第25話 爺医が一分(じじいがいちぶん)
「爺医が一分」の心は、古希を過ぎて医者を続ける私の個人的な〈面目〉…否〈意地〉かもしれない。
日本は〈肩書〉がものをいう。
昔から医者のトップは〈白い巨塔〉の主。
次にナショナルセンターや公立病院、私立の病院・診療所の医者が続く。
(そして、白波五人男風に言うならば…)
「さぁてどんじりにひけぇしわぁ、老健施設長~」というところか。
それらの立場を一通り経験してきた今…世間様は肩書で評価したがるものだ、と爺医はつくづく思う。そして正直なところ心がくじけそうになる。
「いっそ弘前に戻って隠居でもしようか。十分頑張ったことだし…」と。
かつて大学病院やナショナルセンターで産科部門を任されていたころ、研修医やレジデントに繰り返し言った。
「先輩の先生方は、患者さんを大切に思うからこそ(自分のところで治療できないと判断した場合に)紹介なさるんですよ」と。
これは、私自身が若いころに何度も躾けられた言葉でもある。
「後医は名医」と医者同士は戒めあう。
「最初に診た医者よりも、後で診た医者は正確な診断・治療ができるため名医に見える」というもの。
高次医療機関が本来の役割を果たすためには、人材と器材を(重症者に向けて)有効活用することが必須であろう。
「そのためには可能な限り…」と依頼側の老健施設でも診療の枠を広げる。
「ごまめの歯ぎしりだろう」と笑われようが、爺医は一向にかまわない。
最近は、高齢者に多い尿路感染症や肺炎・帯状疱疹も、施設での治療を希望する家族がふえた。信頼関係の結果だと思うのだが…。
両手を合わせるお年寄りを前に、爺医も感謝している。
「医者を続けて本当によかった」と。
○老いたれど医はわが天職ぞこののちも地域医療のささへとならむ
(20190910)
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