第3話 小さな怪物くん

「これハ、どこにハコべばいいのダ?」

「ああ、薪は裏手に積んでおいておくれよ」


 あれから数ヶ月が経った。


 ミハイルがあれこれと気を配った結果、ゴブリンは簡単な手伝いくらいは出きるようにまで慣れた。

 受け答えも少しはマシになり、グレゴリー神父の目からも厳しさが和らいでいる。


「おお、その緑の変なヤツも随分と使えるようになったね!」

「マカルさん、こんにちわ!

 どうです、役に立つでしょう?」

「ああ、ミハイル君は大したもんだ! しかも、あの醜い小さいのに心を配るなんて、何て優しいのだろう!」


 ミハエルは天使をも越えると人に言わしめるその可憐な微笑みを、通いの商人マカルに向けた。

 それを見たマカルは期せずして鼻の下を伸ばし頬に赤みが灯る。


 別にマカルがそういう趣味なのではない。ミハエルを見ると、男女に関係なく、皆こんな感じ。

 あたしだって一人でいるときは美少女と囃されるのに、ミハエルといる時は見向きもされない。


 そんなことを考えつつ、笑顔を浮かべるミハエルの横顔を見るアンジェラの幼い顏に恍惚とした笑みが浮かぶ。その様は、いっそ妖艶と呼びたくなる妖しさを湛えていた。


 あれはあたしのもの。

 誰にも渡さない。あたしだけの。

 ミハイルのためならあたしは、そう、あたしは何だって――


「アンジェラ、怪物くんを家まで連れていってくれない? 神父に呼ばれているみたいで!」


 はっ、と物思いに耽ったいた心を取り戻す。

 いけない、いけない。ついつい。


 アンジェラは服についた埃をぱんぱんと払い、彼が『怪物くん』と呼ぶゴブリンの方へ歩く。ミハイルは自分でゴブリンにヤーヴルと名付けたのに、それっきり呼んだためしがない。


 それにしても、グレゴリー神父も些細な用事でミハイルを呼び出すのは困ったものだ。彼にやましい感情はないだろうが、無意識的に構おうとするのだ。

 本当に困ったものだ。彼と共に時を歩むのはあたしだと言うのに。

 それとなく、分からせてやる必要があるかも知れないわね。


「ほら、怪物ヤ―ヴル。こっちに来なさい」


 底冷えのするような瞳でゴブリンに目配せした後で踵を返し、その後は目もくれずにアンジェラは歩き始める。

 その後ろを不格好な怪物が、ひょこ、ひょことついて行くのだった。


***


「はい、あんたはこの中。とっとと入りなさい」


 教会の裏手にある、石造りの古びた建物。

 教会付属の療養所とかで、少し危険な患者をも収容したこの施設は小さな城塞のように堅牢な造りとなっている。

 昔は地下迷宮で出た怪我人を収容して繁盛していたらしいが、迷宮の資源あがりが枯渇しつつある現在、昔日の影はなく人間は誰もいない。

 そんな遺棄されたかのような廃墟はミハイルにとって格好の遊び場だ。


 そしてこの中には、このゴブリンのようにミハイルが拾ってきた野獣だの何だのがたくさん収容されている。

 当然のようにお世話はアンジェラが行っている。

 もちろんミハイルも行うし、別にアンジェラは世話をミハイルに指示されたわけでもない。だけど飽きっぽいところのある彼に任せると大変なことになるのだ。


 例え扱いがいささかぞんざいであったとしても、言ってみればゴブリンはアンジェラの世話を受けている形である。

 では、ゴブリンはそれに多少なりと感謝をしているかというと。


(まったく、このオレをキョウもコキつかいやがって!)


 心の中でそう独白するゴブリンに、もちろんそのようなものは全くない。

 自分にあてがわれた独房へやに入るのを見届けたアンジェラが扉の鍵をかけると、ベッドに飛び乗って横たわる。


 少しでも部屋を汚せば、アンジェラの身の毛もよだつような折檻が待っているので、僅かでも知恵がある身として、下手なことはできない。

 反抗したくとも、首輪に籠められた呪いの力で、自分の行動もままならない。


 いったい、何をどれだけ飼っているのか知らないが、始終獣だか何だかの喚き声が聞こえる部屋に籠っていると頭がおかしくなりそうだ。


(イマにミていろよ――!!)


 呪詛に似た想いを胸に抱きながら、ゴブリンは一人、ベッドの上で丸くなった。


***


「ミハイル、誕生日おめでとう!

 これでお前ももう十四歳だな。来年には大人の仲間入りだ!」


 グレゴリー神父が満面の笑みで祝ってくれる。

 目の前にはご馳走。二人分の、ご馳走だ。正確には神父の分も入れて五人分だが。


 孤児であるミハイルとアンジェラは、年齢は推測で分かったものの、正確な誕生日がわからない。だからグレゴリー神父は二人を拾った日を誕生日と定めている。

 つまり、二人の誕生日、になるわけだが。


 いいけどね、とアンジェラは心の中で呟いた。

 ミハイルが居る世界では、ミハイルが世界の中心になる。

 だから、グレゴリー神父がうっかりミハイルにだけ祝いの言葉を贈り、アンジェラがそこに入っていないという失態に気づきもしない事実も、この世界では当たり前のことなのだから。

 十分なご馳走を用意してくれただけでも御の字、そういうものなのだ。


「さあアンジェラ、あの子達、小さな怪物くんと、お祝いをしないとね!

 僕が大人になるために、アレらから祝福を貰わないといけないんだから!」


 グレゴリー神父が張り切って地下迷宮探索アルバイトでせっせと稼いだ金を費やして盛大に準備した宴もひと段落した頃。と言ってもまだ日中、日も高い。

 片づけは自分一人でやるからこんな日くらいは遊んでおいで、と鼻歌交じりでグレゴリー神父に送り出され二人になった後で、ミハイルはアンジェラにそう言った。


 ミハイルはミハイルで、この日を楽しみにしていたのだろう。いつもにもまして輝かしい笑顔が眩しい。

 思わずアンジェラは手をかざしてしまう。


「わかったわ」


 祝福、ね。


 彼の望みは事前に聞いて知っている。あたしはそれに粛々と従うだけ。

 彼が今まで為してきたこと、それが試されるのだ。

 あのゴブリンどもに、さて通じるのかどうか?

 でも、この輝くばかりに美しいミハイルならばきっと大丈夫。


 心の中の僅かなわだかまりを振り捨てるようにして、ミハイルと連れ立ち療養所に入ってゆく。


 まずは、ゴブリンだ。


「ほら、もう君にこんなものはいらない。

 今まで僕は君を見て来た。もう大丈夫、君は自由なんだよ!」


 そう言ってミハイルはゴブリンの首の枷を外す。

 余りのことに茫然とするゴブリン。信じられないように首筋を撫でる。


 ない。

 あの、ゴブリンを呪い、束縛した枷はもう、ない。


 ゴブリンはばっと顔を上げた。


 そこには、異種族であるゴブリンにすら美を感じさせてしまう笑顔を持つミハイルと、その後ろから凍てつく厳冬期のような冷たい視線を寄越すアンジェラが見えた。

 これまでにアンジェラから受けた折檻を思い出し、身がすくむ。


 畜生、しかしもう自由だ、覚えていろよ。


 ゴブリンは頭の中で毒ずく。


 けっ、油断したな。

 これまで、力づくで抑えられていたから大人しくしていたが、もうオレは自由だ。

 これからはオレの番だぜ。

 思い知らせてやる!


 そう頭の中で考えていると知ってか知らずか。

 ミハイルが出た後で扉を閉める時に、アンジェラはゴブリンに向かい鋭い一瞥を贈り、ゴブリンは身をすくませる。


 しかし、彼女が扉を閉めた後にゴブリンは気づく。


 いつもの鍵を閉める音がしなかったことに……。

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