第3話 無事に明日が迎えられたら。
目を覚ます。
ぼやけた視界に映るのは、最近見慣れ始めた天井……。
ここは……。
「気が付きました?」
布団に寝転ぶ僕の顔を、上から紅羽さんが
「僕は、なんで?」
「道端でうずくまっているところを、猟師の人が見つけて連れてきてくれたんです」
「道端?」
――っ。
思い出そうとすると頭が痛む。
僕は今日どこに……?
「無理に思い出さなくていいんですよ。今はただゆっくり休んでください」
その声に、その言葉に、心が揺れる。まるで自分の意思を優しく捻じ曲げられるような、そんな感覚だった。
紅羽さんが去り、部屋に僕だけが一人取り残される。
色々と考えないといけないような気がするのに、それがなんなのかがはっきりしない。
この村に来てから記憶がやけにぼやけ、意識が時にぶれる。
僕は一体どうしてしまったのだろう?
とりあえず、体を起こす。
判然としない思考を整えようと外に出ようとも思ったが、調子を崩してすぐに外に出るのも非常識かと思い直し、結局近場で済ます事にした。
廊下に出てそれを進み、玄関まで行く。
建物の外に出ると僕は、境内の中で一番目立つ、大きな木の下に向かった。
優に三十メートルはあろうかというその大木は、神社の境内において明らかな存在感を放っていた。
この下に僕は初め倒れていたらしい。
実際にその場所に来ても、当時の事は全然思い出せない。
僕は何をしにここに来たのだろうか?
「ねぇ、あなた何をしているの?」
「え?」
驚き、声のした方を向く。そこには紅羽さんが立っていた。
あれ? 服が違う? 先程まで巫女服だったのに、今彼女が着ているのは白いワンピース。それに、どこか雰囲気が……。
「ごめんなさい。自己紹介がまだだったわね。私は
いとこ。それにしてもよく似ている。双子と言われた方がまだしっくりくる。
「僕は空井蒼太。ここでお世話になってる……
「知ってるわ。あなた有名人だもの」
そう言うと、上井さんはくすりと笑った。
「あなた、村の外から来たのよね」
「あぁ。そうだよ」
「村の外にいた頃の記憶はまだあるの?」
「……? そりゃ、あるよ。村に来た時の記憶はないけど」
僕の記憶が一部ない事まで、この少女は知っているのか。
紅羽さんから聞いたのか、それともそれも村ではもはや有名な事、なのか……。
「そう。まだまともなのね」
「まだ? まとも?」
何を言っているんだ、この子は。
確かにこの村に来て、記憶や意識が怪しい事はあるけど……。
「何か知ってるのか?」
「生きてこの村を出たいのなら、自分を保つ事ね」
「どういう事だ?」
「そのままの意味よ。自分がなくなったらそこでおしまい。あなたも他の村人みたいになってしまうわ」
「他の村人?」
その言葉を聞き思い出す。僕が村の人達の事をどう思っていたか。
まるでNPCのよう。確かに僕はそう思っていた。なぜその事を、今の今まで忘れていたのだろうか。
戸惑う僕の耳元で、近付いてきた上井さんが
「紅羽には気を付けなさい。あなたがまだ、人のままでいたいのなら」
「!」
驚き、上井さんの顔を見る。すると彼女は、にやりと
「後、桃香でいいわ。精々
そう言うが早いか、上井さん――桃香は境内からとっと去っていってしまった。
なんだったんだ?
それに、紅羽さんに気を付けろって……。それじゃまるで、彼女が悪者みたいじゃないか。
祭りは
日頃は静かで人の出入りも然程多くない境内も、出店が立ち並び、たくさんの人でごった返していた。
午後八時になると、各々色々な所に散らばっていた人々が一ヵ所に集まりだした。
演舞が始まるからだ。
境内の中央に置かれた木製の舞台の上で、日本古来の民族楽器の演奏に合わせ、巫女姿の紅羽さんが舞い踊る。
その姿は
「蒼太君」
ふいに隣から声がして、そちらを見る。いつの間にか桃香が僕の隣に立っていた。
「桃香か」
言いながら、視線を正面へと戻す。
「
「お祭りなんてそんなものだろ」
「私はあなたの事を言っているんだけど」
「何?」
「忠告はしたはずだけど」
「そうは言っても、脱出の方法が見つからないんだから仕方ないだろ」
僕も別に、ただ何もせず時間を過ごしていたわけではない。正攻法でダメならと、違う場所からの脱出を試みてみたもののそれも空振りに終わり、今も別の手段を考え続けてはいる。何も思い浮かんではいないが。
「いい事を教えてあげる」
「いい事?」
「今からずっと昔、この村は土砂崩れに巻き込まれ、一夜にして全てが失われてしまったの」
「一体何を?」
言っているんだ?
「その前夜に村では祭りが行われていたわ。そう。ちょうど今日みたいに」
「!」
辺りを見渡す。
まさか。
「無事に明日が迎えられたら、私の所に来なさい。その時は今より有意義な話をしてあげる」
「おい。それってどういう……?」
人込みに紛れ消える桃香の背中に声を掛けるも、その足は決して止まる事はなかった。
ここでの生活で新たに分かった事がある。それは、この世界にいわゆる三大欲求が存在しないという事だ。
ここでいう三大欲求とは食欲・睡眠欲・排泄欲で、そのどれもがこの世界では機能を止めている。簡単にいえば、お腹は空かないし、眠くならないし、出したくならない。考えようによってはいい事尽くめだが……。
二十三時五十八分。僕はいつもの部屋でその時を待っていた。
【無事に明日が迎えられたら】
桃香のその言葉が、頭にこびり付いて離れなかった。
この行為が無駄だという事は分かっている。なぜなら、眠くならない代わりに、零時を過ぎたらいつの間にか布団の中で起床してしまうからだ。その絡繰りは分からないが、深夜に調査する時には役に立つ。どんなに遠くにいても勝手に体がワープしてくれるのだから。
それはそれとして――
そんな事を考えている間にも時計の針は動き続け、ついに零時を目前に迎えた。
五、四、三、二、一……。
ポコッと。
水の中に生まれた気泡のように、意識が一つ一つ僕という存在の表面に浮かび上がる。
僕は誰だ?
僕は僕だ。
だから、それは誰だ?
自問自答。本来ならする必要のない問いを僕は自分自身に行い、自身で答える。
僕は……そう。僕は空井蒼太。十七歳の高校二年生。性別は男だ。
なぜそんな当たり前の事が、すっと出てこなかったのだろう? そもそも、なぜそんな事を僕は自分自身に問うたのだろう?
寝ぼけているのか?
そうだ。僕は今寝ているのだ。だったら、する事は一つ。早く目覚める事だ。
早く目覚めて――
閉じていた瞼を開ける。
ぼやけた視界に映るのは見慣れた天井。
ここは……僕は……。
そうか。僕はこの村に遊びに来て、その間、樹神家でお世話になっている居候。
なんでそんな当たり前の事実を忘れていたのだろう。
やはり、僕は寝ぼけているようだ。
廊下が軋む音がしたと思うと、その音が段々とこちらに近付いてきた。
障子にシルエットが映り、そのすぐ後、障子の切れ目に少女の姿が現れる。僕のよく知る人物――
「あ」
少女は僕の顔を見ると、嬉しそうにその顔に笑みを浮かべた。
「目を覚まされたのですね」
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