第59話 一緒に未来を歩こう

 コンコンッ

「!」


 突然のノック音に思わず持っていたカップを落としそうになる。まだ何も入ってなくてよかった。沸かしたお湯とカップをテーブルに置いて、一呼吸する。

 ただの荷物や郵便かもしれない。もしくは、イーゴンくんが遊びに来たとか。だから、心臓よ、どうか落ち着いて。


「……先生、いますか」

「ぁ……」


 聞きたかった声が耳に届く。

 ドアの鍵を開ける手が震えて、うまくいかない。


「……先生?」

 コンコンッ

「ま、待ってくださいっ」

「! 先生!」


 不安そうな声色だったのが一気に明るくなってわたしを呼ぶ。カツと何度も爪が当たるだけで余計に気が急いてしまう。

 一旦落ち着こうと一回深呼吸をする。震える左手で同じように震える右手を支えながら、なんとか鍵を回しドアを開ける。

 1年ぶりのレオくんはなにも変わってなかった。


「レオ、く――」


 名前を呼んだ瞬間、レオくんに抱き締められる。いきなりのことで思考がフリーズする。


「……! す、すみません……」

「い、いえ……えっと、あがりますか?」

「は、はい!」


 わたしの緊張がレオくんに、レオくんの緊張がわたしに伝わって、二人でどぎまぎしてしまう。

 家の中に案内してから、少し冷めてしまったお湯を温めなおす。


「……あの、レオくんは、何か飲まれますか?」

「……」

「レオくん?」

「え、あ、えっと……すみません」

「いえ、大丈夫ですよ。お茶でいいですか?」

「はい、ありがとうございます」


 シュンシュンとお湯が沸く音だけが部屋に響く。レオくんがわたしの方を見ているのが背中から伝わってくる。

 甘い物を飲むどころではなくなってしまったので、わたしもレオくんと同じお茶を淹れる。カップをレオくんの前に差し出すと小さくお礼を言った。


「……」

「……」


 沈黙が流れるが、不思議とどこか居心地がよかった。心臓は今にも破裂しそうなほど脈打っているけど。

 レオくんは一口こくりとお茶を飲んで、意を決したように深呼吸をする。


「せん……じゃなかった。……グレースさん」

「! は、はい……」


 急に名前で呼ばれて肩をびくりと跳ねる。

 そうだった。名前で呼びたい、って言っていたっけ。生徒からそう呼ばれるとどこかくすぐったい。……もうわたしは先生ではないけれど。


「……約束、覚えてますか」

「……忘れたことなんて、ひと時もなかったです」

「っ! ……反則」


 レオくんが口元を手で覆って小さく何かを呟いていた。なにか変なことを言ってしまっただろうか。不安な眼差しでレオくんを見ると、ハァとひとつ息を吐く。やはり間違った答えだっただろうか。というか、ずっと覚えてたなんて気持ち悪かっただろうか。


「あ、あの……今のは、忘れて……」

「どうしてですか。覚えていてくれて、しかも、ずっとそれを考えていたなんて、絶対に忘れません。心に刻みます」


 ずっと考えていた、とは言っていないが、レオくんが嬉しそうにしているので、とりあえずはよかった。実際、四六時中とまではいかないが、レオくんのことを毎日考えていた。

 会いに来なかったから、元気にしているかな、と。顔が見たかった。声が聞きたかった。お話がしたかった。……触れたかった。


「! あの、グレースさん……?」

「え? っ! あ、す、すみません……!」


 考え事をしていたら、無意識にレオくんの頬に手を伸ばしていた。


「本当にすみませんっ! 手が勝手に……!」

「……約束、一つ目は卒業の日にまだ俺が好きだったら迎えに行く、でした」

「は、はい?」

「二つ目は卒業まで好きだったら、先生からも好きを聞かせてもらう、です」


 レオくんと視線が絡む。逸らしたい、だけど、逸らせない。レオくんの目を見てはっきり言わなければいけないから。


「……好き、です」

「……俺も好きです。大好きです」


 そう言ってレオくんは椅子から立ち上がり、座っているわたしの横に跪く。わたしも彼に対して正面に姿勢を直す。レオくんは制服のポケットから何かを取り出す。

 出てきたのは小さな箱だった。


「あの時は、まだちゃんと言えなかったので、今日こそ伝えます」

「……っ」


「……俺と、結婚、してくれますか?」


 レオくんは手の中にある小さな箱を開けた。そこには、シンプルなデザインの指輪が入っていた。

 レオくんとは交際してすらいない。そもそも、今、初めてお互いに好きだと言った。それなのに結婚、とは、一気に過程をすっ飛ばしている気はする。男性と付き合ったことがないから、どうするのが正しいかは分からない。きっと世間的には間違っているのだろう。

 だけど、レオくんとなら一生を添い遂げてもいいと思えた。


「……はい、こちらこそ、お願いします」


 かすかに震えているレオくんの手に両手で触れると、彼の頭が項垂れる。


「っはー、よかったぁ……」

「……ふふ、不安だったんですか?」

「だって! 俺だけが好きだったし、襲うようなこともしたし……」

「わたしはレオくんが特別だと伝えましたよ?」

「でも、今日まで好きでいてくれる確証はありませんでしたから……」

「それは、わたしも同じですよ」


 わたしもレオくんも緊張が解けたようで、先ほどとは打って変わって饒舌になる。

 レオくんは思い出したように、箱から指輪を取り出しわたしの左手を取る。


「あ……」

「グレースさんの薬指は、俺だけのものです」

「これ、どうしたんですか? 高かったり……」

「まだ働いてないので安物です。軍で稼いで新しいのをまたプレゼントしますね!」

「あ、じゃあ、わたしもプレゼントします!」


 二人で笑って遥か未来まで続く約束とそう遠くない未来の約束を交わした。


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 魔力があると言われてわたしの物語は始まった。

 不安だったけど、モノクロの世界からカラフルな世界になった。

 続くと思っていた学園での楽しい日々が、気まぐれな魔力によって崩れてしまった。

 また何もない世界に、生きた屍のようになるのが怖くて泣いた日もあった。

 けれど、わたしはひとりじゃなかった。

 カナタくんにヒューゴくん、ケイレブくんにイーゴンくん、それに理事長やルカ先生。

 ……それと、レオくん。たくさんの人が傍で支えてくれていた。

 供給ができなくなったのに、今ここに立っていられるのは、みんなのおかげだ、と思う。

 魔力があるから始まった物語だけど、なくなってもわたしの物語は永遠とわに続く。

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キスで行う魔力供給 青青蒼 @ao3_s

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