う最初の結論を支持する為に、落とし物リストの存在意義を否定しなければならない為に出た苦し紛れの詭弁だったのでしょう。

 とにかく、彼らの“修正力”と言うのは、我々の想像を遥かに超えています。

 あらゆる例外やレアケースも全て一緒くたに100パーセントの事実とし、使えるものは何でも“論拠”として使います。

 警察サイトを見れば希望はゼロではないとした私のそれも持論に都合の良い見通しではありましたが、それを否定したさに「警察サイトでリストアップされた落とし主は必ず死んでいる」と言うのは、少し考えればわかるレベルの馬鹿げた暴論です。

 デスノートでもあるまいに。

 

 例えば前回の話で、私が横着を怒鳴られた事を不当だと感じている根拠として、所属長がさほど気にした様子では無かった事を挙げています。

 もしも私が、それを指摘したとしても、こう返ってくるのでは無いでしょうか。

「その時の所属長は、調子が悪くて話を聞ける余裕が無かったに違いない。顔色が少し悪かったように見えた」

 ならば、彼自身のお粗末な行動の方がよほど不純物混入を招いている事を指摘すれば、

「今は俺ではなくてアンタの話だ! 開き直る気か!」

 と、これまた大声でひっくり返そうとしてくる事かと思います。(※1)

 

 生まれた直後の乳児は、自分と親が別個体である事を認識できないと言います。

 つまり「親は自分が望んだ通りに動いて当然の、文字通りの“手足”である」と言う状態です。

 これは、基本的に泣く事でしか生命の危機(空腹など)を伝える事が出来ない為、防衛の為に必要な性質かと思います。

 そして、乳児から幼児に成長するにつれて「自分と親は別個の存在ではないのか?」と気付き精神的に“分離”する事で、悟っていくのだそうです。

 自己愛性PDとは、いわばこの“分離”が不完全なままに成長してしまった人達だと言われています。

 ゲンさんの、私や周囲の人々に対して醸し出している不機嫌オーラや、本来二人組で協力するのが当たり前の事を無視する態度と言うのは、分離前の乳児が泣いて親を動かそうとするそれの延長線上にあるのだと思います。

 俺はお前が嫌いだ。早く気付いて原因を治せ。

 そして、泣き声が小さいから聞こえないのだと思い込み、徐々に大声でわめくようになる。

「他人は俺の思い通りになって当然」

 と言う傲慢さではなく、もっと根元的な、

「他人が思い通りに動かないと死んでしまう」

 と言う、差し迫った焦燥なのかも知れません。

 勿論、他人と自分が別個の存在である事も、他人が思い通りにならないからと言って命に関わるわけでは無いのは理解している筈です。

 前職で、会社が新型コロナ対策に有給の取得を推奨(事実上の強制)をした時、私がそれに従って有給を取得した事を「サボり」だと叱責されました。

 当然私は、会社のコロナ対策の方針に従ったに過ぎないと反論しますが、

「コロナのせいにするな!」

 これが、彼らと言う人間を象徴する言葉だと思います。

 新型コロナウイルス(それも最初期)の蔓延が大ごとである事を理屈では理解できていても、体感が出来ていない。

 知能とは別の次元にある問題であり、こちらが理詰めの正論で説き伏せようとすればするほど、泥沼になってゆく。

 

 勿論、医者でもない私が、本来他人に病名をつけるべきではありません。

 だからこそ前回したと言いました。

 しかし“ナイフ”を抜き身で持って周囲を威嚇している人間が居たとして「刃のついていない偽物かも知れないから」と、楽観視して構えるでしょうか?

 真実がイタズラやこけおどしだったとしても、刃のついている本物だと考えて対処するべきでしょう。

 私にとって、他人の自己愛性PDを暫定的に疑うと言うのは、それほど緊急性の高い事なのです。


(※1)

 勿論、私自身の落ち度は真摯に受け止め、改善しました。

 それと人身事故並の剣幕で怒鳴って良いのかとは、それこそ別問題と言う事です。

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