翔太の夢

 それから三日後のことだった。

 深夜、僕のスマホに電話がかかってきた。

「もしもし」

 僕はベッドから起き上がると、眼を閉じたまま、電話に出た。

「健!」

 と大きな声でそう呼ばれて、僕はその声が、桜子だと知り、はっと目を開けた。

「どうしたの? こんな夜遅くに」

 と僕が言うと、

「君のところに翔太は来ていない?」

「いないよ。翔太に何かあったの」

「さようならって。翔太が今さっき、そう言って電話してきたの!」

「焦らないで。今どこにいる?」

「翔太がいなくなっちゃうう!」

「取り乱すな。今どこにいる?」

「あなたの家の前よ」

「すぐいく」

 僕はいったん通話を終えてから、急いで服を着替えた。

 玄関を出ると、通りに桜子がいた。

 桜子は、僕を見るなり、駆け寄ってきて、僕の両肩をつかみ、

「翔太、きっと無事だよね」

「もしかしたら、始発で、上京するつもりかも」

「私を捨てて? 翔太はそんな身勝手じゃない」

「とりあえず、駅に行ってみよう」

 僕は自転車を車庫から出して、後ろに桜子を乗っけて走り出した。

 夏休みも終わろうとしていた。

 月がやけに白々として見えた。

 自転車を全力でこいでいると、全身から、汗が噴き出てきた。

 後ろで、桜子が、震えながら、翔太の名前を繰り返しつぶやいている。

 僕は、あの一夜限りの共演の後、翔太にはっきりと意志を伝えた。

 夕方の星の丘公園で。

お前とは、一緒にいけないと。

 そのとき翔太は、ニッと笑った。

 いつも見せる、六歳の子供のような笑顔で。


「翔太、すまない」

「そうか、健。残念だけど、あきらめるよ。でも、最後に言わせてくれ」

「なんだ?」

「俺とお前の演奏は、スタイルは違うが、どこか似ていた。俺は初めて、お前の演奏を聴いた時、分かり合えるって思った。俺もお前も、きっと愛情に飢えていたんだよ。そこが似ていたんだ。でも、決定的に違ったのは、お前は、恵まれてるってことなんだ」


 僕は何も返事ができなかった。

僕に背を向けた時、翔太は一回だけ振り返った。

 しかし、何も言わず、また歩き出した。

 翔太はその時、僕を見たんじゃないと、後から分かった。

 翔太は、「星を見上げる人」に別れを告げたんだ。

 

 僕と桜子は駅に着くと、翔太に電話をしてみた。

 しかし、つながらない。

 僕らは、東京方面に行くホームに行った。

 ホームに人影はなかった。

 どうやら、いない。

 そして僕らは駅前のロータリーでタクシーを捕まえて、翔太の家に向かった。

 翔太は、市営団地に住んでいた。

 僕は一度だけ行ったことがあるため、部屋は知っていた。

 僕らは、階段を駆け上がって、翔太の部屋の前に来た。

 インターフォンを押す。

 返事はない。

 たてつづけに押す。

 しかし、反応がないため、僕は、ドアの取っ手を握って、まわした。

 鍵が開いていた。

 桜子が、口元を手で押さえた。

 僕も、いやな予感がしていた。

 冷たい汗が背中を伝っていく。

 恐る恐る中に入る。

「すみません、お邪魔します!」

 返事はない。

 部屋の中はまるで、ものが散乱していた。

 奥へ行くと、気配を感じた。

 クローゼットの中に、その女性はいた。女性は息をしていなかった。胸から血を流していた。

 桜子が甲高い悲鳴を上げる。僕は、すぐに救急車を呼んだ。

 

 後日、翔太の死体が、川から上がった。

 翔太はバイクで川に突っ込んだ。ブレーキを掛けた形跡はなかった。

 翔太の部屋から、遺書のようなものが出てきた。

 それには、進路をめぐって母親と口論になった。母親が、刃物を持って、自分を襲ってきた。そして、もみ合いになり、偶然、刺してしまった。母親の看病に疲れたこと。もう、どうでもよくなった、という内容が震える筆跡で書かれていた。

 最後のほうはこうだった。

「自由はどこにもなかった。俺は、あの金星まで逃げたかった。結局、俺は逃げたいだけだった。でも、一歩も踏み出さず、死につかまった。死は容赦なく、俺を連れ去った。暗い世界へ」

 こうして、夏が終わるとともに、翔太の人生は幕を閉じた。

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