第100話 ぼけなりに

 まだ酒飲みだった頃の話。

 仕事仲間と居酒屋へくりだし、おしぼりで首の汗をぬぐいながら叫んだものである。

「とりあえずナマ!」と。


▼ある日の老健カルモナの診察室。

「とりあえずアリセプト!」でもなかろうが、とっくに卒寿を過ぎたお婆さんも入所時に持ってくるのが抗認知症薬だ。

「生ビールのアサヒ・サッポロ・キリン…」のように多くの選択肢がある。


▼〈お薬手帳〉を見ると、初期量のまま十年間も飲み続けてきたらしい。

 あわせて(異常に怒りやすい)副作用を抑えるため向精神薬も処方されている。

「アクセルとブレーキを一緒に踏んでいるようなものだ」と知人の医師は言う。

 そんなケースが最近は多い。


▼昔なら「ボケ婆ちゃん」で済むだろうに、今では「アルツハイマー型認知症」と病人にされてしまう。

 抗認知症薬という立派な名称で(本人はともかくとして)医者と家族は納得しているのである。

「神頼みならぬ薬に対する信仰心」とは言いすぎだろうか。

 もしかすると「早期受診、早期診断、早期治療」キャンペーンを喜んでいるのは製薬業界だけなのかもしれない。(妄言多謝)


▼そんななかで気づくのが〈薬剤性認知症〉だ。

 老健カルモナでの個人的経験だが、持参薬を少しずつ調整していくなかで(施設の環境に慣れることもあり)食欲が出てきて、かつての愛すべき「ボケ婆ちゃん」に戻ることが多い。

「それでいいのでは?」と思う。

○老いはてて惚(ぼ)けはどんどん進めども喜怒哀楽は枯渇せずとふ


▼七十三歳の爺医は既に老いの下り坂である。

 この先も(無理なことを望まず)道なりに歩んでまいりたい。

○古希過ぎてぼけなばぼけよぼけなりに日々の暮らしを楽しみゆかな

○老いはてて彼も汝も誰か薄れ去りいずれ消ゆらし吾の誰かさへ


(20210329)

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