第2話 小さな怪物くん


 結局、深夜になるまでその言い争いは続いている。


 しかし、どうでもいいけれど、言い争っている間にそのゴブリンの面倒を見るのは誰だと思っているのだ。

 うんざりしながらも、アンジェラはゴブリンの看病をしていた。


「ン……ググ……ココ……ハ……?」


 どうやら意識が戻ったらしい、

 ゴブリン、喋れるんだ。

 アンジェラだってゴブリンの生態は知らないから、普通に驚く。

 そしてその気色の悪い外見で人語を使うという事実に嫌悪感を抱いた。


「あんた、助かったのよ。

 酔狂な子が居てね。ラッキーだったわね」


 冷めた口調で言い捨てる。


 ゴブリンは事態が理解できないのだろう、しきりに顔を振り、禿げた緑色の頭をなで回した。

 やがて、再びアンジェラの方を見る。そして目の奥に邪な光を湛えながら口角を上げる。


 次の瞬間、物も言わずに飛びかかる――いや、飛びかかろうとしたのだろう。

 しかしコイツの首に嵌まった呪具がそれを阻む。人間に危害を加える行動は取れないのだ。


 そのまま飛びかかってきたら、聖なる守護の光で消し炭にしてやったのに。

 むしろ憮然とするアンジェラ。


 自分の意思に行動が伴わない。

 即物的な思考しか取り得ないゴブリンに呪いの概念はない。

 オロオロするゴブリンの姿は可笑しくもあり、滑稽でもある。


 面白くもない見世物を見せつけられている思いのアンジェラは、本日何度目かの溜め息をつく。


「あ、ソイツ気がついた?」


 満面の笑みを浮かべて近づいてくるミハエル。その肩越しに見える大人二人は疲れ果てた表情。


 予想通り勝者はミハイル少年。

 アンジェラは思う。あの天使のような少年に勝てるわけがないのだ。自分も含めて。


 とは言え、条件付き。

 ゴブリンの生態も知らないのに飼いならすには危険だろ、と言われると流石に意地を張り通すだけでは突破できない。

 まずは執行猶予というか、お試し期間として数日間飼ってみることになったのだ。


「よろしくね、小さな怪物くん!」


 満足気にそう言って、ゴブリンの禿げ頭をミハエルはぺちぺちと叩くのであった。


***


 ケッ。ツマラネエ。


 ゴブリンは悪態をつく。

 この教会に強制的に住むことになり、はや三日。

 あの柔らかそうな少年や少女に爪や牙を立てたくとも、身体が動かなくなる。

 教会から逃げたくても、この建物から離れようとすると首輪が締まる。

 いろいろ試したが、何一つ成功しない。大概、腹が立つ。


 ハァ。

 ゴブリンだって、溜息をつく。

 窓から青白い月明かりが差し込み、建物内をその幽玄の光で満たす。

 祭壇に飾られた銀の燭台にも光が届き、細密な紋様に反射して煌めいた。


 それを見たゴブリンは、無性にそれを手に入れたくなる。

 ゴブリンに金銭の概念はないが、ぴかぴかと光るものは集めたくなる衝動があった。烏と同じだ。


 別に人間に危害を加える訳ではない。ひたひたと裸足で祭壇に近づいて行く。

 正面に立ち、鈍く煌めく燭台を見て、何気なく手を伸ばし――


 だぁん!


 凄まじい音を立て、ゴブリンは床に組伏せられた。


「ほら見ろぉ! やはりゴブリンに助けた恩なんて理解できんのだぁ!」

「張っていた甲斐があったな。よし、あいつらがいない内に処分してしまおう。

 なに、燭台を盗もうとしたのは事実、消してしまえば後は何とでもいい訳が立つ」


 グレゴリー神父が取り押さえて、アレックスが剣を抜き振りかぶる。

 ゴブリンは何もできず、何故自分がこんな目に会わなくてはならないのかも理解できないままに、月明かりに鈍く光る剣を見上げて――


「待って!」


 その時、澄んだ高く美しい声が教会の内部に響く。

 想定外の事態に慌てて教会の入り口を見る神父と戦士。

 そこには、叫んだ声の主であるミハイルと、常に寄り添うアンジェラの姿。


「二人とも、何をやっているのさ!

 僕に内緒で、そいつを処分しようとしたでしょう? ひどいよ! 」

「コイツは、祭壇の物に手を出そうとした!

 いいか、例え人間に直接の危害を加えなくとも、教会から逃げて人間を再び襲うことを防いだとしても。それでも、いくらでも我々に悪事を働くんだ。

 コイツらは、邪悪な魔物。人間の敵。

 そういう者達なんだよ」

「そうだぁ、いいか、金輪際、これを飼おうなどと思うなぁ!!

 手なずける前に被害に会うだけだぁ!!」


 真剣な顔をした二人。

 ミハイルは、ぐ、と声を詰まらせる。


 ゴブリンを飼うという約束、それは を条件とした。そして大人達は既にアレを排除するつもりでいる。

 この、祭壇にある銀の燭台を手に取ろうとするという行為が悪事であるかどうかは微妙な気はするが、大人達は断固としてそう決めつける肚だ。

 今回の事態を俯瞰的に見ているアンジェラにはそれが分かった。


 ミハイルは唇を嚙みながら、そんな大人たちを睨みつける。

 あんな醜悪な生き物の為に、そこまで気持ちを入れなくてもいいのに。

 そう考えながら、ミハイルの悔しそうな横顔を眺めて、綺麗だな、と思った。


「……燭台。銀の燭台を盗ろうとした。それが何だって言うんだ」


 ミハイルが声を振り絞る。

 自棄になったかな? 銀の燭台は文字通り銀の塊。

 非常に高い価値があるのだから、それが何、で済むものではない。

 それを指摘されたら、ミハイルだって黙らざるを得ないだろう。教会の暮らしも楽ではないのだ。

 そしたら、悲しむかな? 泣いちゃうかな?

 私が慰めてあげればいいかな? 抱きしめてあげればいいかな?


 アンジェラが妄想で彩られた甘美な空想に浸っている傍らで、ミハイルは決然とした表情で、今にもゴブリンに剣を振り下ろさんとする大人たちを睨みつけて続けた。


「悪人が銀の燭台を奪おうとするのを見つけ、それを咎めようとした大人。

 でも神父はそれを庇って、逆に別の燭台を授けた。

 それで悪人も改心した。

 ……そんな話もあったよね? 勇者文庫に。

 神父ってのは、そうやって悪人の心を解いていくものじゃないの!? 」


 そこで勇者文庫を出すのか。

 アンジェラは、ミハイルの記憶力と機転に、少なからず驚く。


 勇者文庫。

 過去に、魔人に圧倒された世界を、突然現れた勇者が一掃したという伝説。

 その勇者が引退した後で書き記した書物。彼の故郷の文献だとか。

 それを勇者文庫と総称するが、その中の一冊に記された物語。


 ミハイルが引用した逸話は……なんという話だったか……ああ無惨、だったかな?


「ゴブリンだって、少しでも生きたがっている!

 僕がちゃんと面倒を見るよ!

 いま殺すなんて、そんな酷いこと言わないでよ、!」


 父さん。これはミハイルの切り札。

 ミハイルとアンジェラは孤児で、グレゴリーに引き取られたが、ミハイルは簡単には懐かなかった。

 それは今でも続いていて、だからミハイルは神父と彼を呼ぶ。

 だけど本当は父さんと呼ばれたいのだろう。それを知っているミハイルは、このタイミングで切り札を出してきたわけだ。

 神父おとうさんはこの最終兵器に絶対に逆らえないだろう。

 アンジェラはそう考え、そしてその通り、彼女の目の前でグレゴリー神父は力なくアレックスに剣を引くように依願した。


 そこまでしてあの醜悪な怪物を生かしたいのか、ミハエルは。

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