第15話 ガラスの産科医

 まだ産科医だった頃の話…

 札幌での講演の帰り、妻の希望で小樽の北一ガラスに寄った。

 様々なガラス細工のなかに、白衣と額帯鏡の人形が目にとまる。

 まわりを良く見ると、聴診器を胸にぶら下げた人形や、メスを振り上げたものも並んでいる。


 産婦人科医の人形はないか、店員に尋ねた。

「あるはずですが…。探してまいります」と持ってきたのは、赤ん坊を逆さに抱いた医者。

 人形の底には、チェコスロバキア製とある。

 その値段も気になったが、メガネの奥の優しい青い目に誘われ、大枚を叩いてしまった。


 あれから四半世紀。

 机の上に置かれたガラス細工の人形を眺めているうち、新米産科医だった頃の記憶がよみがえる。

 最初に使った聴診器は、胎児心音用のトラウベだ。

 妊婦さんのお腹を触診して赤ちゃんの背中だと思う場所にトラウベをあてる。

「トラウベから手を離して」と、古手の助産婦さんが小声で…。きちんと聞くには、コツがあったのだ。


 超音波を利用したドップラー聴診器の出現で、妊婦健診はずいぶん楽になる。

 産科医や助産婦さんだけでなく、妊婦さんや家族からも好評だった。

「トットット」という音を聞けば、誰でも安心する。


 電話口でドップラーを妻のお腹にあて、「孫の心臓の音だよ」と、青森の両親に自慢したことも懐かしい。


 その子が生まれたのは40年以上も昔だ。

 エコー検査のない時代に、性別など知る由もない。

 我が子を取り上げた若い産科医は、「男だ!」と大喜びした。


 2005年、還暦前に産科医をやめた。

 天職だと頑張ってきたのに…。

 理由の一つは、大野病院産科医逮捕事件で見せつけられた理不尽なバッシング。

 そんな世間に〈ガラスの産科医〉は怖じ気づき、親の介護もあって老人内科を勉強した。


 〈ゆりかごから墓場まで〉…づう医者の話。

 どんどはれ!


(20190422)

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