第61話 又々「国難来る」

 1882(明治15)年の岐阜事件…板垣退助が暴漢に襲われた。

「板垣死すとも自由は死せず!」と叫んだらしい。

 その際「私は愛知県医学校の病院長だ」と名乗って手当てをしたのが当時25歳の後藤新平。


▼時代の先駆者・後藤新平は関東大震災から半年後、東北帝国大学学生を前に、第二次世界大戦を直観した講演を!

『国難来』の帯には、そんな文字が躍る。…鈴木一策・編(藤原書店)

○コロナ禍の今、後藤新平の〈国難来〉を読みつつ学ぶこと多きを知りぬ


▼後藤新平は語った。

「国難とは、決して外寇のみを意味する言葉ではない。およそ国家の生存と国民の生活に不安の陰影を投ずる内外一切の事象は、ことごとくこれ国難である」

「わが国は、政治的にも、経済的にも、社会的にも、精神的にも、国際的にも、真に国難重畳のうちにある」と。


▼およそ百年前に、66歳の後藤新平が演説した熱意は、令和の今でも(否々…今だからこそ)響き渡る。

「最大級の国難として挙げざるをえないのは、政治の腐敗・堕落である。政党はすべて〈利権獲得株式会社〉である」

「一切の社会の悩み、国家の難儀は、すべて自分たちの怠慢、自分たちの不徳、自分たちの無力が堆積した罪であると、深く内省自責してほしい」


▼かつて東日本大震災では〈福島原発事故〉に遭遇し、そして今〈コロナ禍〉の真っ只中である。

 天を呪ってばかりはいられない。

 後藤新平は学生に訴えた。

「とらわれない心で私の言を聴き、私の憂いを問題として、国家の現在および将来に関し、公平無私な省察を払われることと信ずる」と。


▼岩手の偉人・後藤新平の『国難来』は県民必読の書として今お勧めしたい。

○後藤新平の〈国難来〉はいつの世も明瞭に映す鏡と言はむ


(20200629)

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