小さな怪物くん

たけざぶろう

第1話 小さな怪物くん

 (こ、コロされる!)


 声を出してはダメだ、位置がバレる。

 しかし、恐怖が内臓を鷲掴みにしていて、叫びたい衝動を抑えることが難しくなってきた。


 石造りの床を裸足でヒタヒタと走る。ヤツは、いやヤツらはもうすぐそこだ。


 ――!


 背中に痛みが走る。

 熱い。なのに、徐々に身体が冷たくなる。

 もうダメか。


 いや! 目の前に光が見える。

 闇に生きるオレには眩しすぎて、視界がほぼ無くなる白昼。その強い光は肌を浅くくが、そんなことは言っていられない。


 オレは眩い光の中に飛び込み、そしてそこには己の身の丈を越える戦斧を振りかぶった影が目に入り――


***


「ねえミハイル、何か倒れているわよ?」


 アンジェラが幼い指を伸ばし、叢の上に丸まる何かを指差した。

 

「何だろう、これは……?

 生き物? 緑色の小さい猿? でも毛が生えていない……

 人……ではないよね?」


 ミハイルは屈んで観察する。

 人生経験が浅い彼はまだ見たことがない生き物。

 しかし、地下迷宮ダンジョンにほど近い場所に住んでいる彼は、耳学問として聞いたことがある。


「これ、ゴブリンじゃないかな?」


 そのゴブリンは、鋭利な刃物で背中を切り裂かれたのか、青黒い血を流している。

 放っておけば、きっと遠からず絶命する事であろう。


 純真なミハイルは知らない。

 それが、どのような邪悪な性根を持っているのかを。

 知っているのはそれが怪物であり、狩られる対象である、ということ。

 ただ、考える。

 こんなところで命を落としては良くない。拾える命は、拾わなくては。


「アンジェラ、この子を連れて帰らないか?

 治療してあげてさ、保護してあげればいいと思うんだ」


 その言葉に眉を顰める女の子。

 しかし表立っては言い返さないで、そのゴブリンの傷に向かい手をかざす。


「慈悲深き神よ、慈愛の光よ。

 この哀れな存在に救いをもたらして頂きたく、願い奉ります。

 祈りを――」


 神へ祝福の言葉を捧げ、目を閉じて祈る。

 やがて掌から柔らかく白い光が放たれて、ゴブリンの背中の傷を隠した。


「うぅ……う……う……」


 呻き声が聞こえる。

 まだ目は開かないが、呼吸は穏やかになり、全身の発汗も落ち着いたように見えた。


「よし! 血は止まった。

 そしたら、この子を教会に運ぼうか!」


 ミハイルは満足そうにそう言って、アンジェラはやれやれという風に祈りを終え立ち上がる。

 本当はあまり触りたくないんだけどな。

 アンジェラはそう思ったものの口には出さず、同年代の彼女の目から見ても天使のように可愛いミハイルの横顔を見ながら、どうせ言っても聞かないんだと諦めた。


***


 グレゴリー神父は深く、深く、それはもう深く、溜息をついた。


 ミハイルの悪癖は知っている。それにしたって、いくら助けてくるからって、ゴブリンはないだろう。

 いつものように天使の笑顔で微笑みかけてくる彼を見て、ちゃんと説教をしなくてはと心を引き締める。


「ミハイル、これはゴブリンだ。邪悪な魔物。怪物なんだ。

 連れて帰ってくるものではないのだよ。

 せっかくアンジェラが治癒してくれたが、これは殺処分するものだ。寄越しなさい」

「何だよ、神父!いつも、命は大切だ、と説教しているだろう!

 この世の全ての命はすべからく役目を持ち、天を中心に巡り世界の営みを支える。

 そう言っているじゃないか! そんな、殺処分とか言わないでよ!」

「いいかい、ここで殺処分しても、その肉は草花を育む糧となり、営みの礎となる。

 決して無駄に殺すわけではないのだよ」

「そんなことを言って!

 ボクがコイツを飼ってあげれば、もっと世の役に立つよ、絶対に!

 神父がそんな命を粗末にしちゃ、ダメだろ!」


 喧々囂々の言い合い。

 ミハイルはいつもこう。失われそうな命を拾い、取り込もうとする。

 アンジェラも付き合っているが、グレゴリー神父と同様、溜息をつきたくもなる。


 それでも知っている。

 この言い争いの行く末を。


「よぉ、どうしたぁ? 何を大声で言い合っているんだ?」


 教会の入り口から野太い声が聞こえる。

 この声は、アレックスだろう。

 地下迷宮を探索する冒険者で、グレゴリー神父の昔馴染みでもある。

 当然、ミハイルのことも知っている。


「ああ、アレックスか。

 見てくれよ、このゴブリン。これをミハイルが拾って来たんだ」

「あぁ? またかよ! お前も好きだなぁ。

 そんなの拾ってくるもんじゃねぇ、サクっと殺して、どこかにうっちゃっちまえよ」


 アレックスのうんざりしたような言葉に、頬を膨らませるミハイル。

 かわいい。

 アンジェラは思わず見入ってしまう。


「アレックスまでそんなこと言うんだね!

 いつも地下迷宮でゴブリンを屠りまくっているんだろ?

 だったら、その命をボクがひとつくらい拾ったっていいよね?」

「ばぁか、ゴブリンてのは根が邪悪なんだよ、知らないだろうに。

 そんなの近くに置いておいたら、いずれ寝首をかかれるぞ!」


 経験豊富なアレックスの事を、ミハイルは尊敬している。

 よく、かれの活躍した話をねだって、話してもらっているのだ。

 その彼の言葉は、父親代わりの神父の言葉よりも時として重い。

 さすがに諦めるか――と思ったのは、甘い考えだった。


「それなら、このティム用の首輪を使えばいいだろ?

 ほら、こないだ、アレックスが地下迷宮で拾ってきてくれたヤツだよ!

 絶対に主人に危害を加えられない、とか言っていたよね?」

「げ……そういやぁ、ンなもんやったなぁ……。

 いや、そりゃそうだが、しかしゴブリンに使うようなモンじゃねぇぞぉ?」

「いいだろ! いいだろ!

 最初からダメだと決めつけちゃいけない、て言っていたよね! よね!」


 憮然とした顔になるアレックス。

 そういう意味で言ったのではないんだが。


 はぁ、とアンジェラは溜息をついた。

 これでほぼ決まった、と思う。


 ミハイルは、こうと決めたら絶対に曲がらない。

 何時間かかって説得しても、いや何日かけて説得しても、曲がらない。

 心の底から腹立たしくなる。のだが。


 あの天使の笑みを見ると、怒りが溶けてしまうのだ。

 グレゴリー神父は、一度、本気で魅了チャームの効果があるのではと魔術師を呼んで効果測定までしてもらったほどだ。

 しかし、結果は魔術的な効果は見られず。素で可愛いということ。


 グレゴリー神父と戦士アレックス。

 かれら二人掛かりでミハイル少年を説得しているが、アンジェラにはその結末は見えていた。

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